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(5)ちかちか弾けて

 ドレスだと動きにくいかもな、なんて誰もいないロビーで待っていると、真っ白なウェディングドレスに身を包んだ詩音が走ってきた。


「ごめん、遅くなった! 羽海野は?」


「トイレ……もしかして詩音、それで弾くの?」


「うん。なんで?」


 なんでって。


「余興って、お色直しのあとにやらない?」


「私さ、ウェディングドレスでバンドやるの夢だったんだよね。ロックじゃん」


「ロック……か?」


「お待たせ。あ、詩音。いい式だね」


 挙式からずっと見ているが、羽海野は羽海野で深緑のタイトなドレスを身に纏っている。あれでバスドラ踏めるのか?


「そこの扉が開くの?」


「そそ。披露宴会場の照明落として、いい感じにしてもらう予定」


 わたしたちの楽器は披露宴会場と壁を隔てた、受付をしたロビーに置かれていた。私に似て所在なさげにしてしまうかなと思ったけれど、意外に堂々と鎮座しているからおかしい。


「これで、最後かな」


 チューニングしながら、詩音が言った。白いドレスに、真っ黒なギターが驚くほど映えている。愛おしそうに弦を引き絞る詩音の俯いた顔が、美術館の一枚絵のように綺麗だった。


「まあまた、機会があれば」ストラップの位置を直す。


「いつでも」羽海野がスティックをクルクル回した。


「そだね」詩音がマイクを握って振り返る。


 ふと、昨日練習中に見たテレビの内容を思い出した。重力とか光の速度とかの関係で、宇宙では時間感覚が狂うらしい。それからは、まさに長い長い時間がぎゅっと圧縮された、濃密な一瞬だった。


 羽海野のドラムに合わせて、詩音がストロークを始める。乾いた音を後追いするように、私がメロディを作っていく。


 耳は全方位に集中しているのに、目は手元しか捉えていない。自分の手がやけに大きく見える。イントロの山を越えて詩音が歌い出して初めて、私は顔を上げた。


 光。会場の照明が落とされて真っ暗闇のなかに、キャンドルの光がちらちら浮かんでいる。どの視線も私を、おそらく詩音をだろうけど、一直線に見ていた。


 詩音の透明な声が会場に響き渡る。もう少し、もう少し。詩音の声と、羽海野のリズムと、私のメロディが、もう少しで完全に溶け合う。意識をしなくても、互いの存在を感じ取れる瞬間。体が勝手にビートを刻んで、演奏をする私と、周囲に漂う私が半分半分になる。


 羽海野がバスドラを鳴らす。私の思考はさらに深くなっていく。あのとき後悔が残った曲。もう何も、怖いことはない。


 それは1音目を弾くのと同時に——来た。


 ぱっ、と光の粒が眼前に飛び込んできた。私たちと観客以外なにもない、世界の約束から切り離された私たちだけの宇宙。いっそしっかり切り取って、このまま時間を止めてほしいとさえ願う空間。


 今、私と詩音の感覚は一つになって、光の海を星間飛行している。


 詩音が目線をよこした。羽海野がスティックを振りかぶる。キメの合図。体を2人に向けてタイミングを合わせる。


 なににも変え難い、至上の幸福。3人で重ねた残響が、いつまでも体を駆け巡った。


 最後の一小節を走り抜けて、羽海野の盛り上げに追随しながら、私たちの旅は終わりを迎える。


 会場が明るくなると大歓声が湧き上がった。相性最高、なんて野次を私は聞き逃さない。


 そうなのだ。私と詩音はこんなにも息が合っていて、世界が、みんなが、こんなにも認めてくれているのに、たった一つだけがどうしても噛み合わない。


 でも、それでおしまいというわけではなくて。3人で過ごしたあの日々は私のなかで星のように綺麗に、小さく、永遠に輝いているから。


 きっと、その輝きだけで十分なのだ。


 だから門出は、幸せであってほしいと思う。


「詩音、あと羽海野も」


 2人に向き直る。ドレスなのに汗びっしょりで、余興でやる激しさじゃないだろうと思ったが、私も似たようなものだった。


「結婚、おめでと」


 詩音と羽海野が顔を見合わせて、それから満足そうにハイタッチしてきた。

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