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第18話 奇襲

 目の前の暗殺者達。


 こいつらは幼子のときから数えきれぬほどの人を殺している。

 シュタットまで天馬で移動していたときは、ソニアやテツは、あまりそう見えなかったのだけれど。

 どこからともなく、いやおそらくはそこら中から仄かに血の匂いが漂う砦ではソニア達は普段とは違って見えた。


 ソニア達にとっては、この砦は殺しの記憶のはじまり、暗殺部隊訓練場。


 秘密裏に暗殺部隊に監禁され殺しの術を叩き込まれる。

 都に辿り着き入軍を果たした少年少女に待っていた絶望。

 私ならば、その処遇に耐えられただろうか。

 ……脱走すると思うわ。


 しかし暗殺部隊は決してそれを許す組織ではない。

 だからこそ暗殺部隊は、粛清の恐怖による洗脳、そしてサリィのような実力者に育成を任せることによって、殺さざるを得ない環境を作ることに重きを置いている。


 任務を与えられるのは、訓練兵を終え、裏切りや脱走の危険なしと司令部に判断された者だとソニアは言っていた。


「……」


 --……ミラクはなぜ、命を狙われる身となってまで暗殺部隊を脱走したのだろう?


 自分たちの領域だからと気ままに会話を続ける暗殺者らを睨む。

 ソニアと目が合った。


「あぁそういえば。砦は大陸戦争で作られたものですから、殲獣の骨が惜しむことなく組み込まれていまの。存分に戦えるはずですわよ、良かったですわね? 嬉しいでしょう?」


 私の視線に気がついたソニアが思い出したように言う。

 そんな砦を与えられているとは、暗殺部隊はずいぶん亜種族達に投資されているらしい。


 暗殺部隊でかつては精鋭だったというミラク。


 --その果てにしたことが、私への裏切りなのか?


 ミラクは全てを否定した上で、私を殺そうとした。何より旅を続けるはずだったニーナを……私と未来を殺した。


 私はミラクの考えがわからなかった。理解できないと思った。だから、見つけ出したら殺すつもりだった。私の旅の日々を、私が少なからずミラクに抱いていた仲間としての思い--……分かり合いたいという思いを、あの冷たい激流に蹴り捨てたミラクを殺すつもりだった。


 しかし私は知ってしまった。ミラクが暗殺者であったということを。

 ソニアとテツと出会って、都へあっという間に連れてこられてしまって。

 ミラクもソニア達と同様に望まぬまま暗殺者となったはずだと知った。


 --ミラクが暗殺者であったのならば私は、ミラクにとってなんだったの?


 ミラクは暗殺部隊を脱走して大河で冒険者の真似ごとをしていたということになる。


「……」

「おい、サキ。急に黙ってどうしたんだ?」


 サリィにテツにソニア。その会話の様子を見て黙る私にラキが声を掛けた。

 私はこいつらが揃って、弱気になったかのように見られてはいけないと思った。


「いろいろ考えてしまっただけよ。それより、さっきの話の続きをしてもらえるかしら?」

「ああ」


 ラキは目で私とラナを呼ぶ。私と双子はは再び話し合おうと顔を寄せる。


「……ねえ……ラキ。どうして、そんな大事なことをこんなに直前まで黙っていたの?」


 ラナが少し不審な顔で言う。それは私も同意見ね。

 テツも言っていたが、なにもサリィ達を警戒しながらこんな話をしなくてもとは思うわ。


「俺が知った、その吸血鬼族の特性はサキの感情が鍵になるものだったんだ」


 ラキがそういうとラナが少し悲しそうな顔をした。

 ラナが、それなら私には言ってくれてて良かったんじゃないのと、ぽつりと零す。

 そのラナの様子に、ラキは焦ったように話を続ける。


「……少し言いにくいことだったんだよ。だが、機があれば話すつもりだったさ。旅の初日でソニア達と会って、都までで色々とありすぎただろう。話す暇がなかったんだよ。だからーー」


「ラキ。今は長々といいわけしている場合じゃないから。元の話に戻って」


 私が指摘すると、ラキは口を結んで不本意そうな顔をした。

 なによ、私が正しいでしょ?


「そうだな、元の話に戻ろう。吸血鬼族のある能力、それは……ーー血液操作だ」

「……は? 吸血鬼族のそんな伝承、聞いたことないわよ」


 ラキはやけに父親の本を信頼しているようだけれども、これは、正直……。


「さっき言った感情もそうだが、いくつか条件がいる能力なんだ。強力な能力でもある。大陸戦争ではおそらく、吸血鬼族の最大の機密の一つだっただろう」


「だから、どうしてそんなことが書かれた本がラキ達の家にあるのよ」


「情報は確かだ、そこは心配するな。まずは俺の血をーー……っ!?」


 そのとき冷たい空気が流れた。見られていると気がつくと同時に、命を狙われていると本能が全身に訴えかける。ソニア達の声が止んでいる。


 感じた視線は、私が好むような、すべてを賭けた意思疎通を問い掛けるものではなかった。


 一方的な、蹂躙の意思。捕食者の眼。


 ……サリィだ。


 話を続けようとしたラキは息を吞んで押し黙った。

 私は、己を奮い立たせるように、勢い良くその視線に向き直る。


「餓鬼ども。作戦ごっこは順調に進んだか?」


 楽しそうな声でテツが言った。


「……そっちこそ、おしゃべりはもう済んだのかしら?」


 テツ、ソニア、それからサリィと目が合う。サリィはやはり威圧が鋭い。


「サリィ。本当に戦いますのね……?」


 ソニアが私達を見たあと、サリィを見上げていった。


「槍の餓鬼……否、ライトの娘。……名前は?」


 サリィは無言で首肯き、そして私にそう問い掛ける。


「サキよ」


 刹那、サリィの寸分の隙間ない身構えが僅かに崩れた。サリィは目を伏せ、声殺して何かを言った。無音のまま、口を数回動かした。


 サ……キ……?


 見慣れた口の動きだったからだろうか。


 サリィがそう言ったように思った。


 それとも、サリィだろうか。


 サリィは自分の名前を呟いたのか。

 音は聞こえなかったのに、サキかサリィの名に聞こえた。


「いま、私の名を呼んだの?」


 皆が黙った砦には、私の声が響いた。

 伏した目を上げたサリィの赤い陽のような目は、見開かれていた。

 朝焼けのように血走らされて。  


「その名--……ライトが、名付けたと……そういうのか?」


 サリィは声を震わせていた。

 何か、認めたくない疑惑が強まったかのように。サリィの声は怖いと思っていた。

 しかしそのサリィの様子に、私の恐れは消えていた。

 サリィの低い声が儚い少女の声のように聞こえた。


 私はサリィのことをよく知らない。だけれど、分かる。様子が明らかにおかしい。


「そうよ。ライトが名付けたわ」


 どこか儚げな雰囲気も纏いながらも、変わらず殺気を放ったままのサリィ。


「…………悪いね、ソニア。あの話は無しだ」

「サリィ……? 一体、どうしましたの?」


 ソニアは声が若干か細く、眉をひそめて戸惑ったような顔になった。やはりソニアから見てもサリィの様子はおかしいのだろう。


「ミラクはもはや脅威ではない。脱走者を見せしめる必要はあるが、この餓鬼どもを私が育てることにはやはり繋がらん」


 サリィは言い聞かせるように言った。ソニアは困ったように横にいるテツの腕を引く。テツはギョッとして、巻き込むなと責めるような顔をしたが覚悟を決めたように口を開く。


「餓鬼どもはミラクを殺す手掛かりになる。……近ごろは反乱者も多く、こちらの手勢も削られている。この餓鬼どもを戦力に加えて損はないはずだろう……?」


 テツは怯えたような声でサリィに捲し立てた。サリィはそんなテツを一瞥する。


「口答えかい? テツ。今日は、このまま訓練場に残して鍛え直してあげようかね」


 その瞬間、サリィが視界から消えた。舞い上がった土埃りから目に追えない速さで移動したのだと気がつく。


「いっ……」


 テツは驚きつつも自らの愚行を悔いるように仰け反る。

 次に瞬いたとき。


「ガッ……!」


 サリィの右手がテツの腹を貫いていた……ように見えた。


「テツ……!?」


 サリィの一瞬の移動に、テツの傍におり、事態を把握したソニアが、テツに駆け寄った。

 実際はテツの腹は貫かれておらず、テツは気を失って床に叩きつけられていた。

 テツは血を吐き出した。


 私達はしばらく、起きたことを受け入れられずにいた。あのテツが何もできずあぁなるなんて…。


「いきなりなんなのよ……!?」


 そのとき、言い知れない恐怖が、全身を貫いた。


 サリィはどこに行ったの……?


「……え?」


 それから混乱する間もない刹那。


「……ぁッ!!!」


 頭が割れる音が聞こえた。

 少し遅れて身体中が悲鳴を上げた。


 砦の壁に翼から叩きつけられていた。頭を蹴り飛ばされたのだと、翼と背中と後頭部の衝撃から理解する。

 同時に壁に擦られながら、床にずり落ちた。


「カハっ……ハッ……ハッ……ハァ……」


 身体が……動かない。油断していたつもりは無かったのに。……サリィからの追撃に、備えなければ。

 ラキとラナを……守らなければ。

 動かなければ。動かないといけないのに、息が苦しくなるばかりで身体がついてこない。


「息があるのか。殺すつもりで蹴ったのだがな」


 遠くでサリィがそう言ったのが聞こえた。


「--は!? サキ!?」

「サキ、さん……!?」


 ラキとラナの声も、聞こえる。

 私に追えなかったのだから、双子にもサリィの動きは見えていない。二人はこんなの攻撃を受けたら命が危うい。二人をここで死なせるわけにはいかない。

 ……二人を守らなければ。せめて二人だけでも、逃がさなければ。


 立ち上がろう身を捩る。そして気がついた違和感。


 追撃がない。

 ……サリィは今どこにいるの?


「まずは、この半獣族共を殺そうか?」


 滲む視界の中。

 陽のような赤い瞳を揺らしたサリィがこちらを見ていた。

 ラキとラナの背後から。


「……!?」


 ラキは双剣を背後に構え直そうとする。

 その双剣をサリィが蹴飛ばした。双剣は吹き飛び砦の石床に突き刺さった。あまりの出来事にラキは次の行動に移れていなかった。ただ、ラナを庇うように手を伸ばしただけだった。


「お前たちは、巻き込まれただけだからな。--遺言くらいは聞いてやろうか?」


 剣を抜きもせず、サリィは自身の拳同士を打ち付ける。

 空気を震わせる、鬼族の剛力。


「や゛やめて……!!!」


 サリィの一言に身体の痛みを忘れ私は立ち上がった。


 身体が全身から血が吹き出した。

 骨が折れており、血は流しすぎている。本来ならば動くはずのない身体。

 壁に叩きつけられたときに破れた外套が身体から脱げた。


 身を起こしながらぞっとした。痛みを忘れているというか、不自然に痛みを感じない。吸血鬼族の特性らしきものが表れているのだの気がついた。

 私の身体はもはや人族のものではない。ぐつぐつと煮える衝動を感じながらも冷静にそう実感する自分もいた。


「ま゛……っ、待ちな、さいよ……」

「立てるのかい?」


 サリィが微かに目を見開き私を見ると、少し感心したように零した。そして立ち上がる私を虚な表情で眺めていた。

 ……ずいぶん余裕みたいだな。こんなときなのに腹が立つ。

 だが好都合だった。その隙は利用するしかない。


「……おや」


 そのとき、私に向いていたサリィの視線がずれた。そして、自分の存在を知らしめるかのように砦に響く足音。


「騒がしいから出向いてみたら、何やら面白そうなことになっているね」

「噓。フィロンはさっきまであたしの魔術に付き合ってくれてた……から来るのが遅れたの」


 砦にの奥から聞き覚えのある声と、知らない少女の声が続いた。

 この声は、まさか……。


「フィロン……! サリィの様子がおかしいのですわ。止めてくださらない……!?」


 ソニアがその声の主に駆け寄った。


「あはははは、ソニア。どうせ死ねと言うなら、もう少し直球に言って欲しいかな」


 見ると、フィロンと知らない少女がそこにいた。サリィは乱入者達を睨みつけていた。


「フィロン、レーシュ。お前たちは下がっていろ」


「もちろん、サリィ」

「……あたりまえ」


 フィロンは両手を上げ、レーシュと呼ばれた少女は俯き控えめな様子で答えた。


「……」


 今は身体が動かない。

 会話で、少しでも長く時間稼ぎを試みるしかない。


「……サリィ……どうしていきなり、暴れ出すのよ? 戦うなら戦うって……一声かけなさいよ」


「お前と戦うのは……見定めるのは止めにしたのさ。お前と分かりあうのは無理だ。……だが、そうだな。聞きたいことが、一つだけある」


 サリィは淡々と語って、最後に思い出したように付け加えた。



「……ライトは、なぜお前に『サキ』などという名を付けた……?」 



 サリィは、ラキとラナの頭上に構えていた拳を下ろして問う。

 私の名前の由来を。


 私はそれをライトから一度だけ聞いたことがあった。


「私の名前は……」


 その日は、朝早くからライトに殲獣狩りに山に連れ出された。そして夜遅くにシャトラント村に帰ってきて、二人で海の星空を見上げた夜だった。


 ライトは私にしばらく昔話をしたあと、ある少女の話をした。若き日の遠い記憶を呼び覚ますように目を細めて、語っていた。

 ライトは仄暗い罪の記憶だと言っていた。やり直せるならばやり直したいと言ってから、すぐに言い直した。あれはあれで良かったのだと。

 私の名前はその少女から……。


「帝国軍で……娘みたいに思っていた子に似せたと、言っていたわ」



「……。--そうか……」



 サリィは悲しそうな目をした。

 そして、動かなくなってしまった。

 私と双子へ向けられていたサリィの殺気が揺らいだ気がした。


 皆、何も言えず、サリィの次の行動を待っていた。


「……ッ」


 私は、激しい全身の痛みに立っていられなくなり、数歩だけ後ずさって、再び壁に寄りかかった。



 数瞬だったはずだが、かなり長い時間に感じられる沈黙が流れた。


 そして、サリィが顔を上げた。


「……ん?」


 サリィは小さい声でそう零し、砦の扉を睨んだ。


 私は身体の痛みが酷くなるばかりだったが、なんとかサリィの目線を辿り、扉を見た。


 ゆっくりと扉が開かれ、砦に、明るかった森の空気が流れ込む。


 砦に、一人の男が入ってきた。

 逆光でどんな人物なのかは見えない。


「これはどういうことだ? 俺はサリィを殺しに来たはずだが……」


 そう言った男は獲物を物色するかのようにその場にいる一人ひとりを見る。 


 首を回しながら徐々に深まるその歪な笑みは、シャトラント村を旅立ってから三日目。


 あの日、雨曇りの山道で遭遇した怪しげな強者のものだった。


「訓練場にこうも……殺し甲斐のありそうな連中が揃っているとは。--ソニア、テツ、フィロン、レーシュ」


 なぁ、サリィ? と男は低い声で言う。


 記憶を手繰り寄せるように其々の顔を見て、その名を口にしては歪みを深める。


 そして男は砦の石壁に寄り掛かる私を見た。


「ーー? ……半吸血鬼?」


 歪な笑みのまま、困惑と混乱に取り憑かれたように停止した。


「サキ?」


 男は微かな声でそう言った。

 私は唇を噛む。切れていた唇から、一層多くの血が流れた。





 …………ミラク。


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