帝国軍暗殺部隊、訓練場。
それはシュタットの城壁の裏、つまり森側にひっそりとあった。城壁に組み込まれた砦だった。五十年前の大陸戦争で用いられた人族の軍の砦が再利用されているとソニアは言った。
「門から離れた城壁なんてふつう、うろつきませんもの」
私は今朝、都のかなり広い範囲を周ったと思っていたが、それは都の中心である皇帝の住まう城があまりにも巨大であるための、錯覚だと説明された。
ソニアによると、私達が歩いたのは都のほんの南端らしい。
広大な都の城壁。
南の門と西の門の間にある砦を見上げる。どちらの門からも離れているため、ふつう人は寄りつかない。
その砦はソニアから聞かされた話で想像したような不気味な場所ではなかった。
森に囲まれた城壁に組み込まれている砦。背の高い木々の木漏れ日の下にあるせいだろうか。暗殺部隊の施設と言われてもそのようには見えなかった。
「本当にここが、暗殺部隊の訓練場なのか?」
ラキも私と同じように思ったようだ。ソニアはしばらく無言で砦を見上げていた。
「ええ。数年ぶりに来ましたから懐かしいですわね」
吹いた風に誘われ、ソニアは下を向いてからラキの言葉にうなずいた。ソニアは望んで暗殺部隊に身を置いたわけではないと語った。それなのに懐かしいという肯定的な言葉が出たのは少し不思議だった。
「良い場所ね、なんだかあたたかいわ」
「ここで何が行われているのか、もう忘れまして?」
何気なく零した言葉にソニアは切なそうに答えた。私は忘れているわけではなかった。この砦に来るまでにソニアに聞かされたことを。
ただ思ったことを、口に出してしまっただけで。
「本当に
ラキの言う通りだ。
ソニアの話はにわかには信じがたいものだった。
この砦には暗殺部隊訓練兵を終える者に初任務として与えられる死刑囚が運び込まれる。
さらに訓練兵を終えて正式に帝国軍暗殺部隊の暗殺者となった者は、定型作業として毎朝人を斬るという。ランクが上位の者は、サリィや司令部から任務を与えられることもあるらしい。
『私は優秀で表の顔もありますから、訓練場には滅多に顔を出しませんわ』
ソニアは髪を払って自信ありげな笑みで言った。
『ソニアってちょっと自信過剰なところがあるわよね?』
ソニアの様子に、帽子越しにラナの獣耳にそう耳打つ。
すると『え!?』とわりと大きな声で驚かれてしまった。ラナは優しい子ではあるが素直な子でもあるから、その反応が示すものはわかりやすい。
なにか同意しかねる内容でもあったのだろうか。
『サキは人のこと言えないんじゃないか?』
ラキが私とラナの間に割り込んできて面白がったように言った。
私は実力は見合った自信だと思うんだけれど。納得がいかなかった。
ソニアやテツと出会うきっかけになったミラクの追跡任務。
あのような任務が与えられるのはランク上位の者のみだそうだ。
ソニアはランク 2 、テツはランク 4 、フィロンはランク 1 らしい。
ランクは 9 まで存在し下位のランクほど人数が多いとソニアは言っていた。ソニアの表の顔として軍医を名乗っていた気がするが、そのあたりはどういうことなのだろう。
まぁ今はそんなこと気にしても仕方ないわね。
「ソニア、早く入るわよ」
なかなか入ろうとしないソニアを急かす。私はサリィと戦うことになる場所を早く見ておきたかった。
「少々仕掛けが施されておりますので、私から入りますから」
それに侵入者と誤解して攻撃してしまう子がいるかもしれませんから、とも説明された。
どこか温かみを感じさせる廃墟である外面からの印象とは違い、砦の内部は異様であった。
足を踏み入れた瞬間に身を包んだ殺気。
五十年前の戦争の遺物。
帝国の闇そのもの。
亜種族の殺戮人形を育てるその砦には、無邪気な笑い声が飽和した。
「来たよ。フィロン様が言っていたヤツら」
「ふふ、サリィ将軍に殺されるんでしょ?」
「ソニア様ぁ……! ひさしぶりに見ましたぁ……! 変わらずお綺麗……」
入った瞬間、私達は人族の少年少女に囲まれていた。
警戒心を露わに私達に少しずつ近づいてくる者。上階から好奇心に満ちた目でこちらを見下ろす者。殺伐とした日常に現れた異端に対してただ笑い狂う者。ぜんぶで三十人ほどいる。
少年少女らは剣一本を腰に差すか、背負うかしている。ソニア達と同じく、サリィに育てられた暗殺者たちだろう。
「ヒっ……」
ラナが短い悲鳴を漏らす。
警戒していたラキは、それより早く腰の双剣を抜いていた。私はラキとラナの前に出る。
ここの連中は、むやみにラナを怖がらせないと気がすまないのかしら?
やめてあげてほしいわ。可哀想じゃない。
「何のつもりだ?」
ラキは怒気を含んだ声で暗殺者らを牽制する。しかし甲高い笑い声は止まずに、むしろ強まった。
「もしかして私とラナが美少女だからかしら? ずいぶん歓迎してくれているみたいね」
私達を囲む少年少女に聞こえるように声を張り上げる。舐められないように。
「ふっ、よく言いますわ。西部の田舎者が……」
ソニアが半笑いでぼそっと呟いた。
「は?」
抗議の声を上げたのは意外にもラキだった。
ラキはラナに対してすこし過保護なところがある。
「かなり人が集まっていますわね。フィロンが言いふらしたのかもしれませんわ」
ソニアは首を傾けてラキの視線を躱わすと、のんびりとした口調で言った。
……わりと緊迫した状況だと思ったのだけれど。ソニアの様子から、そうでもないのかしら。
「フィロンのいやがらせなの? 気に食わないわ」
「
ですからフィロンに喧嘩を売ると痛い目にあいますわよ、とソニアは言った。
別に喧嘩を売ったりはしないわ。
でも、余裕があればフィロンにも手合わせを頼んでみたいわね。
「ほら、フィロンに何を言われたのか知りませんが、あなた方は散りなさい。サリィに報告しますわよ」
「ソ、ソニア様……それは、それだけはお赦しください」
「あたし達フィロン様にその槍使い共を歓迎してやるようにいわれたんです!」
「馬鹿が! ソニア様に口答えするな!!」
ソニアなら言葉に、彼らは不平を漏らしつつも徐々に砦の奥に消えていった。
「……」
今の子達は、私やラキ達と同じか少し幼いくらいの年齢だったように思う。
帝国軍に志願したはずが、暗殺部隊に秘密裏に監禁され、亜種族達の兵器として育てられている。
そう思うと、私はシャトラント村でライトや村長たちに育てられた自分がどれほど恵まれていたか実感する。
ラキとラナのことを考えてもそうだ。
旅立つ前の私は半吸血鬼の身でありながら帝国の現状を何も理解していなかった。ライトは私に槍術をはじめとして色んなことを叩き込まれた。
でも暗殺部隊については教わっていない。それに、話を聞くのと自身で体験するのとでは全然違う。
「ソニア。帝国の闇ってどこまで深いものなの……?」
「これから嫌でも知っていくことになりますわよ」
私は自分の強さに自信があった。
しかし、サリィの雰囲気は同じく鬼族の血を流すからかどことなくライトに似ていた。
もし万が一、サリィがライト並の実力をもつならば、覚悟を決めておかなくてはならない。
この身を犠牲にしてでもラキとラナのことだけは守る覚悟を。
「ねぇソニア。私は、サリィに勝てるかしら?」
ソニアは「まさか」と手を振って答える。
「はあ? 私が勝たないと困るんじゃないの?」
「サリィに敵う者なんて殆どいませんわよ。……それこそライト将軍くらいではありませんか?」
「……それなんだけど、ソニアってライトと会ったことあるの?」
「ええ遠い昔に。あの方、迫力があって少し怖いですわよね」
……怖いだろうか? 雰囲気だとサリィの方がよほど……。慣れの問題かもしれない。
ソニアより強いという、フィロンよりもさらに実力があるというサリィ。
警備兵支部でのサリィの様子を思い出す。
なかなか迫力があったことは認めるわ。
「サキは私に負けずとも劣らない程度ですもの。勝てはしませんわよ」
ソニアは私と自身が同じくらいの強さだと思っているらしい。大河で戦ったときは、私は古槍でソニアはおそらく殲獣製の剣だった。きっと、同じような武器の条件で戦うと私が勝つと思う。まぁ今はそのことには触れないでやろう。途中で止めてしてしまった戦いだから。
もう一度ソニアとも戦ってみたいわね。
サリィにフィロンに、ソニア。刃を交えてみたい、知ってみたいと思う相手が増えていく。
「ですけれども、死ぬ気で奮戦すればきっとサリィはあなた方を認めてくださいますわ」
ソニアは誤魔化すようにすこし早口で言った。
「死ぬ気でって……。殺されるつもりはないんだけれど、ラキとラナに何かあったら殺すって忠告したことは覚えてるの?」
ソニアは目を逸らす。
「……実は
「話が見えないぞソニア」
ラキが指摘した。
「サキがミラクの情報を話して槍術を見せればサリィはすぐにサキを認めると思っていましたの」
ソニアはぽつぽつと語る。
「サリィは強い者を好みますもの。あなたが、戦闘面で優れた能力を有する吸血鬼族の血を引き、ライト将軍に育てられたと聞けば、サリィは、
ソニアがそう言ったとき、周りの空気が変わった。
熱い陽の光で灼かれたような気がした。
それなのに、思い出したのは暗く冷たい大河に沈んだ嵐の夜だった。
背筋を何かが伝う。
「……な、なに?」
それが冷や汗だと気がついた。
同時に、背後から女の低い声が響いた。
「愚か者が」
曇天を裂く雷のような声。
全身を包み込むような殺気に呼吸を奪われる。
「これ以上は--……」
この声はサリィだ。
これまで遭遇した何よりも重苦しい殺意に咽せ返る。
「--……私を失望させないでほしいね、ソニア」
剥き出しにされた殺気に、私と双子は背後にいるサリィを見ることすらできなかった。息を呑む。
朝に会ったとき、サリィは隠していたというのか。
これほどの殺意を。
「あら、サリィ。もういらしていたんですの?」
サリィの威圧にソニアは目を細めた微笑みで返す。
「……」
ソニアはライトを怖く感じたと言っていたのに、サリィは怖くないのかしら……?
右手にがくがくと小刻みに震える振動が伝わってきた。ラナが私の手を掴んでいる。
「だ、大丈夫よ……ラナ」
なにがどう大丈夫なのかは言えなかった。
ソニアの言葉を信じるならば、サリィは私たちを殺しはしないというくらいか。
私達は動けずにいた。
ソニアはサリィに特段おびえた様子もなく、朝に会ったときと同じように会話していた。
「サリィ。
「そうかい、ソニア。だが最後に一仕事だけしてもらおう。三日後にシュタットを訪れるという傭兵団なんだがね……ーー」
サリィもソニアに対しては殺意を向けてはいなかった。何やらソニア達は話し込んでいた。
ソニアとサリィが話している隙を見て、私はラキに耳打ちする。
「……ラキ。武器庫で言ってた策って、何なのよ?」
ラキはサリィを警戒しながらも、その瞳は恐怖に染まりきってはいなかった。
あの凄まじいサリィの殺気に貫かれたあとでも、勝機を見失ってはいないのか。
ーーそれほどの策が本当にあるのだろうか。
「吸血鬼族の能力だ」
「……なによ、それ?」
「殲獣が世界に現れてから、増幅した各亜種族の固有の能力や特性があるだろ?」
「そうね」
大陸戦争を通して、各亜種族の情報が数多く拡散された。
そのほとんどは撹乱のための虚偽だ。
だから、各亜種族の能力の詳細で正確な情報は、公にはなっていない。
一般的には、古来からの伝承として曖昧に把握されているくらいだ。
それなのにラキは、父親が記録していたとかでやけに詳しかった。
「俺は父の書庫の記録で吸血鬼族のある能力を知ったんだ」
西部で医術師をしていただけのラキの父に、なぜそれほどの情報収集ができたのかは謎だ。
本当に正しい情報なのか、疑問は残るところだ。
「だからなんなのよ?」
もったいぶるラキを急かす。
「それはな……」
ラキが答えようとしたそのとき。
私たちが入ってきた入り口を、見下ろすような砦の二階から、青い影が降ってきた。
「敵の本部で悪巧みか? 餓鬼ども」
「テツ!」
軽い身のこなしでテツ飛び降り着地したテツは、私達に声をかけた。今朝ぶりの再会だった。
「あらテツ、ここにいましたの?」
「テツ。お前の処遇もソニア同様に餓鬼どもを見定めてから決めるよ」
何やら話し込んでいたサリィとソニアもテツに向き直る。
「さっきフィロンに会って聞いたさ。何やら厄介なことになっているみたいだな」
テツはソニアに言った。
「フィロンはどうしましたの?」
「レーシュに、捕まっていた」
「あぁ……彼女はまだ任務を与えらずに砦にいますのね? サリィも早く任務を与えて差し上げたらいいのに……」
そう言って振り返ったソニアにサリィが口を開く。
「まだ
サリィをはじめとして禍々しい狂気を孕んだ暗殺者らは他愛ないような談笑を始めていた。
都シュタットの城壁ににひっそりと存在する大陸戦争の遺物。
現在は暗殺部隊訓練場として使われている砦。
その砦で、サリィとの戦いに備えかつての戦争で歴史の闇に葬られた亜種族の能力について話し合っていた、私とラキとラナ。どこか皮肉な状況だと思った。