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第3話 ドラゴンと少女

  「言葉通りやるじゃない、ミラク!」


 私たちは、森の中を駆け抜けていた。ドラゴン狩りに向かっているのだ。

 木々がざわめく。枝を避け、道すがらの猪型の殲獣をいなす。ここ数日おあずけだった分、普段よりも戦闘への興奮が大きい。


 ちらりと横を走るミラクに目をやる。私の声など聞こえなかったかのように、最小限の動きで進んでいる。この殲獣だらけの森で私に遅れずについてくるなんて。やはり只者ではないわね。

 もちろん今日一番の楽しみはドラゴンだ。しかし、この底の見えないミラクの実力を見定めるいい機会でもある。


「ミラク。宣言したが、私は駆けっこなら負けない。ペースをあげるわ。ついて来てよね」


「待てサキ。お前は道を知らねえだろうが」


 ミラクは駆けたまま赤い目で横目に私を見る。


「はあ? このまま行けば着くのだろう?」


 確かに、私は道を知らない。でも、ずっと道なき森をまっすぐ走っているから、このまま直線的に進んだら着くと思ったのだ。


「もう着いた」


 そう言ってミラクは急に立ち止まった。私と同じ速さで走っていたはずだ。どうして、あんなにも簡単に停止できるのか。


「え、ちょっと……!」


 ミラクの嫌がらせに違いなかった。……私は勢い余って目の前の木に衝突してしまった。顔面から。美少女にあるまじき失態だ。


「……っ……おいミラク……お前、わざとだな」


 痛む鼻を抑え、ぶつかった衝撃で落ちてきた木の葉を払いながらミラクを睨み付ける。ミラクはいつもの冷めた目で私を一瞥したが、口元には微かに笑みが浮かんでいた。


 わざとに違いない。最初に腕を踏みつけられた分も含めて、ドラゴン狩りが終わった後、きっちりと借りを返してやらなければ。


「何のことだ? それより見ろよ、いるぜ」


 ミラクは、こぶしを握りしめて復讐を誓っていた私の顔を、いきなり覗き込んできた。普段は、私に目もくれないのに。思わず後ずさってしまう。


「な、なによ」


 せいいっぱい睨み返すが、相変わらずその瞳の奥は読めない。ミラクは、馬鹿にしたように鼻で笑い、私から目線を外すと、崖の下の岩場に目を向けた。


 一瞬、ミラクを殴りつけてやろうかと思ったが、耐えた。すぐ崖の下にドラゴンがいるのだ。冷静にならなければいけない。


 風が吹き抜ける。


 ミラクは振り返り、私の怒りに震えるこぶしを見て、言った。


「好戦的だな。サキ。お前の槍の材料になったドラゴンは手強かったか?」


 いや、これはミラクへの怒りなんだが。まぁ今は良いか。


「当然だわ、ドラゴンよ。……かなり楽しい戦いだったわ」


 それはもう、思い返しただけでうっとりする程に。

 私が戦ったことのある者で一番強いのは、ライトの親父だ。これは間違いない。


 不意打ちをかましてきた、この卑怯なミラクを除いて考えれば、その次はドラゴンだ。


 だが、私はライトとの試合よりも、ドラゴンとの戦闘の方が楽しかった。


 ライトはいつも私に本気を出さなかったのだ。しかし、ドラゴンは違った。あれは、死闘だった。


 ライトは、私が幼い頃からよくこう言って聞かせた。


『サキ。戦いを楽しみすぎるな。敵はその気持ちを利用してお前の足元を掬う。戦闘狂は長生きできないと相場は決まっている』


 幼子に槍を持たせておいてよく言えたものだ。私は、槍術の道場を営むライトに育てられて、戦うことが大好きになったというのに。


 ライトが、私が倒したドラゴンの牙で作ってくれた槍を握りしめた。


「あのドラゴンとの戦いは、一生忘れられないわ」


 ミラクは何も言わなかった。黙って崖下のドラゴンを見据えている。私の次の言葉を待っているのだろう。


「……だけど、このドラゴンはその比じゃないようね。稀種だわ」


 ドラゴンは、蒼かった。幻獣型の殲獣”ドラゴン”の稀種、蒼龍。


 その蒼い炎の息吹は、一般的な赤いドラゴンの炎より遥かに熱く、蒼い翼は天に溶け込んで見えるほど、素早いという。


「……ミラク」

「何だ」

「……とっても、楽しい戦いになりそうね」


 ミラクは満足そうな顔を見せた。こんな顔、数日間行動を共にしているが初めて見たかもしれない。


「こいつを見て逃げ出すようなら、今ここで殺して、その翼を売り捌くつもりだった」


 そう、ミラクの目的は私を隠れ蓑にして、目立たずに危険度の高い殲獣を倒し、金を効率よく稼ぐこと。

 それができなければ、私を殺すことすら、この男は厭わないのかもしれない。


「気が合うな? 私も、ミラクがこの蒼龍に怯える程度のやつなら、この後の決闘は取り消そうと思ったところよ」


 私はこのクズとは違う。一人旅をする美少女に不意打ちで勝ったことをいつまでも擦り、利用しようとするこんな変態根暗男でも、私の初めての仲間だ。


 私が村を出て経験したかったことの一つは、色んな人と出会って、色んな冒険をすること。私は、いつかはミラクとも分かり合いたいし、笑い合いたい。 


 都シュタットに辿り着くまでには、そうなれたらいいと思う。


「--私から行く。続いて」


 肩に担いでいた槍を両手で構えて宣言した。


「いいぜ。適当に合わせてやる」


 ミラクは腰の刀を抜いた。

 本当に、さっきからミラクはどうしたのだろう。やけに素直だ。腐っても冒険者を自称する者として蒼龍相手は、興奮するのだろうか。


 気持ちはよく分かる。強敵相手に昂るのはごくふつうなことなのだ。私は戦闘が大好きなだけで、ライトが言うような戦闘狂などではない。


 今も、こんなにも冷静に崖の下の蒼龍を見据えている。


 ギロリ


 蒼龍と目が合った。こちらの存在を気取られた。全身の毛が逆立つ。


「ーー蒼龍っ!! 相手に不足はないっ!!」


 槍を地面に刺し、スピードを調整しながら崖を一気に駆け降りた。


 蒼龍は咆えた。まだかなり離れているのに、その蒼い炎の息吹は熱い。


 「……グッ!」


 炎を避けて距離を縮める。 


 かつて戦ったドラゴンよりも、速いっ……!


 寸前で槍で受け止めた爪は、かつてのそれより重かった。

 一瞬の油断も許されない戦闘。


 目が冴え、自分のものとは思えないような笑いが溢れる。


「アハハハハっ! なかなか楽しませてくれるじゃない……!」


 後退して、蒼龍の足蹴を受け流す。

 体勢を直して、反撃に転じようとした。


 そのとき、背中に衝撃が走る。


「……っ……!」

「囮、ご苦労だったな。サキ」


 何が起きたのか分からなかった。戦いに夢中でミラクを気にしていなかった。


 分かったときには、すべてが手遅れだった。


 ミラクは体勢を直す私の背中を踏み台にして、蒼龍の喉元を斬ったのだ。


 そこから蒼龍は暴れたが、狙いが雑になっていき、決着はすぐに着いてしまった。


 私達の勝ちだ。


 喉元を斬ると、もう終わりだとばかりに背を向けて下がっていったミラクの代わりに、私が暴れ狂う蒼龍にトドメを刺した。


 短い間だったが、蒼龍との戦いは楽しかった。

 忘れない。きっと忘れない。しかし、消化不良だ。なんと後味の悪い戦いだろう。


 蒼龍が倒れたのを確認してから、ミラクは黙って蒼龍の死体に登って、鱗や牙などの解体を始めた。

 高値で売れる部位を店やギルドに運ぶためだ。ミラクは、名を上げたくないから、私の名前を使って。


 茫然と蒼龍の死体を見つめる私には、目もくれなかった。


「ミラク」

「何だ? しつこく言っている決闘なら、後にしろ。こいつを売り捌いて金にしてからな」


 ミラクは蒼龍の上で作業を続けながら答えた。


「どうして邪魔をしたんだ?」

「邪魔だと? 効率よく共闘しただけだろう。お前の槍術は期待以上だった。都に着くまでは、俺の隠れ蓑としてその調子で頼むぜ」


 ミラクは、最後まで私を見ずに言い切った。


 こいつにとって仲間とは、互いを利用するだけの存在なのか。多くの人々が生涯目見えることも叶わぬ蒼龍戦闘を楽しもうと思わなかったのか。


 ミラクと分かり合いたい。それは、思ったよりも簡単なことではないのかもしれない。


 思わずため息がこぼれる。

 蒼龍の血に塗れた愛槍を払って血を落とし、蒼龍の解体を手伝った。


 仲間と森を駆け、殲獣を狩る。その殲獣を売り、金を稼ぐ。冒険者としての経験は、夢見ていたものとは少し違った。


 足元に落ちていた蒼龍の鱗を手に取り、日にかざす。

 まだ日は昇りきったばかりだ。

 鱗は蒼く煌めいていて、綺麗だ。

 私は人生二度目のドラゴン狩りを成した。それも、蒼龍である。


 もしかしたら、2人でしかもこんな短時間で蒼龍を狩るなどちょっとした偉業かもしれない。明日には、近隣の村中に噂が広がるだろう。


 槍術の達人の美少女が、華麗に蒼龍を討ち取ったとして。


 少し良い気分になってきた。


「フフ…」


 名は、都シュタットであげるつもりだったが。

 まあ少し早まっただけだ。


 考えてみたら、私とミラクは悪くない仲間なのかもしれない。名を挙げたい私と、何かしらの事情で目立ちたくないミラク。

 横目でミラクを見る。

 この可哀想な男も、私が懐柔してやる。何しろ、私の初めての仲間だからな。


 私は、勝手にしみじみとした気持ちになってミラクを見つめた。ミラクから不愉快そうな視線が返ってきた。やっとこちらを見たな。


 私たちは、数秒何も言わずに見つめ合った。


「あ……蒼龍が……!?」


 沈黙を破ったのは、私でもミラクでもなかった。


 振り向くと、赤毛の少女がそこにいた。お下げにしてある髪と、服装から近くの村の娘だろう。


 ドラゴンの住み着くような岩場には似つかわしくない子だった。


 ミラクは私ではなく、私の背後に現れたこの少女を見たのか。


 私は少女に微笑んで、怖がらせないように槍を下ろした。


「あなた近くの村の子かしら? そう、私が蒼龍を倒したのよ。存っ分に、私の勇姿を広めてくれていいわ!」


 改めて口に出してみると、とても素晴らしい。村を出て10日経たずで蒼龍狩りを成す槍使いの美少女。


 素晴らしい噂が広まるのではないだろうか。シャトラント村のみんなも、さっそく私が名を上げたと喜んでくれるはずだ。


 やっぱり、ミラクと組んで良かったかもしれない。


「あなた方はお二人で蒼龍を倒されたのですか?」


「え? まぁ……そうね」


「すごいです! 村の近くに蒼龍が住み着いてから、交易商が通れずに皆さん本当に困っていたんです! 感謝いたします。まるで、物語の冒険者のようですね!」


 両手を合わせ満面の笑みで少女は言った。


 予想以上に良い反応だ。よく見たら可愛らしい子ね。村の子どもたちを思い出す。


「俺は戦っていない。倒したのは、そこの槍使いの女だ。名前はサキ。噂ならその女のことだけを広めろ」


 せっかく可愛らしい子と楽しく話していたのにミラクが口を挟む。


「は、はいっ! サキさんというのですね……」


 ミラクは名を上げたくないからな。

 私たちは、持ちつ持たれつの関係だな。うんうん。やはり、私の初めての仲間なだけあって相性はいいのかもしれない。


 ただ、もう少し優しい目と声で言って上げてほしい。怖がっちゃってるじゃない。


「そういうことよ。あなた、私の仲間が怖がらせてしまって悪かったわね。蒼龍の鱗、1枚あげるから、いい子で私の噂だけ広めてね」


 私は、その子に優しく歩み寄って鱗を手渡した。


 その子はプルプル震えていた。一体どうしたというのだろう。


「……私を、あなた方の……サキさん達の仲間に入れてくださいっ! 私、こう見えても村娘じゃなくて、旅に出て2年目の冒険者なんですっ!」


 真っ赤な顔で、目に涙をためながら少女は叫んだ。


「え?」


 私が一瞬呆気に取られると、少女は今にも声を上げて泣き出しそうになった。


 私は、少女の手を取った。少女がハッと顔を上げる。近くで見るとさらに可愛い。


 冒険者が蒼龍狩りを成した者の仲間に加わることを望むのは、自然なことだ。


 そして、私は旅に仲間が増えるのは大歓迎である。村から出た目的の一つは人との出会いでもあるからだ。


「もちろん、歓迎するわよ。冒険者だとは思わず、少し驚いてしまっただけよ、泣かなくていいわ。これからよろしくね」


「……はいっ!」


 私がそういうと、ニーナはまた笑顔になって手を握り返してくれた。

 ドラゴンを狩り、赤毛の少女ニーナが仲間になった。


「ふふっ、ニーナは可愛いわね」


 私はニーナの緑の瞳を見つめる。

 ニーナは照れたように笑って目を逸らしてしまった。

 ミラクは蒼龍の上で黙ったままだ。表情は見えない。

 ミラクは換金したら次の宿まで進もうとするだろうが、それは私が全力で阻止しよう。


 今夜は近くの村で、蒼龍狩りと、この少女が仲間になった記念の宴を夜通し開くのだから。

 今、私の独断で決めた。


 冒険者とはそういうものだろう。


「そういうことだから、よろしくねミラク」


 私は少女の手を握ったまま、ミラクに向き直り微笑んだ。


 記念すべき2人目の仲間だ。ミラクともニーナとも笑い合って旅をしたいと、そう思った。


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