☆昴
例えば七夕だったなら、晴れてさえいれば天の川が見えるのかもしれない。街中でも目を凝らせばきっと。
何の変哲もない夏の夜、僕らは約束した。でも僕は約束を叶えることができなかった。
でも、彼女はきっと伝えてくれる。
★あかり
八月のどうしようもなく暑い日、彼は天国へと旅立った。残された私の手元には星の形をしたキーホルダーが一つ。
見上げた空には秋の星座が輝いている。ねぇ、ひとつだけワガママ言っていいかな。
もう一度だけ会いたい。できれば燦々と輝く太陽の下で。
☆牡羊座の章☆
駅前に高層マンションが建設されるという噂が流れていた。都市部から少し離れたベッドタウンで、特にこれといった特徴はないけれどそれなりに人口の多いこの街では、夏休みが始まろうとしていた。
今や、公立の学校にも当たり前に設置されているクーラーのおかげで快適に勉強ができる。しかし、僕は地元の高校には行かなかった。というか正確には入学はしたんだけれど、その僅か一ヶ月後に癌が見つかって、入院生活になった。
約一年間の闘病生活にて癌は消えたと思っていた。入退院を繰り返していたので出席日数が足りず、再び一年生をやらなくてはならない。
留年って言葉がどうも気に食わない。サボっていて留年と入院していて授業に出られなかったは全然違うじゃないか。
結局、登校する気が失せてしまった。
一学期の間、ぼんやりと家で過ごしていたが、病院に定期検診には行っていた。
六月、梅雨に入りましたってニュースがちょうど流れていた日のこと。
検診で再発を確認。死にたくなった。
シングルマザー家庭で、母は市役所で働いている。それなりの収入はあるとはいえ、入院、治療費に相当なお金がかかっている。またか。
再発という言葉が受け止めきれずにいる僕の耳に入ってきた言葉は、脳天を突き抜けた。
「余命二ヶ月です」
なんでだよ、前の抗がん剤治療が功を奏して癌は消えたんじゃなかったのか!?
定期検診を受けているのに、どうして急にそんな癌が広がっているんだ!?
こんなことをしても無駄だとわかっているが、医師に詰め寄った。
何を言っても無駄だ、だってレントゲンに写る白いもやの範囲は前に見たものより明らかに大きかった。
なんかさ……。ドラマとか漫画とかで余命二ヶ月の彼女と出会って恋をしたけれど彼女は天国に行ってしまう。みたいな展開ってあるけど、自分がその悲劇のヒロイン的立場になるだなんて思ってもみなかった。
母は泣いた。僕は必死で泣くのを我慢した。
まだ十六歳だ。九月の誕生日迎えることができずに死ぬのか。十代後半なんておそらく人生で一番楽しい時なんじゃないのか!? 暴れたくなる気持ちは、母の顔を見たら急に
母は家に帰って僕に尋ねた。
「何かしたいことはある?」
半月後、僕はちょっと緊張しながら夜間学校へ向かった。公立の高校は退学して、夜間の学校に通うことにした。入院を勧められていたが、学校に通いたいと医師に告げると、先生は黙って頷いた。
夜間にしたのは、公立の生徒に会いたくなかったから。
僕の家から北へまっすぐ進むと、元通っていた公立高校がある。一方、夜間学校は僕の家から南へ進んだところにある。時間も方角もずらせば、元同級生たちに会う可能性は低いだろうと判断した。
夜間は四時半に授業がスタートする。一日四時間で八時半まで。給食はないけど、体育や美術の授業もある。
夜間高校はいろんな世代の人がいるはずよ。と母が言っていた。初登校の日、四時半ギリギリに母に車にて送ってもらう。体はだるかったが余命二ヶ月なんて嘘なんじゃないかと思うくらいその時は動けた。
教室に入ると、確かにおじちゃん、おばちゃん、ヤンキー、なんだか色んな人がいた。
梅雨まっさかりの六月下旬から入学。
クラスメイトは全員で二十名らしい。
普通に現代文の授業が始まった。五時二十分に授業が終わって十分休憩になる。休憩中、近くにいたヤンキーが話しかけてきた。
「よっ、お前誰だ?」
「
「スバル、超カッケーじゃん」
五十代くらいのおばさんも話しかけてくる。
「昴くんね、よろしく。武田と申します」
優しそうな笑顔のおばさん。前の席は同じく五十代くらいのおじさんだろうか。頭頂部の髪が少々薄くなっている。そのおじさんが振り返って
「津田」とだけ言った。
「津田さん、ちゃんと自己紹介するならフルネームで言わないと、それだけじゃわからないわよぉ」
武田さんがやれやれと言った感じで話す。
「あ、わりぃ、オレ白井。
ヤンキーは割と体がごつめで、頭の色が金なのを除くとスポーツマン体型だが、名前は美しいみたいだ。薫より
予想以上に皆が話かけてくれてほっとする。その時、教室のドアが開いた。
「あ、あかりちゃん!」
武田さんがニコニコ手をふっているが、僕はそのあかりちゃんを見てギョッとした。サングラスとマスク、手袋と長袖のタートルネック。
津田さんが無言のまま急に立ち上がって窓のカーテンを閉めた。
「今日から新メンバーが仲間入りよ」
武田さんに紹介された彼女はマスクとサングラスを外す。かわいい顔だ。長い睫毛と二重瞼。新雪のような白い肌に柔らかそうな唇。
「中嶋あかりです」
ニコリと笑った彼女に僕はこころを打たれてしまった。まずい、恋には落ちたくない。あと二ヶ月で死ぬのに好きな人ができたら寂しいじゃないか。
「岡本昴です……」
同い年くらいかもしかしたら年下なんじゃないかと思うくらい彼女は童顔だ。
帽子をとって、上着を脱いだら至って普通のワンピース姿だった。
「あかりちゃんは日光がダメなのよ~」
武田さんが教えてくれる。ああ、そういう病気があるよな。大変だ。
十分休みはあっと言う間に終わり、数学の授業が始まった。彼女の席は僕の斜め前だけど、将棋で言うなら桂馬の位置の斜め。わかるかな?
黒板に書かれた方程式をノートに書き込んでいく。まだ大丈夫じゃないか、余命二ヶ月なんて絶対嘘だ。そう思うくらいなぜか体は軽かった。
四時間目の体育は体育館でバレーボールをするらしい。真っ暗な中、電気をつけてほとんどやったこともないバレーのボールを打ってみると、明後日の方向に飛んだ。
「あら、昴くんはバレーはじめて?」
既に下の名前で呼ばれているが、武田さんはクラスメイトほぼ全員下の名前で呼んでいるようだ。
無口な津田さんがサーブを打つと僕は驚く。速い!
「あ、この人、元バレーボール部だから」
とにかく気になることは一つ一つ、武田さんが説明をしてくれるというシステムらしい。
他にはギャルもいた。今どき珍しい、スカートかなり短めで下にジャージ履いている金髪の女。スカート脱いだらいいのに。
「バレーとかだるすぎ~」
しゃべり方も少々タイムスリップしたコギャル風。前にテレビで見た、平成スペシャル。
ルーズソックスと謎のメイクの女子高生たちがキラキラにデコったガラケーにストラップを山のようにつけていたのを見て、なんかゾッとした。
コギャルは山田っていうらしい。山田さんはやる気ゼロで、コートの端っこに立って動かない。
あとは見学しているけど、細身のおばさん一人、やる気マンマンだけど超下手くそなおじいさん一人、お腹がタプタプしている中年男性一人、本当に年齢も容姿も様々だ。
当然、先生もいる。四十代くらいの男性教師。下手くそなバレーボールはちっともボールが続かない。あっちへころころ、こっちへころころ。
見学しているのは三人、その中に例の中嶋さんもいた。激しい運動はできないらしい。僕も運動をしていい体じゃないはずだけど、半分ヤケクソだ。
医者に体育の授業に参加してもいいですか? って聞くのも愚問だ。あと本当に二ヶ月で死ぬのなら好きなように過ごしたい。
授業が終了後、母が迎えに来た。中嶋さんと少し話がしたかったが、時間も遅いのでその日はそれでお別れ。車の前で手を振ってくれる彼女に手を振りかえした。
雨が鬱陶しい六月最後の日。体の節々が痛いのは筋肉痛か癌細胞のせいかどっちかわからないが、いつもどおり登校した。
教室に着いたのは四時二十分。その時点で中嶋さんは既にいた。
「おはよう」
声をかけて思ったが、朝ではない。
「おはよ」
ニコリと笑った彼女はとても可愛い。
「あ、岡本くん、あかりちゃんのこと気にいっているな~」
後ろから背中をぐりぐりしてくる武田さん。ストレートすぎる。
「若いっていいわね」
か細い声で、小倉さんが声を発した。小倉さんは御年八十歳らしい。
夜間学校の皆は老若男女問わず、仲がいい。しかし、僕は中嶋さんと二人で会話がしたかった。必ず取り巻きが現れるので(八割武田さんだけど)、二人きりで話せることはない。そうだ、電話番号を聞こう。
「あの……」
僕はスマホを取り出した。
「中嶋さん、連絡交換しない?」
「いいよ」
サラリとOKをくれた彼女と連絡先を交換すると、あ、私もと武田さんとも交換、無言のままスマホを差し出す津田さんに少々驚きながら、とにかく全員交換する。あっと言う間に授業が始まった。
いつもどおり授業を終えて帰宅すると九時過ぎだった。夕食と摂って、風呂に入る。体がだるい。ああ、やっぱり自分は病人なんだと実感する。でも心は踊っている。
中嶋さんにどうやって電話しよう。なんかいい話題はないか? 話題、話題……。
その時、リビングの机に置いてあったチラシが目に入った。
「え? 上南市立科学センター閉館?」
僕の声に母が反応した。
「そうみたい、閉館っていっても建て替え工事をするみたいよ」
科学センターには何度か行ったことがある。小学校の遠足でプラネタリウムを見た。確かに古い建物だとは思った。
「星に願いを、閉館イベントって書いてある」
「へえー、どんな?」
「それがシークレットだって」
「何それ」
「シークレットイベント、定員二十名様」
「少ないわね」
「優勝者には豪華賞品って書いてある」
「優勝者? 何か大会でもするのかな?」
エントリーフォームのQRコードが記してある。
「行ってみたら?」
何かわからないイベント、に中嶋さんを誘うことは無謀だろうか?
そう思いつつもとりあえずQRコードを読み込んで、二人分エントリーした。
「開始時間が遅いわね」
母の言う通り、開始時間は夜の六時スタートらしい。日時は二週間後の土曜日だ。
部屋に戻った僕は早速中嶋さんに例のイベントのチラシを写メったものを送る。
『一緒に参加しませんか?』ってすでにエントリー済みで誘う自分はちょっとどうかしている。
エントリー人数が多い場合は抽選させていただきます。と書かれている。つまり二人エントリーしても抽選で一人だけ落とされる可能性もあるってことだ。
ドキドキしながら返信待ち。ピロン♪
胸が高鳴る。
『いいですよ』
敬語かぁ、ちょっと残念。でも断られた訳ではない。何はともあれデートの約束をこぎつけた。
二週間後の土曜日、現在三時で大雨だ。この頃には体が随分重くなっていた。僕はリンパ腫で、若い人にも多い癌だ。前に抗がん剤が効いたのは奇跡のなかのキセキだと思う。
でもさ……若い人に多いとは言っても若い人はそもそも癌を発症する確率はかなり低い。交通事故に合う可能性の方が高いんじゃないか。どうして自分が。
もし……。もし中嶋さんと仲良くなってそういう関係になれたとしても、僕は死んでしまうじゃないか。
シングルマザーの母を一人残すことも心残りで、せめて兄妹がいたらって思った。
泣かない。母が悲しむから。自分に負けるみたいだから泣かない。耐える。
雨の中、靴をはいて、外にでてみるが、体がだるい。
「大丈夫? 無理しないでよ」
「大丈夫。今日は大事なデートだから行きたい」
母に中嶋さんの話をした。車で送ってくれるらしいので、乗り込んだ。雨は次第に小ぶりになっていく。`
エントリーしたのが何人かはわからないが抽選に二人とも当たった。科学センター前で五時に待ち合わせているが、晴れている場合はもっと遅い時間に来ても大丈夫だと伝えた。
せっかくだから少しでも長い時間一緒にいたい。だから雨がやんでも晴れないことを願っていた。
科学センターはいつ見てもボロい。コンクリートにひびは入っているし、駐車場の白線も削れて見にくい。駐車場前についているカーブミラーさえ一部ヒビが入って割れている。
敷地面積は広いので、取り壊すとなったらきっと大掛かりな工事になるのだろう。新設される科学センターのイメージイラストが貼られているが、オシャレな木目調のタイルに芝生の庭、桜の木も描かれているから、植えるつもりなのであろう。この美しい施設を僕が見ることはきっとないのだろう。
雨がやんだ。頼む、晴れないで。四時五十七分、一台の車が駐車場に入ってきた。
フードをかぶり、サングラスとマスク姿の彼女が助手席から降りてきた。
「ごめんね、待たせた?」
僕は首をふる。
「全然」
夏だけど当然、彼女は長袖長ズボンスタイル。
「暑くない?」
そう聞くと
「大丈夫」
と彼女は答えるけど、サングラスのせいで目が見えないしマスクで口も見えないから笑っているのかどうなのかよくわからない。
僕はカバンの中からサングラスを出してかけた。
「えっ……」
「お揃い」
「ちょっと待って、そんな気、遣わないで」
「似合わない?」
「そういう問題じゃなくて。怪しいでしょ。高校生二人がサングラスって」
そういう見解か。僕は少し笑ってしまった。
「建物の中に入ろうか」
スマホに送られてきたQRコードを読み取ると中に入れる。彼女はサングラスを外して、フードを取った。マスクも外すと可愛らしい顔は汗をかいていた。
「やっぱり暑かったんだ」
僕がそう言うと、うーん、まぁねと曖昧な返事。何を考えているのか、どういう人物なのか出会ったばかりの僕らはまだお互いをよく知らない。
武田さん曰く、見た目と中身のギャップが激しいらしいが、そんな風には見えない。どういうことですか? って武田さんに聞いたら、秘密って言われてしまって気になって仕方ない。
彼女をじろじろ見ていたら不審がられた。
「あの、何かこの格好じゃまずかったかな?」
爽やかなブルーのシャツとベージュのパンツ姿。シンプルな服装だが顔が可愛いので百点満点である。
「あ、いやそうじゃなくて」
「???」
僕は正直に聞いてみることにした。
「あの、武田さんがさ、中嶋さんは見た目と中身のギャップが激しいって言ってたんだよ……」
言ってよかったのかな? でも気になる。それを聞いた中嶋さんがプッとふきだす。
「アハハハ! それ聞いちゃった? やだな~、秘密にしてたのに」
お腹を抱えて笑う彼女を初めて見た。
「中学校の時の写真、見る?」
そう言って彼女がスマホを取り出して、僕の前に掲げた。そこに写っていたのは金髪でメイクの濃い女の子。
「えっ? え?」
「これ私だよ」
「えっ……」
言葉がでない。
「まぁいいじゃん。外見も中身も超サバサバかもね」
サバサバなのか、こんな童顔でアイドル顔の彼女が。
身長もちょっと低めの彼女は、ランドセルを背負ったら小学生ですって遊園地とかの入園料を小学生料金にできなくもない。なんて思ったけどそれは失礼か。
「なるほど……」
「納得した?」
「納得しないw」
「ええっ⁉️」
「人は見た目によらないって言うからね」
「えー、じゃあ岡本くんもギャップあり?」
「あるかも」
「どんな?」
「秘密」
「えーっ!」
夜は狼になる。なんて口が裂けても言えない。健康だった中学生の頃、僕には彼女がいた。一つ歳上で気の強い彼女の犬のような存在だった僕は彼女にもてあそばれていた。
普段は彼女に断然リードされていたが、満月を見るとなんだか意味不明な自信が湧いて彼女を口説いていた……なんて、黙っておいた方がいい。
ちょっとめまいがした。
「大丈夫?」
「ごめんどこか座ってもいい?」
「うん、座ろう!」
近くにあったベンチに座ったが、そのベンチの隣にある自動販売機に電気が灯っていない。販売終了って書かれた紙が貼られている。
「お茶飲む?」
そう言って、中嶋さんが持っていたリュックから水筒を出してくれた。
「全然、優しいじゃん」
「ぶー、全然って言葉は否定形に使うんだよ」
「国語の先生ですか?」
「ついでにおにぎりも作ってきたの。はい」
「ちょっと待って、すごい家庭的」
中嶋さんが渡してくれたおにぎりは手のひらにギリギリ乗るくらいの大きさだった。
「ありがとう。いただきます」
僕はラップの中の海苔巻きおにぎりにかぶりついた。
「……」
「どうしたの?」
「えっ?」
「急に無口になったから」
「あ、うん……」
黙り込んだ彼女は、長い睫毛が下に向いている。
「ごめん、もしかしてこれ今、食べたらいけなかった⁉️」
「ううん、そうじゃなくて……」
「?」
「岡本くん……病気なの?」
ああ、そうか。中嶋さんには僕が余命二ヶ月だなんて言っていない。正確には告知されたのは一ヶ月前だからあと一ヶ月程度か。
「誰かに聞いたの?」
僕は担任の先生にだけ病気のことを話している。
「ううん、手首が前より細くなったから……」
どうしようか。言おうか、言うまいか。
「私ね、お姉ちゃんがいるんだ」
「え、そうなの?」
「うん、市立上南第一高校」
それは僕が通っていた公立高校だ。ああつまり……。
「お姉ちゃんから聞いたの?」
中嶋さんはコクリと頷いた。
「一年生で留年した子が辞めちゃったって。その子、どうやら癌らしいって」
だったら隠しても無駄か。
「うん、その通り。それ多分オレだ」
一応、人前では格好悪いからオレと言っている。心の中では僕だけど。余命があと僅かなことは黙っていよう。その時、五時集合ということでエントランスに誰かが入ってきた。三十代くらいの男女……。お揃いの指輪をしているので夫婦だろうか。その後、次々と人が増えていく。
「今は何時?」
僕はポケットからスマホを取り出した。
「四時四十五分、何があるんだろうね」
一、 二、三……確かに全員で二十名いる。そして黄色のポロシャツを着たお姉さんが二
人。ポロシャツの胸元には『上南市立科学センター』と記されているのでスタッフだろう。
「お待たせしました。上南市立科学センターにようこそお越しくださいました。これから閉館直前のイベントを開催させていただきます。
こちらの科学センターは千九百八十四年に創立されて今年で四十歳を迎えます。老朽化のため、建て替えが決まり、明日をもって閉館となります」
スタッフのうち、パーマの長い髪の女性から茶髪の女性にマイクが渡される。
「ここで、一つ注意点がございます。今回のイベントは夜通し行われます。午後六時スタート、明日の朝六時終了です。もし、体力に自信のない方、徹夜なんて無理だという方、そんな長時間ごめんだという方は申し訳ございませんがお引き取り願います!」
何だって、夜通し⁉️ そんなつもりは当然ない。ここにいる全員そうであろう。
先ほど見かけた三十代の夫婦が声をあげる。
「ちょっと待って何それ⁉️ せっかく来たのにシークレットにも程があるわよ。いったい何のイベントなのか教えてちょうだいよ!」
「そうだそうだ!」
「何かわからないのに帰れってどういうことだよ!」
僕は中嶋さんの顔を見る。当然彼女も僕を見る。お互い困惑している。
「失礼致しました。今夜のイベントは皆様の人生を変える大きなイベントです」
人生を変える、だと⁉️
「何それ意味わかんないっ!」
「では、イベントをお伝えします。題して『星に願いを、マネーゲームイベントです!』」
茶髪の女性がそう言い放ったが何のことだか。マネー……えーとつまりお金?
「マネーって何? お金⁉️」
そう尋ねた男の目の色が一気に変わった。
「そうです。皆さんにゲームで闘っていただいて、優勝者には一千万円が送られます」
何だって⁉️ 一千万円⁉️
「あやしー、帰ろ、お姉ちゃん」
「うん、意味わかんないし」
そう言って、派手な女の子二人が科学センターから出ていく。
「確かに怪しいわ。一千万も一体誰が支払うっていうのよ⁉️」
ふくよかなおばちゃんが尋ねる。
「このゲームにはスポンサーがついています。上南市に大きな工場があるのをご存知ですか?」
大きな工場ってもしかして、大正製菓のことか?
「大正製菓ですか?」
僕は思わず声を発してしまった。
「その通りです」
マイクを持った茶髪の女性は笑顔でそう答えるが、スポンサーがついてだから一体何があるというのか?
「ちょっと待って、スポンサーがついたところで何のためにそんなゲームをするの⁉️」
「えっとですね……少々お待ちください」
突然、科学センターに誰かが入ってきた。これは……⁉️
「どうも、中橋テレビ局です」
まさか……カメラマンと何か長いマイクもった人がいる。
「このゲームは録画されます。放送日は九月の末です」
「えええええっ⁉️」
会場がザワつく。そりゃザワつくだろう。サプライズにも程がある。
「ですので、テレビに顔が出るのはゴメンだって方もお引き取りください」
女性のアナウンスで、渋々何名かが科学センターを後にした。
「どうしよう、中嶋さん……」
「私、夜の九時くらいに帰るって言ってしまった……」
「だったら帰ろう」
科学センターの入口に向かうと、突然中嶋さんが僕のシャツの袖を引っ張った。
「待って……」
「?」
「あの、あの……」
「どうしたの?」
「やっぱり……参加したらダメかな?」
「えっ……」
「その……岡本くんと長い時間一緒にいたい」
そう言って中嶋さんが頬を赤らめた。
僕の心に稲妻が走る。そんな可愛い顔をしたらダメだなんて言えない。一緒にいたい、一緒にいたい……何度も頭の中で反芻する。
結果、その場に残ったのは八名になった。
「えっと、ではこちらの八名は参加でよいですね?」
僕はまわりを見渡す。
先ほどの三十代夫婦。そして、六十代くらいのおじさん一人、四十代くらいのおじさん、若い女の子が二人いる。
「質問なんだが……」
四十代くらいのおじさんが手を挙げた。
「うまい話にはだいたい落とし穴があるもんだ。賞金の話しか聞いていないけど、負けた場合はどうなるんだ?」
「それは残念ながらお伝えできないんです」
「何だって⁉️」
おじさんが司会進行を進める職員にズカズカと近づく。
「ふざけているのか⁉️」
「ふざけていません。負けたら罰ゲームがありますが、それは番組の構成上、秘密ということになっています」
おじさんの剣幕にひるむことのない茶髪の女性が淡々と答えた。
「えっ、罰ゲーム⁉️」
若い女の子のうちの一人が声を出した。
「え、何それってお笑い系? たとえばパイ投げられるとか」
「えーやだー」
二人ともいくつくらいだろうか。僕と同じ、いや少し歳上にも感じる。
「パイで済んだらいいけれど、負けた場合はとんでもない罰が待ち受けていると困るよ」
六十代くらいのおじさんが眉をひそめる。
「本当に一千万も出んのか? それって番組的に一千万獲得しましたっていうだけの設定で実は出ないとか」
なるほど、それも有り得る。
「すみません、色々気になることはあるでしょうが、現在五時四十分です。六時になったらゲームを始めさせていただきたいので、それまでにご決断ください」
僕は改めて中嶋さんの顔を見る。
「とりあえず……親に相談するか」
スマホで、事情を伝えると何それ? って返答。そりゃそうだ。若い女の子と一緒なのに一晩帰らないなんて、私はいいけど向こうの親御さんがどう思われるかしら。と母はゲーム内容よりもそっちを心配していた。
中嶋さんも親に電話をかける。何を話しているのであろうか。
「どうだった?」
電話を切った彼女に問うと、大丈夫と答える。え、大丈夫なの??
「本当に大丈夫なの?」
「うん、だって私、ほら日中外になかなかでられないから、
夜に出かけることも多くて」
そうだとしても、男と一緒という点は大丈夫なのだろうか。時間はあっという間に過ぎる。
「それよりも……」
「?」
「岡本くんの体力が大丈夫かなってそれが心配だから、無理だったら……」
そんな、そんな悲しそうな顔をしないでくれ。帰るなんて口が裂けても言えなくなる。
「それは大丈夫だよ」
痩せ我慢だったけど、この際もうぶっ倒れてもいい。どうせもうすぐ死ぬんだから。