「昼永、"俺"が聞いているのと話が違うぞ。〈妖狐の一党〉はお前が最後の生き残りじゃなかったのか」
「ん?ん、ん~。そのはずなんやけどねぇ」
やや焦り気味に大友刑事が言って、昼永さんが首をひねる。「妖狐の一党?」と僕らがオウム返しにすると、昼永さんが簡単に説明してくれた。
なんでも、昼永さんの血筋の妖狐はその血を薄めないために、分家にまで勢力を拡大しないように、わざと血筋を制限していたのだという。結果、〈妖狐の一党〉は更に血を濃くし、より魔力の高い妖狐一族として他の妖狐を駆逐した。しかし、そうした極端な御本家主義の結果後継ぎが少なく、昼永さんの代で妖怪大戦が起きて後継ぎや一族が昼永さん以外全滅し、もはや次の代を作れなくなってしまった――ということらしい。
「あるとしたら、駆逐した別の妖狐の一族の生き残りの可能性やなぁ」
「……悪いが、そいつを借りるぞ。この国では"妖狐"は警戒対象であり保護対象だ。そいつの家族も調べ上げることになる」
――えっ。
僕は咄嗟にのどかの前に出てしまったし、のどかも僕のうしろに隠れた。濁都はしばらく考えたあとに、ハァと溜息を吐いたあとに、「わかったよ、ノッてやるよ」とやれやれ口調で僕の隣に並んでくれた。
ていうか、この中でいちばん戦えないのはたぶん僕だ。
でも、のどかは、せっかくふわふわの四本のしっぽをしゅんとさせて、僕のうしろに隠れているのだから、僕が前に出なくてはならないのだ。
「昼永。こいつを連れて行く」
「ほいなっ」
昼永さんが派手に下駄の音を立てて飛び上がった。また、懐から札らしきものを取り出している。投げつけるつもりらしい。
その速度に反応できたのは、意外にも怯えていたのどかだった。のどかは素早く地面から砂を掴み、同じく高くジャンプすると、昼永さんの眼前に札より先に投げつける。
「ぎゃいん!」
蹴られた犬のような声を上げて案外簡単に怯んだ昼永さんは、また手から札を取り落した。
…………。
昼永さん、物理攻撃してくる相手苦手なんだろうか……。
「ぼさっとするな!こっちだ!」
着地したのどかと、結局何もしていない僕をまとめて肩に担ぎあげ、濁都は近くの茂みに身を隠す。
だがこれも一時しのぎだ。一瞬視界を奪えたのは昼永さんだけで、大友刑事は僕たちが隠れる瞬間を目撃したはずだから、すぐにこの場所は分かるだろう。
「で……どうする?」
濁都がやや息を切らして訊ねた。その小さい体躯でよく僕らふたりを抱えて駆け抜けたものだと言いたいところだが、どちらかというと問題は走ったほうだけだろう。
僕は、未だ不安そうにしているのどかを見た。
「のどかはどうしたい?」
「……わかんない」
のどかはばつが悪そうにして言う。
それから、
「ねえ、何かいい考えない?街灯くん」
なんて、とても無責任で重大な役割を僕に押し付けてしまった。
憎たらしいけど憎めないやつめ。
そんなふうに頼られたら、僕はひと働きしなくてはという使命感に駆られてしまう。
「――じゃあ、こうしよう」
■■
「おーい!そこに居るのは分かってんでー?」
昼永さんの声が近づいてくる。それと、ふたりぶんの足音。
ちょうどいい距離感のあたりで、僕らは打ち合わせ通りに飛び出した。つまり、僕はそのまま、濁都はのどかの首根っこを掴んだ状態、という格好で。
「ぎゃああああああ!なっなっなにしてはんの!ウチの未来のお嫁さんにいいいい!!」
「騒ぐな昼永。……何のつもりだ?」
僕は息を吸ってから、「見ての通りですよ」とできるだけ自分が落ち着いて優位であるように振舞った。
「話をきかずにのどかを連れていくなら、今ここで殺しちゃいます。あ、それ以上近寄ったら首の骨をスグ濁都に折ってもらいますよ」
もちろん、骨を折る云々はハッタリである。ただ、真実味を持たせるために首根っこを掴んでもらっているため、のどかは今現在非常にうぐうぐしていて苦しそうだ。……ご、ごめん。
僕が行いたいのは交渉だった。
先の会話から、のどかが成った妖狐は非常に稀少な種であるのが想像がつく。そのことから、警戒対象だけでなく保護対象となっていることを鑑みても、相手組織にとって価値が高いものなのではないか――つまり脅しや交渉材料に使えるのではないか、という計算だ。
ひとまず、大友刑事と昼永さんは――ぴたりと歩みを止めた。
「……"俺"に望む条件は何だ」
「まずひとつ。のどかを連れていくなら、僕も連れていってください。ふたつめは、濁都を大友刑事が追っている捜査に参加させてあげてください」
「……。……その条件は……一度に叶うな」
だが、と大友刑事は口ごもる。
そうだ。そこが大友刑事の弱みなのだ。
だから僕はそこにつけ込む。
「おい、そろそろヤバイぞ」
濁都がこれも打ち合わせ通り、合図を教えてくれる。合図というのは、のどかが気を失った合図だ。
のどかは泡を吹いて気絶していた。
これだけの時間首根っこを掴まれていたら、当然である。
やはり、大友刑事から露骨な焦りが伝わってきた。僕も手の内に汗が滲む。でも涼しい顔は崩さない。これはチキンレースだ。先に命のブレーキを掛けた方が負け。
数秒して、ヒューヒューと隙間風の通り抜けるような呼吸音と痙攣が発生した。僕も踏み出しそうになるが堪える。大友刑事は手のひらに爪を立てている。ヒューヒューと鳴る。僕はポーカーフェイスを保てていないかもしれない。汗が額から落ちた。無音。無音。無音?
僕は跳ね上がりそうになって、それでも、一瞬で理性が勝ち、耐えた。
そして、大友刑事が負けた。
「――もういい!分かった!"お前たち"を連れていく!」
のどかが解放され、崩れ落ち、地面にへばって盛大に咳き込んだ。