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10張り込み調査


 嫌々ながらも、本当に嫌々で、帰りたいながらも、関わり合いになりたくないながらも、脱兎のごとく逃げ出したいながらも、僕らは半強制的にこの事柄に関わることになってしまった。

 しかもたちが悪いことに、僕の幼馴染は乗り気である。

 こうなったら付き合ってやらないわけにはいかないではないか!


「ほんとお前ノリがいいのな」


 張り込み二日目。黒い電波塔。

 夜も深くなった頃。

 最初の一時間こそゲームをしたりお喋りに興じたりと活発だったのどかは、今やすっかり夢の中である。僕は、濁都とふたりでかつて秘密基地としていた電波塔のコンクリート部分に腰を下ろし、身を隠して張り込み調査を行っていた。

 あれだけ居た濁都の部下たちには帰ってもらっている。というのも、もし犯人が「この電波塔付近の人間」を選ぶのが条件でターゲットを選定しているのだとしたら、大人数でわいわいやっていては明らかに近寄ってこない。犯罪抑止でなく犯人を捕まえたいならば、見張りよりも少人数体制の張り込みだ。

 しばらく待つと――だいたい3時間か――白髪の奇妙な和装をした男が、突然夜の霞から、ぼや、と浮き上がり、月明りの獣道に現れた。

 僕は一瞬にして息が詰まり、肘の先で濁都を小突く。

 濁都も無言で頷いている。

 ――僕が囮になる。

 ――わかった。

 小声で話し合い、すぐに僕は電波塔から抜け出た。男の視線をかいくぐり、いかにも「向こうの道から散歩に来ただけですよ」というていで、ゆっくりと歩き、男とすれ違おうとする。


「ちょお待ちぃ、オニーサン」


 僕は立ち止まる。


「あんなあ、ウチ――」


 男が和服の懐に手を入れて何かを取り出そうとした。

 ――のちに僕は知る。彼は「こういうものやねんけど」と言って、警察手帳を出すつもりであったということを。

 死角から遠回りしてきたのだろう。突如男の背後から、男の脳天目掛け、濁都が踵落としを決めた。

 ――いや……正確には決まっていなかった。

 踵落としの瞬間、素早く男は反応し、振り向いて、その動きにくそうな和装からは想像もつかない素早さで回避してしまったのだ。

 外れてしまった踵落としは、ズガン、と物凄い音を立てて、地面に穴をあけ、豪快にヒビを入れる。

 ――こ、殺す気だっただろ……。

 こわっ。

 一方で、妖艶な男は獣道を逸れた木の枝に留まり、何が嬉しいのか、不気味ににたにた笑っている。


「はぁ~……。近頃の子の挨拶は物騒やなぁ。でもまあ、その時代に合わせるんが妖怪の本質やからなぁ」


 暗かった木々の隙間に、月明りが差し込む。

 獣道を逸れてからの、男の姿がよく見えるようになった。

 男の姿はまさに"妖狐"といえるものに変化していた。

 白い毛並みの良い狐の耳が頭の上に生えている。

 白い毛並みの良い狐のしっぽが腰のあたりに生えている。

 男はなおも笑って言った。


「そっちがその気なら、"ご挨拶"させてもらうで、オニーサン」



◆◆



 …………。

 えーと。

 どうしよう、この展開。

 濁都は殺気全開で男に襲いかかっているし、妖怪とか自称する男はぴょんと軽くそれを避けてしまうしで――じゃなくて、

 たぶんだけど、なんだかおかしい気がする。

 彼はこの襲撃事件の犯人なんだろうか?

 そうなのだとしたら、腑に落ちない点がひとつある。彼が、すれ違いざまに、僕に話しかけてきたことだ――本来殺害したいなら、こんな絶好の殺害チャンスなら、声をかけたりなんかしない。先ほどの濁都のように、無言で身を潜めて奇襲するはずだ。彼は犯人にしてはあまりに堂々としすぎていて、違和感があった。


「ほい、時間切れ~」

「――うわっ!」


 男が懐から素早く一枚の札を取り出して、濁都に投げつける。反射的に濁都は距離をとってそれを避けた。はじめてこの男が攻めに転じた瞬間であった。

 札は目標を失い、ぺしゃりと軽く地面に落ちた。「おや、」と、男は驚いた顔をする。


「それを避けられるとは思ってへんかったわぁ。――案外脳筋やないんやねぇ」

「……クソッ……」


 だが、体力の差が歴然である。

 男は未だ息ひとつ乱していないのに対し、濁都はそろそろ息が上がってゆき始めていた。

 男は待っていたのだ。ただ回避していたわけではなく――狡猾に。相手のスタミナが切れるまでを。

 そしてどうやら、いくら怪力でも体力は外見通りのステータスらしい。僕は考えた。どうしよう――。声を今あげても、なだめても、今の濁都が冷静に聞いてくれるかどうか……。第一もはや相手もやる気だ。どうして本当、こんな展開になったんだよ。

 僕が頭を抱えていると、懐かしい顔が獣道の向こうからやってくるのが見えた。

 まさか。

 あれは。まさかまさか。

 十年という時を経て多少老けているが間違いない。あの深々と彫り込まれたようなクマ。よれよれのシャツにだらしないスーツ、左右で大きさの違う瞳。

 大友おおとも篤弘あつひろこと――大友おおとも刑事が、道の向こうから、やってきたのだ。


「――大友刑事!」


 地獄に仏とはこのことだ。僕はできるだけ声を張り上げて叫んだ。もうこの事態を収めるには、警察を頼りにするしかない。こういうことにしよう。助けてください、悪漢に襲われたんです――と。

 しかし、僕はいいとして、片方が少女とはいえ〈楽器を叩き壊す白兵隊〉の特攻服を着ている。逃げ切れるか?誤魔化しきれるか――?

 などと考えているうちに。


「げっ」


 と、和装の男は手に持っていた札を取り落とし、

 ずかずかと歩み寄ってきた大友刑事に、


「お前は馬鹿か、"俺"に手間を掛けさせるな」

「ぎゃふん!」


 ごつん!

 と、星が散るようなげんこつを、見事脳天に、あんなに容易に直撃させたのであった。


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