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04一難去って一戦


「なんで逃げるんだよ!!なんで手首も持ってくるんだよ!!」

「ごめん!!ごめん!!だって証拠品だし!!」


 馬鹿かコイツ!!

 僕らは全力疾走で駆け出しながら、お互いに叫ぶように会話をしていた。呼吸にはまだ余裕がある。僕は運動が得意なほうではないが、まだ平均程度ではあった。そして、僕よりもやや前を引っ張っていくのどかは、僕よりも身体能力が高い。外遊びが好きなタイプなので、運動神経がいいのだ。いざというときは、彼女だけ逃がすという選択肢もありうる。

 背後の気配は。

 幸運なことに、引き離せているようだった。僕らが脱兎のごとく逃げ出してすぐに追いかけてきたが、喫煙の癖でもあるのか、息切れをすぐに起こしたようでペースダウンが激しく、子供であり健脚の僕らにすぐさま引き離されてしまったのだ。


「こっち!」


 のどかはあろうことか、道を外れて、完全な獣道でもない木々のほうへ足を踏み出した。どう考えても無謀だ。いくら狭い森とはいえ、迷うかもしれない。


「おい、のどか!」

「大丈夫!信じて!」


 僕はそれ以上言わなかった。あののどかが、シンプルにそう告げたのだから、嘘や虚栄は絶対に無い。根拠はないが何か自信がある。そういうとき、のどかは頼りになる。

 のどかは鬱蒼としかけた道なき道をぐんぐんと迷わず先導してゆく。引き離されていた男の気配が、背後から戸惑いとともに消えたのが分かった。――見失ってくれたのだ。

 しばらくして、のどかはやっと息が上がり切ったのか、へたりと腐葉土の地面に腰を落ち着ける。僕も、彼女より当然疲労しきり、ぐったり息切れを起こしていた。


「なんで持ってくるんだよ、手首……」


 やがて僕が呪うように言うと、むくれてのどかが答えた。


「だって、悪い人なら、通報しなきゃ。この手首は証拠品だよ」

「その可能性もあるにはあるけど、もしかしたら、偽物かもしれないだろ」


 確かに、まともそうな男にはとうてい見えなかったが……。はたして、話し合いなどが通じる相手かどうか。もしかしたら、彼女の言う「逃げる」という選択肢が正解だったのかもしれない。よく分からない。


「あっ」

 ところで、のどかは何か新しく興味を引くものを見つけたのか、手首を投げて (慌てて僕がキャッチした)地面に落ちている何かを手に取った。


「ノートだ!」


 どこにでもある、大学用のキャンパスノートだった。誰かが落としたのか捨てていったのか。ぱらぱらとめくるが、中身は白紙である。雨晒しにはなっていないようで、新品に近い。美品だ。

 のどかはさっそく、うさぎのリュックを下ろすと、中からボールペンを取り出して、上欄に空白をあけ、一番下の行に「2030年■人類滅亡」とノートに書き記した。


「……な、なにやってんの?」

「受信した!」


 あっけらかんとのどかは答えた。


「それでね、この空欄をね、埋めるのが宿題ね!」

「……え?僕が?」

「うん!」


 やや混乱したが、彼女なりにも混乱して、現実逃避のごっこ遊びを挟んできたのだろう。僕は承諾して、とりあえずノートを引き取ってあげた。


「つまり、社会科の『白地図』みたいなものだよね?後から空欄を埋めてく、っていう」

「そうそう!おねがいね!」


 人類滅亡前提で空欄を埋めていく白地図か……。まあ、趣向としては面白そうだけど。

 でも今やるべきことではないのは確かだ。

 僕はついさっきキャッチしてしまった手首の重さを噛み締める。明らかに、重すぎる。精巧な人形にはない、ずっしりとした、死体の重量感。

 いくら見失っているとはいえ、いずれ留まっていれば見つかるのは確かだ。

 外へ助けを求めに行くべきか?しかし……。


「……そういえば、この道から抜ける方法、のどか、分かるの?」

「分かる!っていうか……黒い電波塔の方向が分かるよ!」


 僕は首を傾げた。


「それは……どうして?」

「……電波が出てるから?」

「えええ」


 答えになってない。

 しかし、ともかく、彼女の野性的直観は、あの黒い電波塔の位置を察知しているらしいのだ。

 しかしそれは同時に、電波塔の場所に再度出てしまうということになる。

 …………。

 そういば。

 なぜ、犯人は、手首を持ち去って、あんなところに置いておいたのだろう?

出血量からいって、殺人現場はあそこではない。放置されて久しい。男はどちらかといえば、放置されていた手首を探しに来た側にも見える。

 僕は考える。

 そして――ひとつの結論に辿り着いた。


「このあたりって、確か、野犬が出たっけ」

「出るよ!……でも、どっちかっていうと、すみかは隣町のほう?」


 パズルのピースが見事に合わさる感覚がした。

 僕の考えが正しいのなら――僕らはとんでもない勘違いのうえに、最悪の選択肢をとって、今、絶望的な状況にいることになるかもしれない。


「……のどか。まだ、走れる?」

「え?うん」


 幸い、小休憩で息は整っていた。最悪なのは、手首――自分の横取りされた獲物を嗅ぎつけた野犬がここまで追跡を終えて、今まさに、飛びかかろうとすぐそこに潜伏しているということだ。


「――電波塔まで走れ!!」


 僕の叫びに呼応し、弾かれたようにのどかは駆け出した。迷いのない進みからして、本当に道がわかるらしい。しかし、今度の追跡者は僕らよりも足が速い。すぐさま僕らが駆け出したとみるや、茂みから飛び出して、おぞましい爪音を立ててじりじりと接近を試みてくる。

 木々を越えると、電波塔はすぐに見えてきた。僕らは電波塔の足に飛びつき、素早く上へとよじ登る。こういうとき、身軽な子供は非常に有利だ。


「ふう……」

「ひと安心だね~……」


 適当な鉄柱に腰掛けて、足元でしつこくバウバウと吠える野犬が諦めるのを待つ。どうにか、窮地は脱せたようだ。


「でも、どういうこと?犯人は、ワンちゃん?」


 のどかが首を傾げる。僕は頷いていいものか迷って、まあ、そのようなものだと結局頷いた。


「この森の向こうって、隣町だろ。近くには駅もある」

「うん!結構都会だよね!」

「で、たぶんだけど……近くの線路で人身事故が起きたんだと思うんだ」


 こいつに人身事故なんて難しい言葉がわかるかなと心配だったが、理解できたらしい。なるほどなるほどと顎に手をあてて、それから、不謹慎にも死体の手首をぷらぷらさせ、


「つまり、あのワンちゃんが、事件現場から持ってきちゃったわけだね!」


 と、あっさり結論を出した。


「うん。だから、さっきのあの人は、たぶん警察の人だよ。ここで待って、おとなしく手首を引き渡そう」

「そうだね!市民のギムってやつだもんね!あ――、」


 え?

 あ、ってなんだ、あ、って。

 嫌な予感とともにそちらを振り返ると、ちょうどのどかが、手遊びしていた死体の手首を、手から滑らせて落としていたところだった。


「あっ」

「あっ」

「ああ――!!」


 ふたり揃って落とさないように慌てた結果、ふたり揃ってバランスを崩し、手首とともに電波塔から落下した。

 当然ろくに受け身も取れず、したたかに背中を打ち付け、しばらく脳内に星が散る。だがそんな場合ではない。ふらつきつつも僕はすぐに起き上がり、周囲の状況を確認した。のどか。のどかも大した怪我はなく、同じく立ち上がっている。僕らの後ろに手首が落ちている。前方には唸る野犬。

 手首を投げれば、あるいは満足して戻るか。

 ……いや、ここに手首があった、ということは、ここが犬の縄張りの可能性大だ。だいぶ怒りを買っている。それに位置関係的にも、手首をあげたところではいさようなら、とはいかないだろう。


「……のどか。何か武器っぽいもの、ある?」

「バットならあるよ」


 のどかはウサギリュックから、黒い子供用バットをずるりと抜き出した。

 いやおかしいだろ。

 大きさ的にそれには入らないだろ。四次元ポケットかよ。


「と、とりあえず借りておく」

「いいよ。あげる」


 まあ犬を殴るのだしそれもそうか。

 とはいえ、殺傷武器としてはあまりに頼りない、木製の軽すぎる子供用バットを僕は構えた。無いよりはマシだ。リーチがあるだけアドバンテージになる。

 犬が飛びかかってきた。

 僕は意を決し、バットを振り上げた。


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