明瑠と杏は、警察官である両親から応急処置の基礎を学んでいた。その知識が、今この緊急事態で大きな役割を果たすことになった。二人は血まみれの光輝に最低限の応急処置を施す。

「はぁ、はぁ……とりあえずこれで何とか持ちこたえられるかも……」

杏は額の汗を拭いながら、息を整える。普段は気楽に受けていた親の訓練が、ここで本当に役に立つとは思っていなかった。

「ふぅ……父さんと母さんに感謝だな。正直、こんな形で役立つ日が来るなんて考えもしなかったけど」

杏も同じく胸を撫で下ろしながら、心の中で両親に感謝していた。しかし、光輝の容態が安心できるものではないことは、二人とも明白だった。

「でも、たまたま大きな血管が傷ついてなかっただけで……このままじゃ……」

「あぁ、早く医者に診せないと……でもこの状況じゃ……」

二人の周囲はまるで大地震が発生した後のようだった。建物は崩壊し、火災が各所で発生している。まるで災厄が街全体を飲み込んでいるような光景が広がっていた。救急や警察、消防、両親に何度も電話をかけてみたが、全く繋がらない。周囲で同じような混乱が広がっており、通信回線は完全にパンクしているのだろう。

「病院まで連れて行きたいけど、大人の男の人なんて、私たちじゃ無理だよ……」

杏は焦燥感を隠しきれず、震えた声で言う。

「……」

明瑠は一瞬考え込むと、覚悟を決めた表情で杏に向き直る。

「俺が病院まで行って、助けを呼んでくる」

その言葉に、杏は驚愕し、すぐに反論した。

「え！？無理だよ！さっきの奴らみたいなのが、まだあちこちにいるかもしれないんだよ！危険すぎるよ！」

彼女の声には明らかに不安が混じっていたが、明瑠の目は決して揺らがなかった。

「かもしれない……でも、俺たちを命懸けで助けてくれたんだ。この人を見殺しにするなんて、俺にはできない。俺も命を懸けて光輝さんを救いたい！」

明瑠の決意に、杏も動揺していた。彼の言っていることは理解できるが、危険すぎる選択だった。彼が行ってしまえば、もう二度と戻ってこないかもしれない。その不安が、彼女の足を重くしていた。

「でも……もしかしたら、助けが来るかもしれない……」

杏はその可能性に一縷の希望を託した。しかし、明瑠はその甘い期待を一蹴した。

「この状況で！？来るわけないだろ！！」

明瑠の言葉が鋭く刺さる。彼の言う通り、この混乱の中で外部からの助けが来る可能性は限りなく低い。それでも、杏はどうしてもその現実を受け入れることができなかった。

「うぅ……でも……」

「とにかく俺は行くぞ！まずは光輝さんを見つかりにくい場所に移さないと！」

明瑠の言葉に従い、杏も観念し、2人で光輝を崩壊していない家の外壁の中へと運び込んだ。

「はぁ、はぁ、はぁ……重い……」

「はぁ、はぁ……これで分かったろ？俺たちじゃまともに運べない。それに……助けが来る可能性なんて、ほぼゼロだ……」

明瑠は息を整えながらも、冷静に状況を分析する。光輝は確かに彼らを助けてくれたが、今ここで動かなければ、その光輝を失う可能性が高い。しかも、先ほど彼らを襲った怪物のような存在が他にも潜んでいるかもしれないという恐怖が、2人を取り巻いていた。

「光輝さんが何者かはわからないけど……少なくともここには、あんな特殊能力を使えるSAU三人を瞬殺するような化け物がまだ他にもいるかもしれない」

「このまま助けを待っていたら、俺たちが見つかるかもしれないし、光輝さんの容態が悪化するかもしれない」

杏も明瑠の言葉が正しいことを理解していた。しかし、危険な行動を取るのにはどうしても踏み切れないでいた。

「……分かるけど……でも……」

そんな彼女に、明瑠は幼い頃から両親に言われ続けた言葉を思い出し、諭すように語りかけた。

「父さんと母さんが言ってたろ？困っている人がいたら助けてあげなさいって。それが巡り巡って自分に返ってくるんだって。返ってきたら、また誰かを助けてあげれば、みんなが幸せになれるんだって」

杏はその言葉を聞きながら、涙が浮かびそうになる。彼女もそれを何度も聞かされて育ってきた。

「……うん」

しかし、明瑠は少し皮肉な笑みを浮かべながら、続けた。

「まあ正直な話、俺はそんなただの綺麗事だと思ってるし、ずる賢く生きてる奴のほうが世の中得してるとも思ってるんだけどな」

杏は少し驚いたが、彼の言葉にはどこか深い誠実さが感じられた。

「でも……この人は、命懸けで俺たちを救ってくれた。だから、俺もその恩に報いないといけないって思うんだ」

その言葉に、杏もついに覚悟を決めた。彼女は深く息をつき、頷いた。

「……分かった。光輝さんを救おう」

明瑠は準備を整え、病院に向かう覚悟を決めた。しかしその瞬間、彼らの頭上、崩れた建物の陰からゆっくりと浮かび上がるように、怪しい影が二人をじっと見下ろしていた。

上空には、不穏なシルエットがぼんやりと浮かび上がり、静かにその姿を潜ませている。闇に紛れるかのように、影は一切の気配を漏らさず、冷笑を浮かべながら二人の動きを観察していた。

「ンフフフフ、おや、様子を見に来たら面白そうなことになってますねぇ」

だが、二人はその気配にまだ気づいていない。自らの決意に集中し、光輝を救うために行動を始めようとしていた。

新たな脅威が、2人に迫っていたのだった。