数週間後、晴斗は職場の最寄り駅で姫凪乃と待ち合わせをしていた。約束の10分前に到着したが、まだ彼女は姿を見せていない。
「(職場までの道を、休みの日にわざわざ通るだけでも気が重いな……)」
晴斗は少し疲れたように思いながら、すでに退職届を提出し、来月からは有給消化期間に入る予定であることを考えていた。それでもこの場所に来ると、やはり気が乗らない気持ちは変わらなかった。
そんな彼の前に、周囲の視線を一身に集めながら優雅に歩いてくる姫凪乃の姿が見えた。
「じゃ、行きましょ」
彼女の登場に、晴斗は思わず小さくボヤいた。
「黙ってれば本当に綺麗なんだけどな……」
「え?何か言った?」
「いや、どこ行くのか場所を聞いてなかったな、って」
姫凪乃の耳に入ると面倒なことになるのは明白だったので、晴斗は慌てて別の話題で言い逃れをした。
「ていうか、お前も話聞くの?同じ話聞くのは退屈じゃないのか?」
晴斗はてっきり、初対面の三神と二人きりで難しい話を聞かされるのかと思っていたため、姫凪乃が同行してくれるのは少し心強かった。
「こういう世界は日々進歩してるし、私、勉強嫌いじゃないからね。晴斗と違って」
その一言で、晴斗は自分が警備員をしている大学が国立であり、偏差値も高いことを改めて思い出した。姫凪乃はそこの学生であった。
「(性格だけが残念なんだよな……)」
心の中で、絶対に口に出してはならないことを思いながら歩いていると、姫凪乃がふと話し出した。
「そうそう、場所なんだけど、ウチの大学ね」
思わぬ答えに、晴斗は驚き目を見開いた。
「は?俺の働いてる大学ってこと?」
「だからそう言ってるじゃん」
晴斗は一瞬、大学の構内を思い浮かべたが、これまで国家機密のような研究施設を見たことも、聞いたこともなかった。
「いや、俺、警備員だけどそんな場所知らないぞ」
「そりゃそうよ。誰が訓練もロクに受けてない警備員に、そんな重要施設を守らせるのよ」
「あぁ、確かに……」
言い方にトゲがあるが、事実はその通りだった。もしそんな場所を守るように言われていたら、晴斗は即座に辞めていただろうと自嘲気味に思った。
「でもさ、そんな施設、俺の知る限りどこにもないぞ」
「それが、あるのよ~」
姫凪乃はイタズラっぽい笑顔を浮かべながら、大学の正門を通り過ぎ、ぐるっと回るようにして大学の周りを歩き出した。
「大学の外にあるのか?」
「ううん、ちゃんと中にあるわよ」
晴斗は首をかしげつつ、彼女の後を追った。大学の反対側にある通りに着くと、そこには東から西にかけて緩やかな下り坂があり、半地下になった職員用の駐車場が見えた。
「え、ここ?」
その駐車場は、警備員の配置はなく、定期的に車の台数を数えるだけの場所だ。晴斗自身も数回こなしたことがある。
「ふふ、分かんないでしょ?」
姫凪乃は、楽しそうにニヤリとしながら先を促した。
「どこだと思う?」
「いや、どこって……何もないじゃん」
「ほら、あれよ、あれ」
彼女が指差したのは、駐車場の一番左奥の角。そこには黒いバンが停まっているだけで、特に何か怪しいものがある様子はない。
「え、どゆこと?」
「違う、あの裏よ」
近づいてみると、車の裏に一枚の扉が隠れていた。見た目はただの職員用扉で、鍵も普通のものに見える。晴斗は、それを見て初めて思い出した。
「あー、これ職員用の近道だって聞いたぞ」
「でもあんたたちは、この鍵、持ってないでしょ?」
「いや、普通にマスターキーあるし、使えるでしょ?」
「この鍵穴に合う鍵は存在しないのよ」
「え?マスターキーでも?」
困惑する晴斗に、姫凪乃は得意げにカードを取り出し、扉にかざした。そして、ドアノブが中に引っ込み、予想外のことが起きた。扉は引いて開くと思いきや、右にスライドして開いたのだ。
「うお!え!?何だこれ!?」
「いや……え?せま!!」
「違うわよ、これエレベーターだから。地下に行くの」
「地下?……え?」
晴斗は、今まで自分が働いていた場所にこんな秘密があるとは思わず、不思議なワクワク感が彼の胸を満たしていた。