光輝はできるだけ敵意のない表情と声色で、誤解を生まないように気を使いながら話しかけた。
「どうしました?何かお困りですか?」
「えっ、いや……」
男性は戸惑い、言葉を詰まらせている様子だった。しかし、その一方で女性は、男性の反応を見た瞬間、まるで悪戯を思いついた子供のように表情を輝かせ、光輝の背中に素早く隠れると、芝居がかった声で叫び出した。
「キャー!助けてください!この怖いお兄さんがしつこく誘ってくるんです!」
「おい、ふざけんなよ!」
男性は慌てて怒りを露わにした。
その一連のやりとりに、光輝はすぐに気づいた。
「(あぁ……これは、茶番だな)」
光輝は、二人の様子から察するに、どうやら知り合い同士で、これくらいの悪ふざけができる間柄らしいと判断した。先ほど見た小競り合いも、おそらく大した問題ではなかったのだろう。何も問題がないことに胸を撫で下ろし、邪魔をしたことを詫びて立ち去るつもりで口を開いた。
「すみません、勘違いして声をかけてしまい―――」
その瞬間だった。再び、あの立ちくらみのような感覚が彼を襲った。視界が歪み、空間全体が揺らいで見える。そして、今回は光輝だけではなく、男女二人も同じ異常を感じているようだった。
「ん?今、何か……」
男性が戸惑った声を漏らす。
「えっ、なんだろう……今の……?」
女性も同じく不安そうな表情を浮かべていた。
光輝は、この現象が二度目であることから冷静に状況を見定め始めた。
「(ガス漏れ?それとも何か有毒なものが……?)」
周囲の様子に異常がないか確認するために、通行人を観察したが、他の人々は何事もなかったかのように普通に歩いていた。異変を感じているのは、どうやら自分たち三人だけらしい。
「二人とも、大丈夫ですか?」
光輝は気遣うように声をかけた。
「あ、はい……私は大丈夫です。勁亮は大丈夫?」
女性が安心したように答える。
「ん?ああ、俺も大丈夫だ―――!?!?」
その直後、周囲の騒がしい音が一気に消え、まるで世界全体が静寂に包まれたような感覚に襲われた。
「えっ、なにこれ……すごい静か!私の声、聞こえてる!?」
「あぁ聞こえてる!でも、なんだ!?俺たちだけが音を感じているのか!?」
二人がパニックに陥る中、光輝は冷静さを保っていた。二人が大声を出しているにもかかわらず、周囲の誰一人としてこちらに反応を示さない。まるで彼らの存在が、誰の目にも見えていないかのようだった。
「どうやら、俺たちは周りから認識されていないみたいですね……」
光輝がそう告げると、女性は不安げな顔で周囲の人々に手を伸ばし始めた。
「あの……すみません……えっ、うわっ!」
「どうした、莉愛!」
その男性――勁亮がすぐに反応する。
「さ、触れない……ほら、見て!」
彼女――莉愛は通行人に向かって手を振ったが、その手はまるで幻影のように相手をすり抜けていく。
「なんだよ……これ……」
その不安がさらに増す中、異変は次々と続いた。今度は、周りの人々が一斉に動きを止めた。時間が止まったかのように、車も時計の針も、すべてのものが凍りついたように静止している。
「おい、これ、マジでどうなってんだよ?」
「私たち、死んじゃったのかな……?」
莉愛は涙目で、最悪の事態を口にする。
その言葉に反応し、光輝は彼女の肩に優しく手を置いて、笑顔で励ますように声をかけた。
「大丈夫。俺たちは死んでなんかいません。ほら、俺たちはこうして触れ合えるし、頬っぺたつねってみてください。ちゃんと痛いでしょ?」
「んーほんろら、痛い……」
その瞬間、彼らの足元から強烈な光が現れ、一瞬にして周囲が眩い光で覆われた。視界が一切見えなくなる。
「今度はなんだ!!」
「なんなの、これ!!」
「ぐっ……目が……!」
3人は反射的に目を閉じたが、光が消え、次に目を開けたときにはすでに周囲の環境が変わっていた。耳には虫や鳥の鳴き声が響き、鼻に届くのは自然の香り――明らかに都市の喧騒とは違う、豊かな自然の中にいることが分かった。
「森……?」
「なんで……?どうなってんの!?」
「マジかよ、これ……」
3人が困惑しながら状況を把握しようとしていると、背後から突然鋭い女性の声が響いた。
「貴様ら!何者だ!!」
驚いて振り向くと、そこには一人の女性が立っていた。熟練の兵士のような鋭い眼差しで、ナイフを構えたまま彼らに向かっている。肩ほどの長さの髪が揺れ、露出が多い動きやすそうな服装をしていた。全身から放たれる鋭気は、戦場で鍛え上げられた戦士のそれだった。
そう――これが、光輝にとって後に最愛の人となる、反邪神組織ジャラートの若き女戦士、ニサ・リリヨンとの運命的な出会いであった。