二人はテーブルを挟んで座り、向かい合った。
晴斗はテーブルを挟んで彼女と向かい合う形で座る。彼女は相変わらずの自信満々の態度で、まるでこの状況を楽しんでいるかのようだ。
「それで、なんですか?他人の家までわざわざやってきて、なんかに入れとか言ってましたけど」
晴斗が話の核心に触れると、彼女は思い出したように自己紹介を始めた。
「そういえば自己紹介がまだだったわね、私は鬼彰
「よろしくね、夏目晴斗さん」
笑顔で挨拶する彼女の美貌には変わりはないが、晴斗にとっての印象は最悪だった。そして、彼女が既に晴斗の住所を知っていることから、名前を知られていても驚くことはなかった。
「……よろしく」
晴斗が渋々挨拶を返すと、姫凪乃は本題に入った。
「で、本題なんだけど……」
姫凪乃は一呼吸置き、話を切り出した。
「ForeSight Security、略してFSS。その勧誘に来たのよ」
「さっきも言ったけどね」
「(いちいち一言多いヤツだな)それで、そのFSSて何ですか?」
「SAUは聞いたことあるでしょ?最近テレビでも話題になってたし」
「あぁ、まぁ」
「まぁ私も細かいところはよく分かってないんだけど、それの姉妹組織みたいなもんよ」
「SAUと違うのはFSSは民間組織で、表向きは普通の警備会社。SAUは国の組織だから政治的なしがらみとか、意思決定が遅いとか、いろいろあるのよ」
「で、それを嫌った元SAUのウチの代表がFSSを立ち上げたの」
「ちなみに私はバイトね」
アルバイトがわざわざ勧誘する理由なんて一つしかないと、晴斗は直感で感じ、核心を突いた。
「……金だな」
姫凪乃は少し動揺し、目を泳がせた。
「えっ!?な、何言ってんのよ!勝手な想像で決めつけないでくれる!?」
「てか仮にそうだとして、なんか悪いの?」
「アンタ、稼ぎたくないの?バイトでも、今の職場より全然稼げるはずよ」
姫凪乃が動揺する姿を見て、晴斗は少し気分が晴れるのを感じた。
「お前アルバイトなんだろ?なんでそんなに一生懸命勧誘すんだよ、どうせ紹介料とかあるんだろ」
「あのね、別に俺は稼いで豪遊したいわけじゃない。給料少ないけど貯金だってできてるし」
「お前と違って欲しいものを脊髄反射で買うタイプじゃないの」
今までのやり取りを思い返しながら、晴斗は少し意地悪な調子で答えた。
「は、はぁぁ!?物欲でやってるわけじゃないわよ!」
「大学費用とか色々物入りなの!!」
姫凪乃は、思わぬところで地雷を踏まれたように声を荒げた。突然の反応に、晴斗は一瞬たじろいだ。
「あ、あぁ悪かったよ。まぁとにかく俺はそのFSSには入んないよ」
「一生懸命仕事したりとか、性に合ってないんだよ」
「……」
姫凪乃は一瞬黙り込んだが、すぐに冷静さを取り戻し、再び話し始めた。
「アンタ、今の仕事好き?楽しい?」
「え?いや、全然」
「辞めたい?」
「まぁ金があれば辞めたいね」
「そう思いながら、70や80になっても働き続けるの?」
晴斗は彼女の言葉に考えさせられた。生活のために仕方なく働いている現状、もし金があれば、今すぐにでも仕事を辞めたい――それが本音だった。彼女の言葉は晴斗の心に少しずつ響いていった。
「何が言いたいんだよ」
晴斗が苛立ちを込めて問いかけると、姫凪乃は意を決したように言った。
「アルバイトで1年目の私は、時給5000円よ」
「なっ!?5000円!!?」
「そりゃそうよ。危険な仕事もあるし、内容によっては手当も付くわ」
「月20日、実働8時間働いたとして、額面では80万」
「当然、年数や働きに応じて時給も上がってくわ」
「民間組織だからこその高待遇よ。SAUじゃこうはいかない」
姫凪乃の言葉に、金では動かないつもりだった晴斗も、次第に心が揺れ動くのを感じた。アルバイトという気軽な立場でありながら、時給5000円。
しかも、仕事の内容次第では手当が付き、その額がさらに増える。晴斗の心に次々と誘惑が押し寄せた。
「FIREって知ってる?経済的独立と早期退職のこと」
「ウチで働けばそれが可能よ!!」
「ぐっ!!」
姫凪乃の言葉に、晴斗は心の中で何かが音を立てて崩れ落ちるのを感じた。彼女が話しているのは、まさに彼が求めていた未来の可能性だった。
実際、今の職場は楽だとはいえ、このまま70や80まで続けるわけにもいかない。将来のことを考えれば、正直悩むばかりで動けずにいた晴斗だったが、目の前の美女が差し出してきた選択肢はあまりに魅力的で、もはや陥落寸前だった。
この誘惑は、晴斗にとって非常に魅力的だった。もはや陥落寸前のところまで追い詰められていた。そして、姫凪乃は知ってか知らずか、最後の一撃を放つ。
「まぁ、この辺に住んでるなら、恐らく私とバディ組んでやるんじゃないかな。私が勧誘したってのもあるけど」
「ぐぅぅ……」
稼ぎが良いうえに、スタイル抜群の金髪美女とバディを組めるという誘惑。いくら口が悪いとはいえ、ここまでくると晴斗は完全に心を奪われてしまった。
「て、転職の方向でお願いします」
姫凪乃は喜びを隠そうともせず、嬉しそうに声を上げた。
「ほんと!?やった!!」
その瞬間、晴斗は一抹の不安を感じた。具体的な仕事内容や福利厚生、そういった重要なことを何も聞いていなかったことを、今更ながら思い出したのだ。だが、彼はもう引き返すことはできない。少しの後悔を胸に、晴斗は新たな道へと足を踏み出す決意を固めた。