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 きらり、と虹色の鱗が一瞬太陽光を反射したのを、イサリの目は見逃さなかった。


「そこだ!」


 躊躇なくそちらへ構えていたバズーカの口を向け、引き金を引く。


 パシュッ、と言う軽い音と共に吐き出された捕獲用のネットは狙い違わず獲物を絡め取り、そのままアスファルトへと落下した。


 その衝撃で思わず迷彩機能が解けたのだろう。ネットの中ではどうにか逃げようともがいている細長い魚に似た姿のヨモツドの体躯が顕になっている。


 びちびちと身体をくねらせてのたうち回るのを辛うじて抱え上げ、イサリは車のバックドアを開けると蓋を開けていたケースの中にヨモツドを下ろした。


わぁったって、今取るから。ちょっとじっとしてろ」


 恨みがましい視線を窘めながら、傷がつかないように丁寧にネットを外していく。


 途中何度か思うより随分鋭い牙に噛みつかれそうになったものの、格闘の末きっちりネットを取っ払いヨモツドをケースに収められた。


「ご苦労さん、終わったか」


「おー、そっちも?」


「ああ、問題ない」


 戻って来たトキヤの手には、採取したらしいエドのサンプル諸々が大量に抱えられている。


「俺の封式は簡易的な応急処置だから、早いとこ調査班呼ばないと。戻るぞ」


「なあ、本当に今回は捕獲と採取だけで大丈夫なんかよ?」


「こいつは近年顕現し始めた比較的新しい種なんだ。資料が少ない。だからどう対応するのが正解か、こっちにどんな影響を及ぼすのか、調査するのも仕事の内だ」


「うーい、あちぃー……」


 トキヤはトキヤでやることがたくさんあっただろうが、ヨモツド確保に走り回ったイサリは汗だくだった。


 初夏の兆しを見せ始めたここ数日は、吹く風こそまだ涼やかなものの、降り注ぐ陽射しの強さは真夏のそれに近づきつつある。


 滴り落ちそうになった汗を横着してTシャツの裾で拭っていると、ぎょっとしたようにトキヤの視線が強ばるのに気づいた。


「……お前、その傷……どうした」


 相方が吸い寄せられるように注視しているのは、イサリの身体に刻まれた大きな傷跡だった。


 右から左へ腹を跨ぐようにして斜めに一線、まるで鉤爪に抉られたような古傷が派手に残っている。


 痛々しさもさることながら、それは当然ナカツド隊員として懸念せざるを得ない。


 万が一ヨモツドにつけられたものが今も消えずにいるならば、すぐに対処して然るべき代物だ。


 イサリの方も完全に無意識で見せるつもりがあった訳ではないのだろう。


 一瞬あちゃーと言わんばかりの表情を浮かべたものの、すぐにごまかすようにへらりと軽薄に笑ってみせた。


「見えた? やーん、トッキーのえっちぃー」


「ふざけてる場合か! いつついた奴だ?」


「ちょっ、ちょ……落ち着けって。大丈夫、何でもねえよ」


「何でもねえ訳あるか、そんな……」


「ほら、オレさ『大災害』に遭ったっつったじゃん? そん時についた奴だよ。別にヨモツドにつけられた訳じゃないって。瓦礫の下敷きんなってたからで、マーキングじゃない」


 掴みかからんばかりの勢いのトキヤを宥めながら、イサリはバックドアを閉める。


「ちゃんとチカゲさんにも検査してもらってっから。疑うから訊いてみろよ」


「……なら、何で治さないんだ」


 今の医療技術ならば、多少時間はかかるかもしれないがそのくらいの傷跡ならきれいに消せるはずだ。普通この手のものは、皆恐怖を絶望を思い出したくないがために早々に治す。


 しばし言葉を探すようにんー、と虚空を見やっていたイサリは、


「忘れないように」


「忘れないように?」


「その時死んじまった親のこともそれまでのことも、まあ、覚えてられるのもうオレしかいねえし。他の誰かをこんな目に遭わせねえぞ、ってしんどくても踏ん張れる気がするから」


「…………そうか。悪い」


「何でトッキーが謝んだよ。まあ、ビビらせちゃうのは確かだからなー……気をつける」


「別にビビってはない」


 舌打ちをしながら運転席へ乗り込むトキヤに、イサリはニヤニヤと「じゃあそう言うことにしといてやるよ」などとのたまって来るものだから、ついカチンとしたがぐっと言葉を飲み込んだ。


 ここで不毛な言い争いをしている暇などない。


 代わりに、


「そう言えば、お前を助けてくれたって隊員……何て名前なんだ?」


「え……知らね。そう言うのってあんま教えてもらえないじゃん」


「まあな」


「実務行動班にまだいるなら、会えたらちゃんと礼くらい言いたいんだけどな。あん時は意識朦朧としてたから言えなかったし」


 ただイサリもそれが叶うとは思っていないのだろう。


 この職の殉職率の高さと早期離脱率を考えれば、現実問題として今もなお現場に立っているかどうかは怪しいものだ。


「顔覚えてんのか」


「顔っつーか……こう、鼻跨いだでっかい傷がある人だった。見りゃ解るよ」



* * *



 調査解析班へ確保したヨモツドとサンプルを提出し、エレベーターで実務行動班の置かれた七階フロアまで昇る。


「戻りました」


「お帰りなさい」


「おう、お疲れさん」


「あれ、ヒナさん今日早上がり?」


 いつも帰隊するとホッと安堵するような笑みを浮かべるヒナノではあったが、今日は既にデスクを片付けて帰り支度をしている最中であった。


「ええ、ちょっと私用で。お先に失礼しますね」


「あーい。気をつけてね」


 ヒラヒラと手を振って見送ったものの、ヒナノが乗ったエレベーターが下降して行くとイサリはススス……とトキヤに近づいた。


「なあ、あれ。アレ、デート? デートかな?」


「知らん。俺に訊くなよ」


 よしんばそうだとしても、彼女は職場で堂々とそう宣言して出て行くような女性ではあるまい。


 傍らで何やら調べていたらしいキリカがパソコンの画面を見つめたまま、呆れたように溜息をつく。


「イサリってそう言うとこホンットデリカシーないわね。ガキ」


「はあ!? お前にガキとか言われたくないんだけど!」


「ガキだろ」


「ガキですね」


「トッキーとバクラまで!」


「違うよ」


 不毛な言い争いに終止符を打ったのはハノだった。


「え? え、ゼンさん何か知ってんの?」


「墓参り」


「墓参り?」


「そう。ヒナノちゃん、最初に組んだ相方亡くしててな。今日そいつの命日だから」


「…………そっか」


 いつ何時、ここにこうして集っている仲間が鬼籍に入るともしれない仕事である。


 頭ではそう理解していても、やはり体感的にそれは『どこか別の自分たちではない』部署の話であって、他人事であって、遠いものにしておきたい、と本能的に避けるようなものであることが否めない。


 身近で死を感じたことがあっても、


 常にそんな世界を見て来たとしても、


 そんな理不尽が降りかかる想定を常にしながら生きていては、精神が摩耗するからだ。


 平穏な日常は容易く崩れて壊れて蹂躙されるものであると解っていても、その中に浸っている間は不条理を夢にも思わない。


「まあ、お前がヒナノちゃんからデートに誘われる可能性はないとしても、」


「ないの!? ゼロ!?」


「俺が飯くらいは奢ってやろう」


「やったー! ゼンさんちょー好き! 肉ね、肉!」


「トキヤも一緒に」


「え、俺もですか?」


 名指しに思わず顔を上げると、ハノは少しばかり含んだものがあるような顔で笑った。


「そろそろ会わせておきたい奴がいるんだ」



→続く

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