穴を掘っている。
穴を、掘っている。
起こってしまった最悪な現実を、なかったことにするために。
ーーお前が……悪いんだから、な……!
ザクザクとシャベルを穿つ度に、噎せ返るような濃い土の匂いが鼻腔を突く。
月明かりだけが頼りの深い森の中は、キャンプ用のランタンの灯りなどでは照らし出せないほど暗く鬱蒼としていた。
時折夜行性の野鳥が上げる声や、草葉を揺らす風の音すら自分を咎めるものに感じてしまうのは、後ろめたさと罪悪感に押し潰されそうになっているためなのだろうか?
しかし、男には他に取るべき手段がなかった。
今の生活を、まあそれなりに大切な世間体と家族とその他諸々を守るためには、やらかしてしまった失態を丸ごと埋めて消してしまうより他にない。
最初から何もなかったようにしてしまうより他にない。
誰にも見つからないように深く深く。
一体どのくらい、そうして無心にシャベルを振るっていただろうか。
自らが掘った穴は深く暗く、まるで奈落のように真っ暗な口を開けて男自身を飲み込んでしまいそうなほどだった。
ずっと下を向いていたせいもあるのだろう、不意にくらりと視界が歪むような気がして、男はどっとその場に倒れ込んだ。
その拍子に思わず口の中に入ってしまった土を慌てて吐き出し、額に滲む汗をゆっくりと拭う。
朝晩はまだ冷えることも多いとは言え、これから夏に向けてますます気温は上がるだろうと思えるじっとりとした夜だった。
「…………このくらいで大丈夫か」
少なくとも小型の野生動物などでは掘り起こせまい深さであるのを確認して、男はどうにか穴から這い上がった。
それほど固さのない地盤は上る端からボロボロと崩れて仕方がなかったが、ここなら大丈夫だからと太鼓判を押されたのだから必要以上の心配をして要らぬ尻尾を出すこともないだろう。
日頃の運動不足から簡単に上がる呼吸をどうにか整えると、男は停めていた車まで戻った。
バックドアを開けると、申し訳程度の荷置きスペースにはブルーシートに包まれた死体が横たわっている。
たった数十分前までは生きていた、わずか十五歳の少女の死体。
ーーお前が悪いんだ……
よくある話だ。
痴情のもつれから言い争いになり、気づいた時には足元に血塗れの彼女が転がっていた。
慌ててアドバイスをもらってこうしてどうにか証拠隠滅を図っている訳だが、意外に冷静な部分も残っていることを男は自覚している。
死体を抱え上げ、そのまま穴へ放り投げた。
今度は逆に、同じ手順で穴を埋めて行く。
ーーお前が素直に「堕ろす」って言えばこんなことにはならなかった……
ざくっ、ざくっ………
すくって放って、またすくって放って。
夜目にも鮮やかなブルーシートの青が黒く冷たい土に飲まれて行く。
ーーお前が嫁にバラすなんて脅さなきゃ、こんなことにはならなかった……
ざくっ、ざくっ……
すくって放って、またすくって放って。
ふと心配になった。
穴は本当に埋まっているだろうか? 寧ろこちら側にはみ出して侵食し、こちらを蝕もうとはしていないだろうか?
『許さないんだから』
「うああああああっ!?」
不意に少女の声と眼差しが鮮やかに蘇る。
まるでたった今耳元でそう呪詛を吐かれたような気がして、男は慌てて手にしたシャベルを振り回した。
しかし、辺りは相変わらず人気などなく、生ぬるい風が時折遠くの生命の息遣いを運んで来るばかりで、自分以外の誰かがこの場に立っていた形跡など微塵もない。
ホッと安堵の息をつき、穴埋めを再開する。
ーーしかし、変なアドバイスもあったもんだよな……
とある掲示板で『【求む】死体処理方法』と書き込んだところ、唯一返答をしてくれたのは『常に眠いマン』と言う通りすがりだった。
いわく、
『Y市なら一番デカい駅へ行け。そこの艮方向にコインロッカーがある。そこの004番、常に【使用禁止故障中】の紙が貼ってあるけど構わず開けろ。中に入っているお守りを一つ取ったら死体と一緒に埋めるんだ。それでヒルコガミ様が喰ってくれるから絶対に見つからない』
何ともオカルトじみた助言で薄気味悪くも思ったものの、何せ時刻は午前一時半である。
ほとんどの店は閉まっているし、コンビニで何か買おうにも記録や記憶に残る危険が高かった。しかし、朝街が動き出してから死体を処分する訳にも行かない。
ーーまあ、悪戯かもしれないし……
藁にも縋る気持ち半分、タチの悪いジョークだろうと思う気持ち半分。
男は言われた通りに邪馬斗市最大の駅『邪馬斗駅』に足を運んだ。
JRと私鉄線、地下鉄も通る巨大な公共交通機関の要はさすがにこんな時間でも完全に闇に沈むことはない。
終電はとうになくなって、駅構内には入れないように格子状のシャッターが降りはしているものの、灯された街灯に群がるようにちらほらと若者や酔っ払いらしい影も見える。
それを避けるように高架をくぐって裏手に回ると、成程ポツンと一つコインロッカーが設置されていた。
思ったより綺麗で、ICカードやら何やらにも対応している新しめのものであることに驚く。
もっとおどろおどろしい、廃棄寸前のボロっちいものだとばかり思っていたのだ。
掲示板に書かれていた通り、004番にはデカデカと【使用禁止故障中】と書かれたA4サイズの紙がラミネート加工されて貼りつけられている。
「…………」
こう言うものは一時期、犯罪に使用されないようにとか何とかであまりオープンな場所には置かないようになったのではなかったか、と思ったものの、いくつか使用されているところをみるとちゃんと現役で稼働しているらしい。
恐る恐る手を伸ばし、小さな扉を開ける。
「マジかよ……」
果たして、中にはぽつんと一つだけお守りが入っていた。
とは言っても、男が知っている〇〇祈願だのどこそこ神社だのと言う表書きは一切ない、どす黒さすら覚える紅い袋のみと言う味気ない代物だ。
ーーGPSとか……盗聴器とか……はないな?
黒い紐を解いて中身を確認したところ、何だか得体の知れない砂だか灰だかのようなものが入っているだけで、とかく急いでいた男はそれを握り締めて車へ戻り、少女の上着のポケットにお守りを突っ込んでブルーシートで包んだーーと言う次第だ。
ーー大丈夫……これで、大丈夫……
まるで祈るように願うように、男は地面を穿って穴を埋めて行く。
人々が穴を掘るのは隠すためだ。
都合の悪い現実を、邪魔で捨てるべきものを、なかったことにして見ないふりをして隠して知らぬ顔で生きて行くためだ。
どこかで鳥が鳴いている。
風がさんざめく。
これで世界は元通りだ。
男は急いで車に乗り込み、現場を後にする。
その暗闇を切り裂く獣の双眸のようなヘッドライトが遠ざかって行くのを、じっと見つめる眼差しがあるのを彼は最後まで気がつかなかった。
→続く