一瞬何かが顔を出したと思いきや、それがキリカの得物の切っ先だと理解したと同時、そのまま横薙ぎに桃人花の壁がブチ割られる。
ごぱあっ、と噴き出したのは消化液か。
「キリカ……っ! 大丈……」
「こっち来ないで!!」
慌てて駆け寄ろうとしたものの、思ったより鋭い声と眼差しで制止される。
ぜえぜえと疲労困憊の様子を隠しもせず、その場にしゃがみ込んだキリカはそのまま倒れ伏しそうなのを辛うじて堪えたらしかった。
が、その様子を見てイサリは、別の意味で焦った。
「ちょっ、お前……何て恰好してんだ!!」
着ていたパーカーを一息に脱ぎ、慌てて少女に頭から被せる。
何せ消化液で溶かされてしまったのだろう彼女の可愛いワンピースは、かなり残り生地が危うくなってしまっていた。
垣間見える白い肌から必死に目を逸らしながら、
「見てないからな! オレ断じて見てねえからな!!」
「……何でアンタが焦ってんのよ」
「いいからとりあえずそれ着てろ! 汗臭かったらゴメンけど!」
「別に………ありがと」
イサリが着ていてもダボついていたパーカーはキリカが着ると若干短めではあったが、辛うじてミニ丈ワンピと言い張れる長さを保つことが出来た。彼女が小柄でよかった、とホッと胸を撫で下ろしたのは黙っておく。
「……それで、あの子たち無事か?」
「とりあえず身体は。バクラナカン、聞こえてるでしょ。大きめのバスタオル出して」
『承知いたしました』
外に出たお陰で繋がるようになったインカムにそう命じれば、唐突に虚空からバサバサと数枚のバスタオルが降って来る。
それで少女たちの身体を包んでから、
「イサリ、お願い運んで上げて」
「
ビシャビシャに濡れた千明と和奏をイサリは躊躇なく抱え上げ、トキヤが築いた霜柱の方まで連れ出した。
体温が下がって随分と冷たくなっている身体を、少しでもあったかくしてやらねばと残ったタオルでわしゃわしゃ拭って包んでやる。
あったまれ、あったまれ……と念を送っていると少女たちには幾分顔色が戻ったようだった。
ーー手とか……足とか、は大丈夫……ぽい……
小さな部位を確認して、思わず安堵の溜息がこぼれる。万が一にでも欠損などしていたら、この子たちは一生それを引きずって行かねばならない。
現代においてそれがどれほど大変なことかは、多少なりとも解っているつもりだ。
『カガヤ、バクラナカンがその……はしご車に変化した。ゴンドラ二人乗れそうか?』
若干戸惑い気味のトキヤの声に促されて背後を見やれば、確かにピンク色のゴンドラがでーんと待ち構えている。
そこから視線を下に伸ばせば、確かに地上には狭い足場にややこじんまりとした消防車が停車していた。
先程の霜柱の突き上げで不安定になっただろう地盤でも平気そうなのは、ヨモツドの重量まで増えた訳ではないからだろう。
見た目はかなりしっかりしていてそれなりに大きくはあるが、いかんせんそれがバクラナカンだと思うと若干不安がない訳ではない。
「幅は多分平気だけど……え、コイツこんなのにもなれんの? っつーか、信用して大丈夫なの?」
『勿論ですともー。ああ、因みにこれあまり美味しくはなかったですねえ……無機物はやはり味気ない』
「…………」
「そんな顔しなくても平気よ。あたしがいる内は大丈夫」
そう請け負われてしまっては、さすがにいつまでも懐疑的に見ている訳にも行かない。
「
千明と和奏を抱え上げ、ゴンドラへ乗せる。先にどちらかとキリカも下ろした方がいいのでは、と思ったが、少女は断固として被害者を優先させた。
「多分、トキヤ君なら精神の侵食具合も見れるはずだから」
「OK、乗せたぞ。下ろしてくれ」
『了解』
途中で取り落としたりはせぬだろうか、とハラハラしながら見守っていたものの、バクラナカンは無事に少女二人を地上まで下ろした。
トキヤが彼女たちを毛布に包んで抱え、安全圏へ横たえるのを確認してようやく詰めていた息を吐く。
『精神感応の方も大丈夫だ……まだ目が覚めるまで少しかかるだろうけど、本部に運んできちんと処置してもらえば問題ない』
「……よかった……間に合ったな」
『ああ……間に合ったよ』
僅か柔らかくなった相棒の声に、思わずへにゃと緊張の糸が緩んだ。
「キリカも怪我ぁないか?」
「平気よ。あのヨモツド……オキニの服ダメにしたの絶対許さない」
「はは……っ、マジ平気そう。まあ、でもアレだな。そうやってキリカが中で二人を守ってくれてたから、ギリギリ間に合ったんだろうな。あんがとね」
「…………あたしの方こそ、助けに来てくれてありがとう」
俯き気味のその顔は、照れくささと羞恥が入り交じっているせいか若干赤い。
「今回は……ちょっと無茶したわ。その……あなたたちがいなかったら、きっと二人を助けられなかった。感謝してる」
「…………わーお、今朝方初対面でオレの向こう脛思っくそ蹴飛ばした子と同じ人物とは思えない台詞」
「あれは……! その……ゴメン、なさい」
「はは、
ニカッと笑うイサリに思わず目が丸くなる。
普通、大抵の大人はキリカが前線に出ることにいい顔をしない。
それは自分が『女』で『子供』で『守られるべき立場にいる存在』だからだ、と言うことをキリカは痛いほどよく理解していた。
だからこそ必死に強さを求めた。
認めてもらわなければ、キリカ・ヒメジマは『こちら側』の人間だと解ってもらわなければ、研鑽して来た全てが無駄で無意味になる。
「あたしはちゃんと戦えます!!」
ここに来ても、ワタリやハノやヒナノ以外からの視線は冷たかった。出しゃばるな、と罵倒されたことも、ガキのくせにと後ろ指を差されたことも、一度や二度ではない。
だからそれを力づくでねじ伏せ続けなければならない、と思っていたのだ。
「まあ、でも、あれだ……オレたち敵同士な訳じゃねえんだからさ、もちっと頼ってくれてもいいんじゃねえの? そりゃまあ、まだいろいろと? パイセンにゃ教えてもらわねえといけないこと、いっぱいあると思うけど」
「…………」
じわりと双眸の奥が熱くなる。
しゃがんで視線を合わせて来るイサリを、滲みそうになった涙の代わりに睨みつけて、キリカはぼそりと呟いた。
「あたし、厳しいわよ」
「上等、ドンと来い」
* * *
ボ……ッ!
蒼白い炎を上げて、突如として壁に貼られていた一枚の札が燃え盛る。瞬く内に焼け落ちてしまったそれは、灰も残さず消えてしまった。
「あーあ……桃人花祓われちゃったか」
つまらなさそうに独りごちたのは、十代半ばほどの少年だった。
右目を覆う眼帯と深く被ったオーバーサイズの上着のフードのせいで、室内が薄暗いことを除いても顔がよく解らない。
「やっぱ植物型の奴はさ、食に対する貪欲さに欠けるよね……地味って言うか、華やかさがないって言うか、もっとガッと暴れて欲しいんだよなあ。獲物がかかるのをじーっと待ってるんじゃなくてさ、自ら狩りに行く情熱がないと」
「まあ、目に見える派手さはないよね。それでも、あの山と鴉の群れの浄化はなかなかに大変だと思うけど」
ぱちり、と一人将棋を差しながら答えたのは、二十歳手前ほどのもう少し年上の少年だ。
今のところ盤面は相手の自分の方が有利に進んでいる。さて、ここからどうやって引っくり返してやろうか。
「そう言えば、この前見つけたとか言ってた例の子はどうなったの?」
「まだ別にどうもなってないよ。逢うのはもう少ししてからだ」
「あれだけ『逢いたい逢いたい』言ってた割りには、随分慎重だね。君でも失恋とか気にするの?」
「そりゃ気にするさ。探して探して、やっと見つけたんだから」
少年の視線は、同じように壁に貼られたイサリの写真をじっと見つめている。その周りには先程燃え尽きたのと同様の札がびっしりと四方を埋め尽くしていた。
「だから気に入ってもらえるようにたくさんたーくさん……プレゼントを用意した」
「それがプレゼント、ねえ……リン、悪趣味だって言われない?」
「うるさいなあ……ふふ……ねえ、イサリ……いっぱい遊ぼうねえ」
悪意の滴るような少年の声が、無駄に広い室内に響いて闇の中に解けて消えた。
→続く