警官二人にパトカーで案内されたのは、役場から車で五分ほどのところだった。
山裾の住宅地を貫くように流れている川は、確かに幅こそそこそこあるものの深さは脛に達するか否か、と言ったところだ。
両岸はいずれも特に整備されている気配はない。柵がある訳でもないし、気軽に降りることは出来るだろう。
しかし、バケツ一杯の水さえあれば人は溺死出来るとは言うものの、俵田の言った通り流れと言うにはあまりに力が弱く、これならばいかに子供であっても事故に遭う可能性は限りなく低いように思えた。
「千明ちゃんの靴が落ちていたのはここですね」
と若い方の警官が示してくれたのは、かなり水際な箇所だ。平べったく背の低い雑草が生い茂っており、滑りやすそうではある。もしかしたら、これに足を取られて片方脱げてしまったのかもしれない。
「間違いないわね……アナグラの反応があるわ。随分大きい……いえ、
マフツノバンジョウが計測したデータを、紫暗の双眸を細めながらキリカが見やる。すぐさま本部の解析班へ送ったのだろう。いくつかアイコンをタップして、小さく息をつく。
「あのさあ、キリカ」
資料の写真と現場を見比べながら、珍しくずっと大人しかったイサリが唐突にこぼした。
「何?」
「オレ女の子のことあんまよく解んねえんだけどさ、こう言うとこで一人で遊んだりすんの? オレらは石切りしたりとかするけど」
「…………!」
全員がそう、とは言い切れないものの、確かに子供がーーましてや普段は邪馬斗市のような都会に住んでいる女の子が、一人で訪れるにはあまりらしくない場所だ。
公園のように遊具が設置されている訳でもない。綺麗な花が咲いていたり、何か生き物がいたり、と言う様子もないただの砂利道である。
何か興味を引くようなものがあるとは思えなかった。
「誰かと一緒だった……つまり、他にも被害者がいるかもしれないってことか」
「……そうなんですか?」
キリカにじろりと鋭い視線を投げられて、警官たちはしどろもどろに言葉を紡ぐ。
「その……千明ちゃんの従姉妹の
「秀明さんの妹夫婦の子供さんで、一家はこっちに住んどるものですけ……もう戻らんと諦めとるんです。何せ、行方不明になった子供は一人も帰って来たことがない。遺体が見つかったことすらない」
「そう言う問題じゃねえだろ! 助ける奴が一人と二人じゃ大違いだ! 何だよ諦めるって!! 自分の子供見捨てるのか!?」
「カガヤ……やめろ」
小学生が一晩帰らない、となれば大概の親は絶望の底に突き落とされる。普通ならば、尾野夫婦のように必死に探して回るものだろう。
けれど、その和奏の両親はあの場にいなかった。もしあの場にいた老夫婦が母方の祖父母ならば、それもまた然りと言えるだろう。
ずっとこの場所で生まれ育ったならば、信じるにしろ信じないにしろ『人の理解の及ばない範疇』のことは強く頭の隅にこびりついているはずだ。
きっと過疎の原因は、若手が故郷を後にする原因は、こうした目に見えない風習や空気感も強く影響している。
自分は何ともなかったーーけれど、万が一結婚して産まれた子供が狙われたら? あるいは身近でそんな目に遭う人がいたら?
事件にしろ、事故にしろ、それ以外の理由にしろ、ある日突然誰かが消えるその瞭然たる事実を見て見ぬふりをして平気な顔をして、生きて行けるだろうか? 仕方がないと諦めて蹲る大人たちを見て、自分もそうなってしまうのかと思わずにいられるだろうか?
だからと言って、自分たちまで助かるかもしれない少女の命を黙って見過ごす訳には行かなかったが。
その時、ヴヴ……ッとマフツノバンジョウが着信を知らせた。
全員の端末に返送されたデータには、『
「ここからは私たちが引き取ります。ご協力ありがとうございました。もし、何かありましたらまたお尋ねさせてください」
「あ、はい。よろしくお願いします」
「では、我々はこれで」
あからさまにホッとした様子で、警官二人はそそくさと引き上げた。見つからない、と悟った捜索の責任から解放されて気が軽くなったのだろう。
「とりあえず擬似花の痕跡を探しましょう」
「擬似花?」
「桃人花は子供を釣る時に、綺麗な花を咲かせるの。甘い蜜の匂いがする青紫の花。もうそれ自体はないと思うけど、痕跡があれば本体がどこにいるか追跡出来るわ」
「ほーん……解った」
「カガヤ……お前、資料室の図鑑とかで少しはヨモツドの勉強した方がいいぞ」
呆れてトキヤが思わずそう呟くと、
「え、無理。オレ本とか読んだら五秒で寝るもん」
「…………五秒て」
前線において相手の知識があるか否かは、そのまま生死を分けるボーダーラインと言っても過言ではない。
対処を誤れば即死が常の場だ。
ーー先が思いやられる……
苦々しい想いをトキヤが嚥下しているとは露知らず、イサリは鼻歌と共に辺りを散策している。
と、その足が不意にピタリと止まった。
「おや」
その視線の先を捉えたバクラナカンが、面白そうに薄い笑みを浮かべてみせる。
「イテクラ、あれ」
イサリが指差したのは、一羽の鴉だった。
都会でもそうだが、人馴れしているのだろう。遠巻きにしているこちらのことなど歯牙にもかけず、何やら地面をつついている。
「アイツ、頭穴空いてる」
「…………穴?」
キリカが怪訝そうに頭を傾げたが、トキヤは素早く印を結んだ。
解放された力が瞬く間に拳銃の形を取ると同時、何かを気取ったらしい鴉が飛び立ちかけたが構わずに引き金を引く。
狙い違わず貫かれた両翼が凍りついた鴉は、たたらを踏んでその場に転がった。抗議するような鳴き声が辺りに響く。
「穴、空いてますねえ」
覗き込んだバクラナカンが言う通り、鴉の両眼の間には小さな穴が空いており、まるで三ツ目のような不気味な様相と化していた。ほのかに甘い桃のような香りが鼻腔をくすぐる。
「何でこの鴉から桃人花の蜜の匂いが……」
「食べちゃったんじゃないですか? 擬似花」
「食った!?」
「鴉は雑食だから……なくはないわね」
「もしかしてさ、この鴉見に来たんじゃね? 和奏ちゃんだっけ、こっちに住んでるんだろ? 変な鴉見つけたって……」
「いや……多分普通の奴にはこの穴は見えない」
身近にあるものがエドに侵食されていようとも、ほとんどの者はその変化に気づけない。
能力の有無の差は絶大で、そうして解らないからこそ知らぬ内に触れ、己も侵食されながら辺りにエドを撒き散らしてしまうーーヨモツドの恐ろしさはそこにある。
「こいつは自分が苗床にされてるなんて自覚なく、普段通りにあちこち飛び回ったんだろう。その行動範囲内に桃人花の胞子をバラ撒きながら」
「……っ! つまり、運悪くその範囲内にいた本来の対象者が二人ってことね」
「いや……まだ増えるかもしれない」
ツガイがいたら、仲間がいたら、その数は爆発的に増えてしまう。
まだ幸いなのは、もしそうだとしても彼らのねぐらはほぼ背後にそびえる那太山にあるだろうこと、そしてこの呑吊市の人口が比較的平均年齢が高いことにあった。
「じゃあとにかく……こいつがこれ以上エドをばら撒かないように連れて帰って、早く浄化してもらわねえと」
「その必要はないわ」
「え……だって、うろちょろされたら困るだろ」
「ええ。だから食べていいわよ、バクラナカン」
そう平然と言い放つキリカに、イサリはギョッとしたように目を丸くする。
「食っ……いやいやいや、ちょ、は!?」
「ありがとうございます。いやー、先程から腹が減って腹が減って……危うくあの無能警官二人をバリバリいくところでした」
舌なめずりをしながら、ヨモツドがほくそ笑む。黒手袋に包まれた手が、無造作にいまだ喚き散らしている鴉の頭を鷲掴みした。
「待て待て待て! 食うって、お前、可哀そ……」
「いただきます」
ぐっ、と握り込んだ手はそのまま生命を摘み取って無残に砕いてしまうかと思いきや、おもむろに頭上に掲げられる。ずるろろ……と引き摺り出されたのはおびただしい量の根だ。
「え…………?」
それをバクラナカンが胸元へ運ぶと、がぱあ……と服の表面に亀裂が走り悍ましくずらりと並んだ牙が覗く。
一息に鴉に寄生していた桃人花の擬似花をもちゃもちゃと咀嚼すると、ものの数秒でごくりと嚥下したらしかった。
「ご馳走さまです……ふむ、何度食べてもこの咥内に広がる爽やかな甘みはいいですね。出来れば本体の方も早くいただきたい。あ、どうも見苦しいところをお見せしました」
「……キリカさん、大丈夫なんですか? 食べさせたりして」
衝撃の光景に思わずフリーズしかけていたのをどうにか再起動して、トキヤは少女に訊ねる。ヨモツドに力を与えるような真似をして、キリカに万が一のことがあっては大変だ。
「平気よ。寧ろ、定期的にこうして摂取させないと、こいつは空腹の方が危険なの」
「……なら、いいんですけど」
「でもまた再感染しないように、処置が終わるまでは車に入れておくしかないわね」
ふう……と溜息をついたキリカが鴉を抱え上げようと手を伸ばしたところで、ようやくイサリの絶叫が響き渡った。
「お前の口そこなのぉおおおお!?」
→続く