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「とりあえず……一応問題はなさそうだ。血液数値も正常、スキャニングでも噛み跡や刺し傷は検知出来ない。アルキオーナが蚊ほどの精密さでなくて幸いだったな」


 ぱちん、と計測器を外しながらそう太鼓判を押してくれるチカゲに、イサリはホッと安堵の溜息をこぼした。


 無論、何ともないだろうとは思っていたのだが、約束の時間を過ぎて検査室を訪れた際、彼女の怒髪天ぶりはヨモツドと相対した時とは比べものにならないほど恐ろしかったからだ。


「あんがとチカゲさん」


「万が一、少しでも違和感を覚えたらすぐに申告するんだぞ? 呪いの類は発動条件が揃わない限り、つまりは顕現するまで解らない」


「大丈夫だって、心配症だな」


 まくっていた袖を下ろしながらはは、と笑えば、チカゲはずいと身を乗り出して眉間を寄せた。


「いいかぃ、カガヤ君。ナカツド隊員にとって一番大事な使命は、無理をしないことだ」


「……思ってたより超ホワイトな使命」


「聞きたまえ。大なり小なり、ヨモツドからの侵略はこの千年耐えたことがない。奴らの寿命と言うのは残されたエドからの計測でしか解らないが、いずれも人類より長命である可能性が高いとされている」


 くるくるとタブレットペンを回しながらチカゲは言う。


「つまり、持久戦で我々人類は遥かに不利と言う訳だ。どんなに優秀な隊員でも、やがて老いて前線には立てなくなる。ましてや、昨今君のように望んで立つ者は減る一方だ」


「だから長生きしろってこと?」


「そう、一日でも長く戦力としてあってくれたまえ。くだらんことで命を落とすな。常に万全であれ、代わりはそうそういない」


「…………ん」


 小さく頷くと、満足したように解析官は笑みを浮かべた。


「それではさっさと任務に戻りたまえ。相棒が待っているだろう?」


「あいあーい。失礼しましたー」


 ととっと部屋を出て行く背中を見送って、やれやれと溜息をこぼす。


 わざわざ告げるほどのことではないから黙っていたが、端末カルテに表示されているイサリの数値はエド抗体が異常に高い。


 しかし、それは今回の任務の影響で跳ね上がったものではなく、元々適性検査の時から記録されている生来のもので、上層部が本人の希望如何に関わらず送るなら実務行動隊に、と強く推した所以でもあった。


 血統的に高い数値を誇るトキヤやキリカと比べても、かなり差がある。一般家庭出身の特異体質にしては非常に稀有だと言えた。


「…………まあ、気にする程でもないか」


 であればなおのこと、彼には欠けてもらっては困る。〈大災害〉以降確実に増加傾向にあるヨモツドの出現は、秘匿出来る限界をそろそろ迎えようとしていた。


* * *


 今回はキリカたちに同行を、と言うことで二人が足を運ぶことになったのは邪馬斗市の二つ隣にある呑吊のうづる市であった。


 近年の市町村合併によって「市」になったものの、その多くが山に埋もれた小さな村の集合地帯である。都市高速で片道四十分、下りた県道は地方都市とは言え屈指の人口と開発規模を誇る邪馬斗市に比べると、随分朴訥とした印象である。


「おーー、オレこっちの方初めて来た! 田んぼと畑いっぱいだ!」


「うるさいわね! 声のボリューム落としなさいよ。トキヤ君、そのまま那太なだ山の方に向かってください」


「解りました」


「今日は山登ってもいいようにちゃんと登山靴も持って来たかんな。どこでも行くぜ、オレは」


「それはいいけど『マフツノバンジョウ』は?」


「それもバッチリー」


 ぐっ、とはめた左手首を見せつけるように掲げれば、邪魔だとばかりに押しやられてしまった。仕方なしに、後部座席のキリカを見やる。


「しかし、あんなでけえのどうやって車乗るの? 頭絶対つかえるじゃん? って思ったら、まさかのそんな方法とはな」


「ホホホ……あたくし化けるのが得意でして」


 バクラナカンは彼女の傍らに置かれたキャリーバッグの中からぴょこりと顔を覗かせて、得意げに胸を逸らした。


 ピンク色のド派手な毛並みはいかがかと思うが、少なくともそれを除けば大きさも見た目もちゃんと猫のそれである。


「一度食べたことがあるものには、何でもなれるのです」


「………………冗談だよな?」


「さて……どうでしょうな」


「……ずっとそのままでいりゃいいのに」


「まあ、これはこれで便利ですが、やはり人体が一番都合がいいんですよ。他生物に比べてとても機能的だ」


「人体言うな」


 だだっ広い道路の交通量はかなり少ない。


 途中軽トラとバンが数台すれ違ったくらいで、ぽつりぽつりと建つ個人商店や何やらが途切れてしまえば、本当に見渡す限りの田舎道であった。


 古めかしい色褪せた看板標識に従って進むと、ようやく山の麓に小さな集落が見えて来る。


「そこ、左です」


「はい」


 やがて現れたのはこじんまりとした町役場であった。それも一階建てで、かなりの築年数が経過していそうな代物だ。


「すんませーん、ナカツドの者ですけどー」


 電気代節約のためにか入口の蛍光灯は灯されておらず、静まり返った玄関ホールにすわ無人ではなかろうか、と四人顔を見合せていると、イサリの馬鹿デカい名乗りが届いたのか、ガタガタと建つけの悪さを訴えながら奥の引き戸が開けられた。


「あー、どうもすみません! 遠いところをわざわざありがとうございます」


 姿を現したのは恰幅のいい初老の男であった。寂しい頭髪を撫でつけ、高そうなスーツを纏っている様はいかにも政治家然としている。


「私、市長の俵田たわらだと申します」


 一人一人に名刺を差し出してから、俵田はどうぞこちらへと先だって歩き始めた。


「なあ、この名刺ここの住所と違う」


「……普段はここにはいないってことだろ」


「ふーん……」


 イサリの口が不満気に尖ったものの、それ以上紡がれる言葉はなかった。


 通されたのは会議室と思しき広めの部屋だった。ありふれた長机とパイプ椅子が整然と並べられており、すでに何人かの先客が腰かけている。


 近隣の駐在所から呼ばれたのだろう制服を着た警官二人と、憔悴した様子の若い夫婦、さらにそのどちらかの親であろう老夫婦。


 トキヤがちらりと視線で伺えば、キリカが心得たように小さく頷いた。この現場を仕切るのは、例え歳若かろうと彼女の仕事だ。


「特殊事案対策機関ナカツドより派遣されましたキリカ・ヒメジマです。この度のご心労お察しします。こんな時に本当にごめんなさい。私たちも事情は軽く伺っておりますが、事件の詳細をお聞かせくださいませんか?」


 戸惑ったように視線が交わされる。


 けれど、藁にも縋る想いの方が勝ったのだろう。未だに両目を真っ赤に腫らして啜り泣いている妻を支えながら、夫が口を開いた。


「えっと……私は尾野秀明おの ひであきと申します。邪馬斗市の方で会社勤めをしています。こっちは妻の明香里あかりです」


 何でも二人は秀明の実家に連休を利用して遊びに来ていたらしい。そのさなか、七歳になる一人娘の千明ちあきが行方不明になってしまったのだ。


 家から少し離れたところを流れる川岸に、片方のスニーカーだけを残して。


「暗くなっても帰って来ないので、家族総出で探しました。近所の方にも手伝ってもらって……警察にもすぐ届けたんです。でも……全然見つからなくて……」


 どれだけ活発な子だったとしても、七歳の子供が一人で歩いて行ける範囲などたかが知れている。


「それでも私たちに話が来た、と言うことは、皆さんは誘拐などの人的犯罪の可能性はかなりゼロに近い、と思われている」


「昔から……」


 ぼそり、と口を開いたのは年嵩の方の警官だった。


「昔から、この村じゃたまに子供が行方不明になる。決まって雨が続いた翌日の、からっと晴れた夕刻だ。俺たちはそれをムジナモ様の仕業だと、子供の頃からずっと言い聞かせられている」


「ムジナモ様……?」


「ほら、よくあるオカルト……都市伝説? 怪異? って言うんですか、ああ言う類のやつです。だから川には近づくな、ムジナモ様に召されるぞって。僕らの祖父母世代は、未だに信じてる人多いんですよ」


 若い方の警官が少し困ったような顔で頬を掻きながらそうつけ加える。信じている訳ではない、にしても少女の消えた理由が上手く説明出来ないため否定も出来ない、と言った様子だ。


「今時そんなものがいる訳ないでしょう!? もっとちゃんと探して下さい! 千明は……誰かに攫われたんです!!」


 わっ! と金切り声を上げたのは、それまでひたすら涙していた明香里だった。秀明が宥めようとするものの、訳の解らないものを引き合いに出して来る警察は職務怠慢だとでも思っているのだろう。


「しかしですね、奥さん……こんな小さな集落なんです。他所から来た車がウロウロしていたら、誰かが必ず見てますよ」


「どうだか! こんな防犯カメラもろくにないド田舎で、誰が見てくれてるって言うの!?」


「ド田舎って……君、失礼だろう!」


「大体、犯人が他所から来たなんて限らないでしょう!? ここの変態があの子に目をつけたに違いないわ!」


「……あの、川に流された可能性は?」


 挙手してトキヤが問えば、言い争っていた全員の視線がいっせいに向けられる。そのトゲトゲしさに一瞬怯んだものの、小さく咳払いをして渡されていた資料の一ページを指差してみせる。


「片方の靴は川岸で見つかったんですよね? であれば、川に落ちて流された可能性は高いのでは?」


「いや……それはないですな」


 そう口にしたのは俵田だ。


「あとでご案内させますが、川と言っても名ばかりの浅瀬で……人を流せるほどの水量もないですし、水難事故は今まで起こったことはないんですよ」


「……そうですか」


 子供が行方不明、となれば事件か事故かがほとんどのはずだ。ここまできっぱりと否定して来る、と言うことは、本当にこうした事態が何度も起こっているのだろう。


「解りました。とりあえずその川岸を見てみましょう。千明ちゃんがそこで消息を絶ったなら、何か痕跡が残っているかもしれないわ」


→続く

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