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 彼らが何の理由をもってして、この世界にアナグラを穿ち顕現するのか、明確な目的は未だに解明されていない。


 種族ごとに統一された意思がある訳でもなく、もしかしたら大義名分など不要でただただそこに餌があるから、と言う生物として根幹的な本能的な行動故のことなのかもしれない。


 しかしそれならばなおのこと、人類とてただ無抵抗に食されてばかりいる訳にはいかないのだ。


『地表面まで三メートル、少しずつ浮上しています!』


「ヤバいぞ、カガヤ! あとどのくらい……」


「もう着く!!」


 駐車場の看板が見えるのとほぼ同時に、イサリは大きく右にステアを切った。くっ、とサイドブレーキが引かれ、何をと思う前に車体は派手にカーブを描く。


 身体に全力でかかる圧をどうにか歯を食い縛って耐えている間に、鋼鉄の獣は誰もいない駐車場へとスピンして滑り込んだ。


「貸せっ!」


「ちょっ……」


 同じように振り回されたはずなのに、お前の三半規管はどうなっているんだと言いたい素早さでシートベルトを外すと、イサリはトキヤが握ったままだったツツジの花を引っ掴んで、公園へと駆け出した。


 凄まじいスプリンターっぷりをここでも遺憾なく発揮して、瞬く間に階段を駆け上がる。


「マジかよ……」


 恐らく、目指しているのは奥にある野球グラウンドだろう。あそこならば多少デカいヨモツドが顕現しようと周囲へ及ぼす影響は最小限ですむ。


 ズズズ……と何かが這っているらしい振動が足裏に伝わって来た。


 アルキオーナがついに追いついて来たのだ。


 もたもたしている時間はない。イサリの能力がどんなものかは聞いていないが、これほど大型のヨモツドを一人で相手取るのは危険過ぎる。


 遅れて公園内に足を踏み入れると、相方は明後日の方向に向かって全力疾走している最中だった。


ーーあの馬鹿……


 野球グラウンドとは真逆だ。


「カガヤ!!」


 息を吸い、これまで出したことがないようなありったけの大音声で叫ぶ。


「そっちじゃない!!」


 辛うじて聞こえたのだろう。


 キキーッ、と言うブレーキ音が聞こえそうな勢いで停止したイサリはそのまま瞬く間にこちらへと戻って来た。


「どこ!?」


「野球グラウンドだ、あっちに旗掲げるポールが見えてるだろ!? どこ行こうとしてた!?」


「とりあえず遠くへって……オッケー!」


 そのまま目の前を駆けて行くのを追いかける。とにかく早い早い。トキヤも人並み以上だと自負していたが、完全に過信だったと思ったほどだ。


 足裏に伝わる振動もいよいよ大きくなり、ピシッとアスファルトの舗装にみるみる亀裂が入り始めた。


「おわわわわ……」


 気配でそれを察したのだろう。


 さらに一段階ギアを上げて加速したイサリの傍らに、亀裂が並走する。


 二人して転げるようにグラウンドに飛び込むのと、盛り上がった土塊が半ば爆発するような音で吹き飛び砂煙と共に巨大な何かが飛び出すのとはほぼ同時だった。


 春の柔らかな陽射しを、これ以上行かせるものかと言わんばかりの勢いで立ち塞がった巨影が遮る。


 ギシャアアアア…………っ!


 マウンドをきれいにぶち抜いて顕現していたのは、優に五メートルはあろうかと言うバカデカい大百足の姿をしたヨモツドであった。どぎつい色の甲殻に守られた無数の脚が、威嚇するようにぎしぎしとざわめく。


「きっっっっっも!!!!」


「もっと他に何かあるだろ……」


「何かって?」


「『うわ、強そー』……とか」


「ははっ、お前だってそんなんミジンコも思ってないくせに」


 にい、と獰猛な笑みが再びイサリを彩った。


「とりあえず、ぶちのめしてお帰りいただけばいいんだっけ?」


「……そうだ。ただ、こいつは牙と足先、尾の棘に毒がある。掠っただけでも大事だぞ」


「いいねえ、そう言うのちょー燃える」


 瞬間、ぶわ、と空気の流れが変わった。


 イサリが力を解放したのだろう。その両拳だけが紅蓮の炎を纏ったかと思うと、瞬く間にそれは頑健なガントレットへと変化した。


「んじゃまあ、初戦白星のために大人しく降参してくれよな!!」


 ダンッ、と力強く地面を蹴ったスニーカーが、イサリの身体を高く持ち上げる。


 思い切り振り被られたフォームに、トキヤはあの少年たちに対して振るわれた拳は随分と手加減されていたのだと今さらながら知った。




「そう言えば、コンビ組むヤツ可哀想って話」


 パキッと音を立てて割り損なった割り箸に渋面を浮かべた先輩に、後輩は抽斗から予備のものを差し出してやりながら、


「ああ、例のイテクラ本部長の」


「悪いな。そう……それ、あんまりそうでもないかもしれねえぞ」


「と言うと?」


 ずぞぞーっと勢いよく啜った麺を咀嚼するのを眺めつつ、猫舌には出来ない真似だ……と思いながらフィルム包装を剥がしたおにぎりに噛みつく。


 新作を見るとついチャレンジしてしまうが、思った通りあまり好きな味ではなかった。


「試験の時にな、最大火力? みたいなの測るやつあるだろう? アレで唯一、その次男坊より上の数字叩き出したバケモノがいたんだと」


「ええ!? でも、彼ぶっちぎりのトップだったんじゃ……」


「いや、だから他の部分はダメダメだったんだろ……その二人が揃って入所、コンビ組むってなったら、特七の戦力爆上がりだってちょっと前に人事の子がこぼしてたの、耳に挟んでな」


「…………マジすか」


「おまけに測定器ぶっ壊したらしいから、正確な数値は解らんままとか……まあ、オンナってのは何でも大袈裟にしたがるからどこまで本当だか知らんが」


「うわー……俺、廊下で見かけても絶対知らんぷりしよ……何て名前です?」


「えーと確か…………イカリ、いや違うな。イサリ、だ。イサリ・カガヤ」




 アルキオーナの腹のど真ん中ーー人間であったなら的確に鳩尾の位置を、躊躇なくガントレットで強化された拳が抉る。


 インパクトと同時に派手な爆発が上がり、さすがの大百足もよろりとその体勢を崩したかに思われた。


「どうよ!」


「カガヤ、左!」


 完全にガラ空きになった左脇腹に振り上げられた尾が叩きつけられ、イサリは派手に外野まで吹っ飛ばされた。いくら何でも空中の無防備な体勢では避けようがない。


「痛ててて……」


「大丈夫か!?」


「モーマンタイ……っつーか、こいつめちゃくちゃ硬えよ!?」


 口の中を切ったのか、ぺっと血の混じった唾を吐き捨ててからイサリはアルキオーナを睨みやる。つられてトキヤも視線をやるが、あれだけの衝撃を受けたにも関わらず、大百足の胴には擦り傷一つついていなかった。


 しかし、ヨモツドの方はこれで何やら二人を餌と言うよりは対処すべき敵として認識したのだろう。


 長い身体を器用にくねらせてこちらへと突進して来る。このままでは間違いなくジリ貧だ。


ーー何か……なかったか?


 振り下ろされる足を掻い潜り、どうやら地球上の百足と同じで背後に回れば一瞬見失ってくれるらしい、とその生態と行動パターンを探りながら、知識を今日の出来事を引っくり返す。


 ぐん、と大きくUターンしてこちらへ向き直るアルキオーナは、心なしか不機嫌さを滲ませているような気がした。


 ギシャアアア……っ!


 威嚇の声に大気がビリビリと震える。


 正確には彼らに声帯は確認されていないため、牙を擦り合わせて出している音らしいが、意図としては全く同義だろう。


ーー奴らは寒くなったら冬眠する……地中に潜るのはそっちの方が暖かいからだ……お前はどうだ?


 ゆっくりと力を解放する。


 今回は的が大き過ぎるため、点や線でのイメージではダメだ。例え全部を覆わなくともいい、一時的にでもその動きを鈍らせることが出来たなら。


 キ……ンッ、と空気が凍える匂いがする。


「降り積もれ、残雪」


 まるで季節が逆戻りしたかのように、アルキオーナの周囲だけ急速に気温が低下した。冷やされて結晶化した空気中の水分が陽光に照らされてキラキラと輝いている。ダイヤモンドダストだ。


 それは瞬く間に大百足の身体へ降り注ぎ、霜と化して、少しずつその動きを緩慢にさせて行く。


「カガヤ、飴まだ持ってるか?」


「飴?」


「今朝あのお婆さんに貰ったって言ってただろう? ハッカ味の」


「あるけど今!? 今食いたくなったの!?」


「馬鹿、食うのは俺じゃない。あいつの口の中に上手く放り込めるか?」


「え、あ……そう言うことか! 虫ってスースーするのダメだもんな。いや、でも効くか? あいつにしたらめっちゃ小っさいぞ?」


「ダメ元だ。『内側がどれだけ柔いか』確かめるだけ」


「まあいいや、何か考えあるなら任す」


 詳しく説明した訳でもないのに、あっさりとそう頷いてポケットを探り始める相方にトキヤは思わず目を丸くした。


「失敗するかも、とは思わないのか?」


「えー……? 少なくともオレが考える作戦よりは絶対マシじゃん? 多分、お前の方がそう言うの得意そうな顔してるし」


「……何だそりゃ」


「お、あった。ほーら、ムカデちゃーん……美味しい美味しい飴ちゃんだよー!!」


 意識が混濁しているのか、身体を起こしておくのがしんどそうなアルキオーナの頭が下がって来ているのを見逃さず、イサリはやはり綺麗なフォームで小さな飴玉を投擲した。


 それはヨモツドに視認出来ただろうか?


 ともかく、無抵抗なままそれは見事に牙の隙間からアルキオーナの体内へ転がり落ちた。


「…………」


「…………」


 特に変化はない。


 やはり駄目か、とトキヤが別の技を展開させようとした瞬間、コンマ数秒早くこの世のものとは思えない断末魔の叫びが上がった。


 うるせえあああっ、とイサリの口が動いたのは見えたが、そんな声などかき消してしまうような咆哮だ。ヨモツドにとって、恐らくその清涼感は初めて味わう苦痛だっただろう。


バッタンバッタンとのたうち回る度に辺りに激震が走り、衝撃でベンチから控え室へ抜けるドアの窓ガラスがぶち割れる。動きが制限されていてこれなのだから、本来ならもっと被害が出ていたに違いない。


「カガヤ、とどめを差す……」


 言いかけたトキヤの目の前で、イサリは既に一撃を放っていた。


 苦しげに開閉する牙まみれの口内へ、拳をねじ込むようにして真上から鋭いストレートが振り下ろされる。


 ここ一番の衝撃が、見るも無惨に破壊されたグラウンドを揺らした。


 そのまま弾け飛んだ頭部は跡形もなく粉砕されており、どお、と倒れ込んだ巨体もまたそのままさらさらと灰が攫われるようにエドと化して土へ還って行く。


「この馬鹿!! 牙は毒があるって……」


 慌てて右手を取るも、先程よりもかなり厚みも長さも増したガントレットが目に飛び込んで来て、思わず呆気に取られた。


ーーあの一瞬で強化したのか……


 トキヤを安心させるようにそのまま力を解いたイサリの腕は、無傷で汚染された様子もない。無意識にホッと安堵の溜息がこぼれてしまい、にーと相方の口元に嬉しそうな笑みが浮かぶ。


「いや、さすがにオレだってあんなうぞうぞしてる中に素手突っ込むほど無神経じゃないからね? 安心した?」


「…………別に心配してない」


「うっそだあ? 絶対心配してたじゃん?」


「うるさい、してない」


 顔を覗き込んで来るイサリを近い、とあしらっていると、インカムに通信が入って来る。


『おい、イテクラ! カガヤ! 無事か!? すごい音したが……状況はどうなってる!?』


 ハノだ。


 ヒナノと二人で、運動公園以外に被害が及ばないよう防護術を展開してもらっていた。


 彼らにしてみれば、血相を変えて二人が飛び込んでから、ドッタンバッタン凄まじい怪獣大乱闘のような地響きが聞こえるだけで中の様子は伺えなかったのだから、やきもきしながら待っているのに違いない。


 二人と、本部で待機している人員にも聞こえるよう通信を繋げ、トキヤは任務完了の報告を告げる。


「アルキオーナ一体、討伐完了しました。調査班はただちにアナグラの封鎖作業並びに封印の儀式、浄化をお願いします」


『ナカツド第七支部了解、ただちに調査班を向かわせます。お疲れ様でした』


「おい、カガヤ戻るぞ。ハノさんたち心配して……」


 振り向いた視線の先、イサリはエドの山に手を合わせて黙祷していた。


 彼らに悪気がある訳ではない。


 彼らに害意がある訳ではない。


 そう思い込んでしまうのは危険なことだ。


 ヨモツドはこことは理が違う世界に生きるものである。それはつまり、倫理観も道徳も罪科や善悪の概念すらも、こちらの観点とはまるで違うものを持っていると言うことに他ならない。


 それでもなお、一つの生命を拒絶したその責務を見て見ぬふりは出来ない男なのだろう。


「…………」


 刹那逡巡したものの、トキヤは隣に並んで同じように手を合わせた。黙祷は捧げない。自分にとってヨモツドは、やはり退治して然るべき存在だからだ。


「野球場、めちゃくちゃんなっちゃったな」


「……でも誰も死ななかった」


「オレたち超有能じゃね!?」


「いや…………まあ、うん。そうだな。助けられた。たくさんの人を」


「やっぱ入ってよかったなー、ナカツド。お前とも上手くやれそうだし。改めてよろしくな」


「…………」


 再度差し出された右手を握り、今度は初めての時やられたように往復のタッチから上下の拳を挟み、ヒラヒラと動かしてみせる。


 ぎこちないトキヤの仕草に目を真ん丸にしてから、イサリはふはっと噴き出した。


「ヘタクソ」



→続く

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