走る。
走る。
本能がこちらだと告げる方へ、ひたすらに足を動かして。
何故か迷いはなかった。
昔から、イサリはこうした場面で不思議と探しているものの行方が解るようなところがある。
理屈はない。
今回もその声に従って住宅街を駆けた。
この辺りは防犯カメラも設置されていない。
犯行に及ぶには打ってつけな、昔ながらの細い路地が連なっている。だからこそ車ではなく原付バイクなのだろう。
途中尻ポケットでスマフォが何度も震えているのには気づいたが、今はそれどころではない。
トキヤからなら後で文句を言われるだろうな、とは思ったが、それはそれだ。
走る内細い川が見えて来た。
近隣住民の散歩コースなのだろう。
アスファルトで固められた両脇の土手には、ところどころ休憩用のベンチらしきものも並んでいる。
その一つに自分といくらも歳の変わらない少年が二人、並んで腰かけていた。
傍らには中古らしい原付バイク。
遠目でも解るほどミラーが歪んでいた。
「ビンゴ」
彼らは犯行成功後で気分が高揚しているのか、無防備に得物である鞄の中身を漁っている。
「はー……一瞬引き摺りかけたからマジビビったわ……」
「なー……それにしても、あんまり思ってたほど金入ってねえな」
「それな。あ、でも通帳入ってんぜ? これ、お前の先輩に売り渡したらいい感じに金くれるんじゃねえの?」
「どうかな……最近厳しいっつってたし。あと印鑑ねえしな」
「今時印鑑とか要んの?」
無遠慮に引き出した金を分け、通帳を捲って残高を確認しようとする一人の肩をイサリはトントン、とつついた。
「あん? 何だてめへぶぉあっ!?」
威嚇するような視線を上げかけた彼の言葉は、最後まで続かなかった。
ほぼゼロ距離でもきれいに振り抜かれたイサリの右ストレートが、その頬に正確に炸裂して細身の身体を吹っ飛ばす。
「ちょっ……何なんだいきなり!」
掴みかかって来るもう一人もいなして、容赦なくその体躯に膝蹴りを叩き込んだ。
胃液と苦鳴をこぼしながら転がる少年の胸倉を掴み上げ、イサリはへらりと笑みを浮かべて見せた。
が、その双眸は一切笑ってなどいない。
寧ろ、静かな殺意すら滲ませて少年を射抜く。
「なあ、お前らそれ、引ったくった他人様の鞄だよな? グレーのカーディガン着てたバアちゃんのやつ」
「っるせえな……だったら何ぐふぁっ!?」
「バアちゃん、もし倒れた時に打ちどころが悪かったら死んでたんだぞ? そしたら、お前ら窃盗犯じゃなくて殺人犯だ」
「は……? あのババア何ともなかったじゃ……」
「今回はな」
逃げようとしていた少年の襟首を掴んで、さらに蹴る。
地面に這いつくばった二人を見やるイサリの眼差しは、完全に据わっていた。
「今回はたまたまバアちゃん死ななかった。でも次は? その次は? オレはさ、こう言う明らかに自分より弱くて力もないような相手を的にする奴が、この世で一番嫌いなの」
「やめ……」
「ここでさ、オレがお前ら二度とそんな真似出来ないように仕留めといた方が、世のため人のためって奴じゃん?」
が、三度目の拳は振り下ろされなかった。
「カガヤ、ストップ!! 止まれ、それ以上殴るな! ステイ! やめろ!! 落ち着け!」
背後からがばりと羽交い締めにーーと言うよりは、ほぼ右腕にしがみつくようにしてこちらを必死に引き止めたのはトキヤだった。
振りほどこうと思えば、多分出来ただろう。
けれど、その渾身と言うか決死なと言うかな彼の顔を見た瞬間、イサリは自分でも驚くほどす、と沸騰していた思考回路が凪いで行くのを感じた。
「俺たちは刑事じゃない、ここでこいつらを逮捕する権利も制裁を加える権利もない。あのお婆さんだって望んでない。解るな? お前はそんなことするためにナカツド入った訳じゃないだろう?」
「…………うん。バアちゃんは?」
「病院運んでもらったから大丈夫だ。俺たちは、ちゃんとやることやった。だから今回はこれで終わりだ」
イサリが全身から力を抜いたのを感じて、ゆっくりと手を離す。
先程の激情はどこへ行ったのか、と思うほどその顔は憑き物が落ちたように今朝と同じ軽薄さと無邪気さが綯い交ぜになったようなものへ変わっている。
「……そっか。っつーか、何でここ解ったん? オレ、電話シカトしてたけど」
「…………やっぱシカトかよ」
「ん?」
「いや、別に。解析班の人にスマフォのGPS辿ってもらっただけだ。お前オンにしてるだろ」
「あー……ゲームのやつ」
思い当たる節はあるらしい。
トキヤは原付バイクと鞄とズタボロになった二人をさくさくとスマフォで撮影すると、
「お婆さんの件、多分病院から警察に連絡が行きます。俺たちは別件で急いでいるので、あなたたちを今どうこうするつもりはないですが、証拠も証言もちゃんと提出しますので、なるべくなら早めに自首してください」
「はあっ!? そんなん、そこの赤髪ヤンキーが殴ったってこっちだって訴えてやるからな!!」
「絶対ぇ骨折れたし! 治療費請求してやる!!」
「どうぞご勝手に。ほら、イサリ行くぞ。急げ」
ギャンギャンと負け惜しみのようなセリフを吐き捨てる少年二人を横目に、ばら撒かれてしまった札を拾い上げ鞄を掴んで車へ戻るトキヤの後を慌てて追う。
「ちょっ……別件て、何? 何か進展あったの?」
「さっき本部から連絡があって、アナグラ数値が急激に上昇した。あの郵便局のとこでだ。車出してくれ」
「はあっ!? 何でそんなとこで」
言いながらアクセルを踏み込むも、全く意味が解らない。
鞄の中身を1つずつ丁寧に明らかにして行くトキヤに、ますます頭にはハテナが浮かぶばかりだ。
「タイミングは考えても仕方がない。ヨモツドの気分なんて俺たちには解らない。ただ、奴はゆっくり移動してる。多分、この鞄を追って」
「…………それ、今下から頭出されたらオレたち死ぬやつじゃん?」
「そうだな。だから運動公園まで急げ。ハノさんたちに連絡して規制かけてもらってる」
「
言うなり、イサリはペポパとスマフォを操作すると徐ろにサイドミラーに取りつけた。
吸盤でもセットしてあるのかぴたりとくっついたそのスピーカーからは、最大音量で緊急車両のサイレンが垂れ流され始める。
「はいはーい、緊急車両通りますよー。どいたどいたー!!」
同時にぐん、と加速するどう見ても一般車の見た目のままのそれに、トキヤは思わず眉間を寄せた。
「おい」
「まー、いいからいいから。
急ブレーキを踏んだ車が背後で冗談のように回転するのを後目にそんなことをのたまうイサリに溜息をついたが、カッ飛んで走る腕は確かなものだ。
他の車両が避けてくれることをひたすら祈るしかない。
ガガ……ッ、と再度本部より通信が入る。
『目標、さらに南下。
「よし……やっぱり着いて来てる」
「ヨモツド? 地中系ってどんなの? 虫? 蛇? ミミズ?」
「さあな…………っと、これか!!」
トキヤの手が摘み上げたのは、しおれたツツジの花だった。
けれどその花弁は二人の知る薄桃色や濃いピンク、白と言った色合いではない。
深いーーと言うよりは、悪意や害意を色と言う概念で表したら恐らくこんな色だ、と思わせるようなどす黒い紫色である。
ステアを握っていたイサリがチラリとだけ視線を寄越して、うげえっ、と顔を顰めてみせた。
「ちょ……何それ、気持ち悪っ!! え、ツツジってそんな色あんの!?」
「違う……こいつは、エドに汚染されてるんだ」
本能にじわじわと訴えかけて来る違和感、悍ましさ、背筋を逆撫でされるような不快感ーーそれはこの世の理とは違う歪みに世界が侵食されているが故の危険信号だ。
「そんなの素手で持って大丈夫なんかよ?」
「少しくらいなら問題ない」
「っつーか、バアちゃん何でそんなの持って……あ、そう言えば道案内した時庭の花が綺麗で……って話してたな」
つまり、本来アナグラが空くはずだったのは美和子の住まいだったことになる。
データを本部に送ったところ、即座にレスポンスがあった。
やはりこのツツジの花は、ヨモツドがアナグラを空ける目処として穿たれたマーキングによってエドに毒されているのだ。
おかげで対象種族が判明した。
『アルキオーナ』という大型ムカデの一種だ。
「お婆さん、どこに案内したんだ?」
「え? あー、電車の駅の近くに文化センターみたいなビルあんじゃん? あそこ。何かドライフラワーだかブリザードフラワーだか作る教室に友達と参加するんだとか何とか言ってた」
「プリザーブドフラワーな。と言うことは、花に詳しいだろうその講師だか、ショップの店員だかに見せて、この色の理由を訊こうとしたってとこか」
「そのムカデ、この花追っかけて来てんの?」
「ああ……その文化センターにいた時に浮上しようとしなくて幸いだったな」
万が一そんな場所で顕現されていたら、とんでもない規模の大惨事になっていたことだろう。
アルキオーナの方も、よもやマーキング点が移動するなどとは思いもしなかっただろうが。
→続く