隣町である
定期的に街の住人か市のボランティアか、ともかく人の手は入るのだろう。
社務所も置かれていない、人気も少ない、高層マンションの隙間に埋もれるような猫の額のごとき狭い敷地にも関わらず、荒れ果てたと言う印象はない。
ただ、植えられたケヤキの樹は立派なもので、逆にその伸びた枝葉が鬱蒼とした佇まいを醸し出している。
何か手がかりらしきものはないか、と二人して境内を調査してみたものの、水飲み場の脇に気持ちだけ設置された神社の由来にもそれらしい記述はないようだった。
「ダメだなー……これ、全然関係なさそうだし。豊穣のどうのって書いてあるけど、ヨモツドじゃねえよなー」
「ええ……江戸時代の飢饉の際、降雨祈願をしたって……どっちかと言うと地域の祭とか、その踊りとかの発祥が書かれてます。それにまあ、わりと新しいですね。見た目は古そうだけど」
「江戸時代って新しいの?」
「ほんの四百年くらいなものでしょう。最初のヨモツドが現れたとされるのは、ちゃんとした政権が出来てからしか記録されてないですけど、ほぼ二千年近く前ですよ」
「うわー、感覚おかしくなりそう」
「とにかく宛てが外れた以上、地道に回るしかないですね」
とは言え、今は共働きでそもそも家に誰もいない、と言う家庭も少なくない。しらみつぶしにやるにしても効率的だとは言えなかった。
「んじゃさ、ここ行こうぜ」
イサリはぺぺっとスマフォを操作すると、地図アプリでここから徒歩圏内にある公園を示してみせた。
先程の運動公園とは違ってこのくらいの小規模なものなら、近所のちびっ子を遊ばせている大人がいるかもしれない。
「あとは保育園だろ、小学校だろ、このビルは病院と美容院入ってる。それからここのスーパーわりとデカめ」
「……何で」
「ん? だって人のいるとこで訊いた方が早いじゃん。まあ、近所じゃない人もいるかもだけど」
「…………そうですね」
「あれ? 何か違った? ナカツドではこう言うやり方するーみたいなのあんの?」
「いえ、ちょっとビックリして」
どうやって効率的に回るか、とばかり考えていて、今の時間どこならば人がいるだろうか、とは考えなかった。
「ふっふーん……もっと褒めてくれてもいいんだぜ?」
「とにかく行きましょう」
どやあっと言わんばかりの表情をするイサリに構わず、トキヤはそのまま車を回して公園へと赴いた。
小さな砂場とすべり台とが設置された昔ながらのタイプの公園では、二、三組の親子がそれぞれ輪を作って話に花を咲かせている。
「なー、それ何作ってんの?」
公園へ足を踏み入れるなり一直線に砂場の子供たちに話しかける相方に、少し離れたベンチで様子を見守っていた母親たちはギョッとしたようだったが、ものの五分もしない内にキャッキャと共に砂山を築いているイサリに害はない、と思ってくれたらしい。
「すみません……ちっちゃい子見ると構いたくなるみたいで」
ざっと公園の様子を観察し終えてトキヤがそう声をかけると、母親たちは思いの外柔らかな顔で笑ってくれた。
「いいえー、こちらこそ遊んでもらっちゃってありがとうございます」
「それであの、私共は市の環境調査を委託されている者なのですが、近頃この辺りお変わりはないですか?」
「環境調査……? ええ、まあ特に変わりはないと思いますけど……」
「強いて言えば、時期的に野良猫がうるさくて。ああ言うのの対応とかって、どうなってるんですか?」
「……成程。貴重なご意見として承ります。きちんと担当部署への報告は上げさせていただきますので」
一つこぼされた言葉を皮切りに、あれこれここぞとばかりに自分たちの居住範囲の不満や愚痴が止めどなく披露されたものの、これと言って手がかりになりそうなものはなかった。
無論メモは取ったが、ナカツドに入るよりも前からそれなりにヨモツドと付き合わねばならなかった年月が、これは否と告げている。
話が途切れたタイミングで、何か思い出したりしたらご連絡を、と名刺を渡してイサリを促した。
「いーたん、バイバイ」
「またなー」
何故かイサリは、両手いっぱいに詰んだ花を持たされている。一応ちびっ子たち相手にちゃんと調査はしていたらしい。
名残惜しそうに手を振る子供たちに、
「……モテモテですね」
「いや、あんな歳下はさすがに守備範囲外だからな? っつーか、お前いつの間にそんな小道具用意してたん?」
「言ったでしょう、準備不足だって。今時身分証持たずにいろいろ訊き回ってたら、ただの不審者じゃないですか。これもちゃんと一緒に届いてたはずですけど」
「…………そうだっけ?」
とぼけて明後日の方を見やるイサリと共に、そのままいくつかの雑居ビルやコンビニなども含め近隣の店舗を回ってみるも、結果はどれも芳しくなかった。
現代人はみんなつくづく忙しいのだと思う。
季節の変化やその時期にしか咲かない花なども、テレビやネットで特集されて話題になるからこそ「ああ、もうそんな時期か……」と思うくらいで、しみじみとその移り変わりを日々の中で味わう余裕がある者は本当に少ない。
些細な変化があったとしても、怒濤のようなその他の情報に押し流されて次の瞬間には忘れてしまうのだ。
「まあ、全員に話聞けたら何か違うとこもあるんだろうけどな……無理だよな」
「とりあえず、二丁目の方に向かいましょう。あんまりつついてもキリがないですし」
「
こちらはいよいよもって個人住宅の方が多く、住人もいくらか年齢が高そうな佇まいが多かった。
もし聞き出せるなら、こちらの方がまだ見込みは高そうな気がする。
運転席のドアを開けようとしたイサリが、不意にぴくりと何かに気づいたように動きを止めた。
次の瞬間、ドンッ! と派手な衝撃音が辺りに響き渡る。
「な……」
事故だろうか、とこちらがギョッとしている内に止める間もなくイサリは音がした方へ駆け出した。
「ちょっ……カガヤさん!!」
あっと言う間に角を曲がって消えてしまった背中を追って、慌てて走る。
数秒遅れてトキヤも路地に飛び込むと、イサリは倒れた女性の傍らにしゃがみ込んでいた。
「バアちゃん! 大丈夫か!?」
「え、『バアちゃん』ってカガヤさんの……?」
「はあっ!? 違えよ、ほら今朝話したろ! 迷子で案内したバアちゃん!」
ーー嘘じゃなかったのか……
そう思いながらも、先程の音が追突か何かされた音ならば大変だ。
目の前で女性はよろよろと起き上がったものの、万が一と言うこともある。
「カガヤさん、あんまり動かさないで。お婆さん、そのまま。痛いところありますか? 自分の名前、解ります?」
「え、ええ……大丈夫です。名前は木村美和子」
意識ははっきりしているらしい。
トキヤは急いでスマフォを取り出すと『119』の番号をタップする。
「大至急、救急車お願いします! 対象は六十代から七十代の女性、直接見た訳ではありませんが、轢き逃げの被害に遭った可能性が高いです。場所は花咲町一丁目と二丁目境の細道、すぐそばに郵便局があります。女性は見たところ軽い擦り傷と打撲、意識はあります」
「承知しました、ただちに向かいます」
女性はようやく自分に何が起こったのかを把握し、目の前のイサリを見覚えがあると思い出したようだった。
「ああ……あなた今朝の……」
「バアちゃん、どっか打ってない?」
「鞄」
「え?」
「鞄、取られちゃったのよ……」
「引ったくりか……バアちゃん、もしかしてそこの郵便局でお金下ろした?」
「ええ、今日年金の支給日で……」
それを聞いた瞬間、イサリの双眸に獰猛な怒りが灯った気がした。ゆっくりと立ち上がりながら、迷うことなく左手を見やる。
「原チャリのエンジン音してた。アイツらブレーキ踏んでねえ」
「ちょっ……カガヤさん、」
「待ってろ、バアちゃん。オレ、取り返して来る」
「はっ!? 今から追いつける訳……」
「大丈夫、何となく解る」
「カガヤさん!!」
あと頼むな、と言い置いて駆け出すイサリをそのまま行かせてはマズい予感しかしない。
が、遠くから聞こえて来たサイレンも本当に大丈夫なのか解らない女性も捨て置く訳にもいかず、トキヤはジリジリと救急車の到着を待つより他になかった。
そこへガガッ、と微かなノイズの後インカムに通信が入る。
『第七調査班より、各員。アナグラ数値急激に上昇、アナグラ数値が急激に上昇! 地表より十メートル下、場所は……花咲町二丁目、郵便局付近……が少しずつ移動している模様。くり返す、花咲町二丁目郵便局付近、目標はゆっくりと移動中!!』
ーーこんな時にアナグラ……いや、待て……移動?
通常アナグラと言うものは、ヨモツドが狙いを定めた時点で動いたりなどしない。
しかも予測されるような巨大な個体であればなおさらだ。
ーーこの付近で今、確実に移動しているもの……
それは女性の鞄を引ったくって逃走中の、原付バイクではないのか。
ーーいや、まさか……でもこんな偶然あるか?
救急車の姿はまだ見えない。
トキヤは握ったままにしていたスマフォを再びタップした。
先程、ハノと交換している際に念のためと登録していた真新しいイサリの番号にコールする。
ーー出ろ……頼むから出ろ!!
→続く