「オレが運転するわ」
と言う言葉に嫌な予感しか覚えなかったものの、イサリは思ったより随分と安全運転でハノたちの後に続いて現着した。
二台の車両が滑り込んだのは
大規模なアスレチックやテニスコート、野球グラウンドなども併設されたかなり本格的な施設で、土日にはクラブチームが練習を行ったり家族連れがピクニックに訪れたりと、なかなかの賑わいを見せるらしい。
しかし、平日昼間の現在はかなり閑散としており、ウォーキングに励む人がちらほらいる程度だった。
「よーし、じゃあ二手に別れて出現ポイントを絞り込むぞ」
「え……どう言うこと?」
一人だけキョトン、とした顔で仕事の進め方がまるで解らない、と言う様子のイサリに、ヒナノが丁寧に大判の地図を広げて見せてくれる。
「調査解析部隊が感知したアナグラが空く兆しは、花咲町一丁目と二丁目、四丁目、五丁目の四か所です」
きれいに整えられた細い指先がトントン、とその位置を示した。現在地である公園を挟んで、南北に別れる形となる。
「うんうん」
「解析結果は、昔に比べたら随分精密で正確になってます。でもあくまでも、半径数キロ規模が今のところは限界で、最後は我々が足で絞り込むしかないんです」
「今回とは全く無関係の別件のものが見つかることもあるしな」
「ふーん……オッケー、了解。んで、何探すの? アナグラってまだ空いてないんだろ?」
「まずは住宅街の場合、近隣の神社だな。定期的に湧いたりするものだと、鎮魂の意を込めてヨモツドが祀られてたりする」
「ふんふん」
「あとは地道に地元の住人へローラー作戦だ。動植物に変化がないか、地震がないか、とにかく何かここ数日で『いつもと違う何か』がないかを聞き込みする」
「…………ふわっとしてんね」
「そりゃまあ、表立って訊ける内容でもないですから」
現在は徹底的な隠蔽がされている、と言う訳ではないものの、やはり詳細を知らない人間からすれば、ヨモツドやナカツドの話は胡散臭い眉唾もののオカルトみたいなものだ。
不審に思われて口を閉ざされてしまったが最後、貴重な情報を逃してしまうかもしれない。
「で、お前らどっち行きたい?」
ハノに問われ、んーと一瞬逡巡してからイサリはこちらを振り向いた。
「イテクラどっちがいい?」
てっきり勝手に決めるだろうと傍観していたので思わず面食らってしまってから、
「……お任せします」
「あ、そ? じゃあ、こっち。上の方。一丁目と二丁目。やっぱ『一』がいいよなー」
「では、お願いします。我々は四丁目と五丁目を回りますね。とりあえず二時間、お昼頃にまたここに集合する形でいいですか?」
「オッケー。んじゃ、ゼンさんかヒナさんの番号教えて。
ズボンの尻ポケットに突っ込んでいたスマフォをすかさず取り出すイサリに、思わず溜息をついてしまってからトキヤは自分の左手首に着けている端末を示した。
「カガヤさん『マフツノバンジョウ』はどうしました? 採用通知と一緒に支給されたはずですけど」
パッと見には腕時計と相違ないものの、隊員同士はこれとインカムで通信することがほとんどである。無論、ハノとヒナノの手首にもそれぞれ自身の端末が装着されている。
本部からの緊急連絡も入るし、現場で様々な数値を測定、そのデータを本部の調査解析部隊へ送る際にも必要になる重要な代物だ。
イサリはやはり『何ソレ?』と言いたげな表情を浮かべてから、
「あー……ワスレタ」
「はあっ!? 『忘れた』って……アンタ何しに来てんだよ、仕事だろ!?」
「ゴメンて……お前持ってんだからいいじゃん」
「そう言う問題じゃ……」
「まあまあ、イテクラ君。今日からいきなり現場に出るとは思ってなかったのかもしれませんし」
「それにしたって、準備不足にもほどがありますよ」
間を取り持つようにヒナノがやんわりと窘めてくれるものの、最初から甘い顔をしていたら、この手の男は一生自分の必須道具を持って来ない気がする。
その場合困るのは、相方であるトキヤだ。
が、さらに言葉を紡ぐより先に、ハノがジャケットの懐からスマフォを取り出した。
「ほら、カガヤ。俺の番号教えてやる。何かあったらかけろ」
「わーい、ゼンさんあんがとー。どっかの怒りん坊と違って優しいー」
「明日忘れたらゲンコツな。まさか失くしたりしてないよな?」
「……優しくなかった。家にはあるよ、多分」
「「「多分!?」」」
先行きに不安しかなくとも、いつまでもここで時間を食っている訳にも行かない。
こうしている間にもアナグラが空いてしまえば、そこからヨモツドが侵入して来てしまうのだ。
とにかく二手に分かれて、それぞれ乗って来た車に再度乗り込む。
「先に一丁目の方から回る感じ?」
「どうせこっちに戻って来るんですし。それにここ、神社がある」
「あ、ホントだ。んじゃま、いっちょ行きますかー!」
シートベルトを締め、ギアを切り替えたイサリがゆっくりとアクセルを踏み込んだ。滑らかにスタートした車は公園を出ると北へ向かう。
バス通りも兼ねた大きめの道路の両脇には、新しめのマンションや古い個人宅が混在し、病院や商店が入った雑居ビルが建ち並んでいる。
『タウン』と言うのがよく似合う、典型的な住宅街だ。
「天気いいし、ドライブ日和だなー。こんな平和なのに、ホントにアナグラ空きそうになってんのかね?」
「……まあ、アナグラが空く条件って言うのは、何がどう重なった場合かそれぞれ違いますし。平和をぶち壊したいタイプもいるんじゃないですか」
「何それ、サイアクだな」
半分ほど開けられた窓からは心地いい風が吹きつけて来る。
少し調子っ外れの鼻歌を歌いながらステアを握るイサリに、トキヤは先程から気になっていたことを問うてみることにした。
「そう言えば、カガヤさんはどうしてナカツドに?」
彼の言動から察するに、昔からこの組織に縁ある家庭に育った訳ではないだろう。
任務の危険度で言えば、警察官や自衛官などより遥かに高いこの仕事を志願して来る者は、かなり限られている。
高い能力を持っていたとしても、『平穏に生きたいから』と言う理由でスカウトを断る輩の方が当たり前な時代だ。
イサリはしばしどう言ったものか、と言う顔をしたものの、
「んー……まあ、アレだ。簡単に言うと、助けてもらったから」
「助けてもらった?」
「ほら、十五年くらい前にさ、『大災害』ってあったじゃん? オレ、あれの生き残りなの」
「…………っ! すみません」
「あー、いいっていいって。別に隠してる訳じゃねえし。オレもさ、あと数分発見遅かったら死んでたぞって言われるくらいの怪我してさー。まあ、あんまり覚えてねえんだけど」
ははっ、と軽く笑っているが、そんな風に言えるようになるまで一体どのくらいかかっただろう?
やはり迂闊に他人の領域に踏み込むものではない、と問うたことを後悔した。
「その時背中に担いで運び出してくれたのがナカツドの人でさ。まあオレもそう言う力があんならさ、同じように助けてやれたらいいなあって」
イサリは眩しそうに紅い双眸を細めてから、
「んで? イテクラは?」
「俺ですか?」
「訊いたからには自分もしゃべるのが礼儀だろ」
「…………俺は、ずっと昔からそう言う家系なので」
「へえ、エラいね」
「別に偉くないですよ」
「いやだってさ、他の道も選ぼうと思えば選べた訳じゃん? それでもちゃんと継ごうとするのってエラいだろ。オレだったら多分、自分のやりたいことやるもん」
そう言われて初めて気づいた。
トキヤはずっと他の選択肢などないと、そう思ってこの二十数年を生きて来たのだ。
やるからには史上に刻まれるような偉大な仕事をしてやろうとーーただそれだけしか、考えていなかった。
「…………そうですかね」
「そうそう。頑張るヤツはみんなエラいの。頑張ってなくても、今日もちゃんと生きて呼吸してるヤツはエラい!」
「何ですか、それ」
あんまりにも適当な物言いに思わず噴き出す。
思えばそれは、この数日で久し振りに浮かべた笑みだった。
→続く