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10/課外活動-護衛依頼_後


「――天国って、どんなところでした?」


 帰り道。また、あの亜坂先生の聖ネオポリス大学附属病院にお世話になりに行き、事故のときに受けた外傷のほうを軽く治療してもらっている間、手持ち無沙汰なので、そわかさんに特に意味もなく話題を振ってみた。

 因みに私達は気にしないのだが、病院の計らいというやつで、先生は男女別、別室で治療を受けている。

 包帯まみれとはいえ見事に擦り傷だらけになっているそわかさんはちょっと戸惑ってから、俯いて、昏い声で、言った。


「――私にとっては、地獄のようなところでした」

「……と、いうと?」

「もしかして会えたら、と思った妹に、やはり会えなかったんです」


 治療してくれているのは、亜坂先生直々だ。どうせ代償にまた私の血液サンプルを持っていく。だから、何をここで話していようと突っ込んでこないだろう。深入りしないのは彼女の美点だ。

 そわかさんは続ける。


「私達は一族代々闇稼業の者です。それは理解していました。しかし――あるとき、両親と妹、兄、そして私の五人で、ドライブをしに行った。その帰りに、事故に遭った」


 そわかさんは震えている。なるほど、彼女が交通事故で錯乱していた理由が分かった。彼女のトラウマだったのだ。

 家族の約半数が死亡した事故――そして、おそらく、ふたりを包帯まみれにした事故。


「……今思えば、私達一家はこの世界で目立ちすぎていました。戒めでしょうね――あの『呑み屋』に狙われ――交通事故に遭い、私達は暗殺されかけました。いえ。両親は暗殺され、妹に至っては――呑まれた結果、もう思い出せない」


 ――私のせいです。

 ――私が、厄請けだから、きっと。

 続くその言葉を、想像するに難くない。

 子供の情緒とはそういうものだ。案外、自分を中心に世界が回っている気がして、なんでも自分に繋げたがる。存外にそんなものでもないのだが――、


「……って、『呑み屋』とは?」

「闇稼業では有名です。その者の経歴も他者の記憶も公的記録もすべて消えてしまいます。どうやってかは知りませんが……」

「でも、貴方は妹さんを覚えている」

「いいえ」


 悲し気に、そわかさんは首を横に振った。

 もうほとんど、なにも思い出せないと。ただ妹であったことだけと、呑まれたこと、哀しみ、それ以外、名前も思い出せないという。


「天国で、すこし――探してみました。しかし、やはり居なかった。門の人曰く、私に妹は居ない、と」

「……その目の傷も、事故のときに?」

「はい。私は目を。お兄ちゃんは脳に障害が残り、感情の起伏が少なくなってしまいました。昔はよく笑う人だった」


 それでも同情や心の悼みが出ない私はおかしいのだろうか。

 心が穴だった。話を聞いても穴からただただ通り抜けていってしまう。悲劇だとは思っている。しかし、私の心は響くように出来ていない。

 だって、裏稼業をやってきた人たちだ。

 覚悟はできていたはずだ。

 それだけのことをした人だ。

 しかし、それによって逆に非難に燃える道理があると言うわけでもない。面倒な性格だ私は。何がしたいかというと、なにもしない。私に感想は無い。本当に、この話は右から左へ通り抜けた。川で石を積んでいったのに似ている。それを崩されてまた積んだような。ちょっと違う?


「――あ、終わったから。失礼するね~」


 ここで、話もちょうどよく切り上がったと見てか、亜坂先生が注射器を出して、私の腕に消毒液を塗る。私は仕方なく血液を採取される。いつも思っているのだが、なんて名前の研究なのだろう。単にヒーリング技術、とか?採血が終わりしばらく腕を圧迫していると、なぜか亜坂先生は当然のようにそわかさんにも採血を行った。そわかさんも驚くふうでなく、特に気にせずそれを受け入れている。


「あれ……。そわかさんも、この研究、参加してるんですか?」

「はい。――あの、亜坂先生。どうして遠城寺さんにはこの研究を内密に?」

「……この子の先生がさ~。どうも過保護でね~。……まあ教えてもいいか~」


 二度目の採血も完璧に終えてトレイに血液サンプルを置いてから、亜坂先生は近くの椅子を引き寄せて私達の近くに座った。

 この病室に人は居ない。処置室ではなく空き病室で処置を受けていた。普通の部屋だと、看護士さんに遭遇する可能性もあるからであった。


「私はさ~、君たちみたいに特殊な体質な子が傷の治りが早いってことに着目して、日夜研究してるんだよね~」

「はい。そこまではふんわり先生から窺ってます」


 ということは、隣に居るそわかさんも、傷の治りが早い仲間ということである。やっぱり、これは――催眠耐性のことといい、なにか関係あるのだろうか。

 亜坂先生は続ける。


「最初は『再生因子』って名付けたけど――途中で名称変更したんだよね~。『悪魔の因子』って~」

「あ、……悪魔?」

「これがまた難儀でさ~」


 亜坂先生はよれた髪の毛を手癖で直しつつ、告げる。


「再生が早いのはオマケ。副次的機能だったんだよね~。問題は主要効果でさ~。……『悪魔の因子』は、因子濃度が高ければ高いほど、運動能力や特技の力に目覚めているうえに、倫理観が薄くて、犯罪行為に走りやすい傾向があるんだよ~」

「最悪ですね。なんですその病気……病原菌?」

「ああいや、病気とかじゃないよ~。これ、遺伝子情報だから」


 おっと。結構危ないワードが出たな。

 確かにそれはちょっと――どころでなく、かなり、気を付けたほうが良い情報だ。犯罪を起こす兆候がある遺伝子情報があるなんて世間にバレでもしたら、絶対に差別が起こる。生まれる前に判別できるのかとか、そういった問題も出てくるだろう。なんて。

 そして濃度が存在し、それによっての犯罪行為に及ぶ確率傾向があるのだから、まあおおっぴらにできる研究でもあるまい。聞かなくても分かるが、私の濃度は高いだろう。だって、殺人鬼だし。

 でも、犯罪行為というか倫理観、良心って言っちゃうと風土の偏見なんだよなあ。日本で大麻をやったら悪だけど、違法でない別の国でやればそれは悪じゃないし。となったら日常行為のひとつになって、それって日本人の偏見というだけになっちゃうわけで。


「そういえば、なぜ、名前が『悪魔の因子』に?」


 亜坂先生に訊ねると、のんびり答えてくれた。


「それはまあ、色々名前に悩んだっていうのがあってね~。で、結局、その日の実験体の言葉を受けて、なんとなく決めたんだよね~」

「実験体?実験体は何て?」

「……ああ」


 ――この悪魔。

 実験体は、そう言って亜坂先生に吐き捨て、死んだらしい。



  ◆◆



 しばらくして、亜坂先生は部屋から出て行った。

 悪魔っていうのは、実際に居るのだろうか。地獄があるのは知っているし、幽霊や呪いがあるのも知っている。そわかさん曰く、天国自体はある。しかし、悪魔は今のところご存じない。先生に訊ねたら、教えてくれるだろうか。いや、どうだろうな。こんな「悪魔の因子」についてすら過保護に秘匿してた人だ。素直に教えてはくれないかもしれない。

 なぜ、先生は「悪魔の因子」について黙っていたのだろう。

 詳細について、あまり関わらせたくないようだった。つまり、逆に言えば、詳細を知っているということだ。私は自身をすっかり大人だと思っているわけではないが、いつまでもか弱き夢見る子供であるわけでもない。しかし先生は私から、何か隠したがっているのは、十中八九明白である。

 理由が分からない。


「……そういえば。香田家って、先生と親戚って話でしたっけ。付き合い、長いんですか?」

「長いといったらもう十年なので長いですが……数年単位で会ったり会わなかったりしますから」


 一度理不尽に殺されたわりには文句ひとつないそわかさんが、より包帯まみれになってしまい居心地悪そうに椅子の上に小さくなっている。そして、ふとスマホを取り出すと、私に向けて、言った。


「連絡先……ニャイン、交換しておきませんか。いざというとき情報交換しましょう」

「おっ、いいですね」


 確かに情報網は広くて損することは無い。しかも裏の人間だ。間違いはないだろう。私もスマホを取り出し、ニャインの友達コード画面を出して、そわかさんに見せた。そわかさんはそれを読み込んで登録し、私もそわかさんの申請を登録。うん。殺したり殺されたりする仲の友人が、プラスひとり増えてしまった。私は友達リストに記録されている「朱堂くん」の文字も確認しながら、そんなことも考えた。

 朱堂くんだったら?

 朱堂くんなら、――朱堂くんなら、平気で悪魔の因子の話なんて話すだろう。知ったその日に話す。あいつ口軽いし。思ったことそのまま話すタイプだし。職業医者だから、それなりに考える頭あるはずなんだけどな。オンオフ激しいのか?

 ということは――、

 ――うん。

 私はちょっとがっくり落ちてしまった。その結論はあまり知りたくなかったからだ。認めたくなかった。悲しい、わけではない。私にそんな殊勝な人間じみた感情は未だ実っていない。ただ、――落胆した。先生に落胆した。

 ――私って、思ったより、先生に信じてもらえていなかったのか。

 考えに考えてみるに、それしか原因が思いつかない。私に信用がないから、重要情報を与えられないのだ。それ以外に何がある?


「――そわか、入るぞ」


 声がした。この声は弥栄さんの声だ。

 ぎくっとしたのは、スライド式ドアを開けた弥栄さんの後ろに、いつもの格好に戻った先生が、治療後の包帯まみれになってついてきていたからだった。あまりうろんな考えを持っていた折にの登場は心臓に悪い。

 こうして、見事包帯まみれになった四人は仲良く処置室の一室に集合したのであった。


「お兄ちゃん。病院で煙草、ホントにやめて」

「ああ、わかった――」


 もうこのやり取りは自然なものらしい。無自覚チェーンスモーカーなのか。妹に目ざとく言われ、弥栄さんは機械的に携帯灰皿に煙草を押し入れた。結構、この一日でパンパンになっている。マナーはいいらしい。


「無事……ではないが、また生きて会えて良かった。おかえり、そわか」

「うん。お兄ちゃんも」

「――拝み屋。金は振り込んでおく。山分けだからな」


 今回の件の報酬について、先生達は出入り口付近で二言三言互いに話してから、外へ出て行った。隣で座っていたそわかさんも、よく一度死んでおいて体がああも元気に動くものだ。ぴょんと立ちあがり、慌て兄を追いかけていく。


「僕たちも帰りましょう」

「……そうですね。先生」


 私は途中まで、先生の車に乗って帰る――と思ったが、そういえばついさっきに、その自慢の車はお釈迦になったのだと思い出した。何で帰ろう。素直に電車か。と考えあぐねていると、先生から、「タクシーで帰りましょうか」と提案があった。そうだった。交通費は経費で計上だから、先生が払うし、贅沢してもいいのか。


「……あれ?」


 病院前にて。タクシー待機列は誰も居ない。しかし、タクシー自体も居ない。なので空車タクシーを待ちつつ、私はふと疑問に感じたことを先生に告げた。


「……そわかさん、そういえば天国に行ったって……闇稼業の血筋なのに……犯罪してないんですか?」

「ああ、彼女から聞いてませんでしたか。彼女、まだ成人していないので香田家の"家事手伝い"なんですよ」


 家事手伝い?

 私がオウム返しすると、ええ、と先生も言って、香田家の家訓です、と得意がって教えてくれた。


「香田家が子に犯罪を教えるのは成人をしてから。それまでは呪いの祓い程度の修行……"家事手伝い"しかしません。しかし――」


 先生はちょっと遠くを見た。色々とあって、治療を受けたせいで、もうすっかり夜になっていた。先生の視線の先には大きな満月が光っていた。欠けていないので美しい。


「……あの兄は、妹に"家事手伝い"以外をさせる気が、今後も無いようです」

「え?……つまり、成人後も、ですか?」

「シスコンなんですよ彼。ああ見えて。――昔、香田家がドライブ事故を起こしたのは聞きました?」

「ああ、それは聞きました」

「罪滅ぼしだと、彼は言っていました」


 いつもの先生だった。

 すべてに同情して憐れむ目元。何か力になってあげたいと悩む表情。先生はまた、知らず知らずに自分で傷ついてゆく。

 もしかしたら、先生は私の救済をとうとう諦めたのかしら。

 そうかもしれない……。

 先生は続ける。


「ドライブ事故のとき――運転をしていたのは、父親ではなく、免許とりたての弥栄さんだったそうです。あのとき自分が強襲に驚かず、しっかり運転していれば――ずっとそれを悔やんで、悔やみきれなかったと。両親と妹の死も、妹の視力を奪ったのも、自分のせいだと」

「なるほど――」


 救われない兄妹だ。

 互いが互いを原因だと思い込んでいる。

 それで互いに壁をつくり、これからの人生をつかず離れずに贖罪をして過ごすのか。

 どうしたところで、弥栄さんは脳障害がある。もう感情があまり分からないところまできている。

 いちばん悪いのが自分だと思っている限り、彼らは救われない。

 誰が悪いかなんて明白なのに。

 直接的に言うなら「呑み屋」だ。

 元凶を叩くなら「呑み屋」を雇った者だ。

 私だったら、そうする。

 つまり、彼らは底なしの「いいひと」ってことだ。


「――あ、先生」


 私はそういえば単純に訊ねたかったことがあり、唐突だが話題を変えて、先生に質問した。


「はい、なんです?」


 先生は快く答えるつもりで、いつも通りに笑顔で振り向いてくれる。だから、私もいつも通りに言葉をかける。


「――悪魔って、本当に居るんですか?」


 分かりやすく、さっと先生の顔に血の気が引いた。

 このとき、私は、先生にしてはいけない質問をしたのだと直感した。地雷を踏んだ、というやつである。先生は珍しく目を細め、金色の目を瞬かせ、それを隠すように手で覆った。長い長い嘆息を挟んだのは、自己を落ち着けるためだ。ここまで分かりやすく取り乱している先生を見るのは初めてかもしれない。しばらくして、先生は首を横に振り、居ませんよ、そんなもの、と、掠れ枯れた声で、絞り出すように、言った。

 私は大きな勘違いをしていたのかもしれない。

 先生が隠したかったのは「悪魔の因子」の存在ではなく。

 ――「悪魔」の存在そのものでは?


「先生――、」


 私はちょうどやってきた空車のタクシーに照らされ、会話が途切れたのをすこし残念に思いつつ、そういえば、今日はいつもより波乱の一日だった、と思った。


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