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09/課外活動-護衛依頼_中


 ――パンケーキを食したのち。

 包帯まみれの兄妹に引き連れられ、いかにもな横浜の入り組んだ工業地帯、その地下に、私と先生は案内された。ぴちょんぴちょん、と、工場の排水なのか、土地の地下水なのかよくわからないものが始終滴っている音がする。気をつけろよ、と弥栄さんが言ってから、カードキーで奥の扉を開けた。私は一瞬身構えたが、なるほど、まだ白い部屋の中ではなく、その一歩手前の、マジックミラーに守られた観察室のような場所である。向こうの部屋、死体となった政府の高官さんとやらはぴくりとも動かず、部屋の中央で転がっていた。

 だが、あれに――憑りついているのだろう。

 "追尾する色の恐怖"の呪い――。


「そわか、あれに居るのは、まだ間違いないか?」

「…………。うん。間違いない、よ」


 兄の問いに、盲目の妹はやや震えつつ答えた。まだ子供だ。恐怖に震えるのも無理はない。だが兄は容赦がないようだった。


「それならお前に任せる。俺は俺の仕事をやる」

「うん。……お兄ちゃん、また後でね」


 そっけない機械的な動作で、兄はまた、こちら側の部屋のロッカーを漁り、真っ白の作務衣を三着用意して、放り投げた。着ろということらしい。確かに、いくら洗脳は無効といっても、私達の衣服は無機物だから、色を通じて飛び出す可能性はあるか……。有難く拝借させて頂こう。衣服を着るのに手間取っているそわかさんを手伝いつつ、先生もさらっと着こなして白い作務衣姿となっていた。私も、修行で何度か着たことがあるので、作務衣は難なく着れる。畳んだ自分の服から飛び出しナイフだけ拾っておいて、カチカチと調子を試しておいた。これが無いと落ち着かない。

 ちょうどロッカーのほうを向いていた私に、そわかさんが、なんだか、おそるおそる訊ねる。


「――あの、マイナさんは、悪魔の因子を持っている、ってことは……、」

「そわか。その件は、今回は気にしなくて良い」


 妹のそわかさんが言いかけたことを、兄の弥栄さんがあの機械的表情で何の変哲もなく制した。――ん?何を言いかけたんだ?ちょっと気になるワードだった。「悪魔の因子」……がどうとか。少なくとも先生からは聞いたことのない言葉だ。私は先生の方を咄嗟に見つめるが、先生は明らかに動揺して私から目線を外した。先生は嘘が下手である。だから、そもそものこと、嘘はつかない主義だ。つまり、何か私に隠したいことがあるのだろう。私は考えてみて――ここ四人の共通点が、悪魔の因子持ち、なのだとおそらく仮定してみて――だとすると、簡単な洗脳が掛からない効果が、悪魔の因子の特徴?――いや、なんだか違う気がする……。

 頭がこんがらがってきた。元々考えるのが得意なたちではない。あとで時間がある時に先生を問い詰めよう。私は素直なたちが取り柄なのだ。

 そして少なからず、この機械的なお兄様には、私と先生は妹を預ける程度には値すると信用されているようだし。


「――妹を頼んだ」


 ――顔に出ない方なんですね。私が冗談めかして言うと、「俺は見掛けよりも喜怒哀楽があるほうだ」と、こちらもまた素直に答えられてしまった。

 思ったより、本当にただのいい人だったのかもしれない。

 続いて、妹もお辞儀をした。


「こんな身ですが、精いっぱいお力添えします。よろしくお願いします」


 私と先生も続いて頭を下げた。

 そして、一呼吸おき、互いに目を見合わせる。

 時が来たのだ。誰もがそう思った。

 弥栄さんがカードを通し、緊急と書かれたカバーを外してコードを打ち込み、それからレバーを下げる。

 ドアが自動でスライドし、開く。

 真っ白の部屋が、口を開けた。



  ◆◆



 まず、何も起こらず、静けさが落ちた。

 先生を先頭に、私がしんがりを務め、白い部屋に入っていく。もちろん、死体処理が目的の弥栄さんは部屋の外で待機だ。

 念のため、白い杖だけでは危ないだろうとそわかさんの手を私が引いている。そわかさんは、まるで見えているみたいに緊張した面持ちで、高官の死体の方向を警戒し、顔を向けている。


「――居ます」


 ひょっとしてもうどこかへ行っちゃったんじゃないかしら、という私の儚い希望的観測は砕けた。まだ中に呪いは留まっているらしい。そして、虎視眈々と脱出の機会を狙っている。


「霊能者の僕が居るから、警戒してるみたいですね。叩きだします?」

「いえ――手筈通りに行きましょう。お願いします」


 え?手筈通りってなに?

 私の聞いてない段取りに困惑していると、そわかさんは私の手を離れ、死体に向けて駆け出していた。盲目でも障害物程度は音で認識できるとは本当らしい。いや、感心している場合ではなくて。

 瞬間――、

 高官の見るも無惨な遺体からは、極彩色の迸る稲光のような形の猫――としか言い表しようがない、チカチカした存在が、素早く部屋中に散らばって現れた。猫は目と口をにんまりと形作ると、一直線にそわかさんの口内へ潜り込んでしまう。ぶわっ、とすこし、そわかさんの髪の毛が、静電気で跳ねた。しばらく、ちかちか彼女の周りが光る。その隙に、先生が札を三枚ほど、そわかさんの額と両肩に一枚ずつ、貼った。


「うっ――、く、うぅ――」

「大丈夫ですか?そわかさん。ご気分は?」


 全身を戦慄かせている女の子に向かって、その質問は無いだろう先生。明らかに喋れる状態じゃないじゃないですか。と思いつつも、手早い仕草でそわかさんの手と足にガムテープを巻き (ロッカーにこれまた白いのがあった)、暴れないように捕縛する私もなかなか状況慣れが早い。早すぎである。私はとりあえず自由に動かなさそうだと判断してから、イモムシ状態になったそわかさんを俵抱きで肩に担いだ。そわかさんは意識があるのか無いのか、朦朧としたようすで唸っている。速く済ませたほうが良いだろう。


「――先生。運びますか」

「そうしましょう。なんか、犯罪臭がすごいですが」


 うん。分かる。

 これでは誘拐現場である。

 すぐに外の部屋から弥栄さんが駆けてきて、妹を一瞥してから、またあの機械的動作で高官の遺体の処理に移った。私はやっと、彼を見たときに脳裏を何度もリフレインしていた正体を突き止めたのだが、あのフランケンシュタインだった。正確には、フランケンシュタイン博士の怪物。包帯とツバが広めの帽子で隠しているようだが、額にでっかい傷があるようだし。もしかして、それがあの無感情で機械的な動きの原因なのか?


「遠城寺」

「あ、はい」


 呼ばれたので返事をした。結構に不意をつかれた。そうか、このご兄妹は怪我だらけというか、傷痕だらけなのだ。事故にでもあったのか、それがひどく痛々しい。壊れているというか、既に壊された後みたいな。私はこの兄妹に、なぜか葬式に立ちすくむ参列者のイメージを重ねた。

 弥栄さんが、言った。


「――お互い、また生きて会おう」


 もう、そういうフラグめいたこと言うの、やめてもらえますか。



  ◆◆



 白のガムテープでぐるぐるに拘束した女子高生こと香田そわかさん――をさっそく地下駐車場に停めた先生のハイエースに乗せる。うん。犯罪者臭が余計に強くなる。これで乗りこなしながら電話なんてしたら完璧だな。きっと配給元から、「運転中にスマホでお電話は犯罪なのでちょっと……」とツッコミが入るぞ。

 まあそれは置いといて。

 見る限り、先生の札の効果は、弱体の呪だけでなく、封印の呪もあるのだろう。長くは持ちそうにないが、今現在、こうして最も憑きやすいそわかさんの体に閉じ込めている。このまま、松御神社――というところに行って、ミッションコンプリートするだけである。

 ――おかしいな。簡単すぎるぞ。


「……嫌な予感がしていますか?」


 運転をしながら、今回は様子をつぶさに見るためにも後ろの席へそわかさんと乗っている私に、ミラー越しで確認しつつ先生が話しかける。

 さすがは先生。なんでもお見通しというわけだ。


「――はい。こんなに楽なら……いえ、確かにこの子の特技のおかげもあるんですけど……。すんなりいくなら、あの惨殺遺体はないだろって、なります」

「あはは、まあ確かに……それで、残念なお知らせなのですが、その札を作った術者としてご報告があります」


 うーん。めちゃくちゃ聞きたくないご報告が続くのが容易に分かる。しかし、私はそれを聞かないわけにいかなかった。

 目の前で、彼女に貼られていた札が、燃えて焼けるように、くしゃりとちりぢりと、消え始めていたからである。


「そろそろこの車ごと、呪いのせいで横転します」


 交通事故って生まれて初めて遭った。

 それはもうびっくりした。全身がミキサーにかけられた衝撃だった。よくある殺し合いで三階から飛び降りて逃げたとき、車のフロント部分をクッションにしたことはあれど、こんな衝撃はなかった。すっごい。中に居ると、ここまでの衝撃がくるのか。死んだかと思った。死んではいなかったどころか全然軽傷で動けたのだが。

 私は咄嗟に後部座席のそわかさんを探し、生きているのを確認してから、一緒に引きずってひしゃげた車から脱出した。

 先生自慢のハイエースは、どうやら交差点の真ん中でお釈迦になったらしい。隣に、大きなトラックが前方を湾曲させて運転手もぐったりしている。突っ込んできた哀れな犠牲者はこのひとか。

 先生も、ちょっと経ってから、自力で運転席から這い出してきた。まあ先生が死ぬなんてありえない。この人が死ぬとしたら原因は自殺くらいだ。無敵の人だ。

 そして――

 いつの間にか。

 そわかさんの体から、あのぱちぱち光る極彩色の猫が飛び出していた。

 追尾する色の恐怖。

 ターゲットは現在――間違いなく、厄請けの香田そわか。

 しかしまずい……呪いが出てきてしまった。封印が解かれたということは、奴は現在、どの無機物の色からでも出現、消失が可能だ。逃げ場が無い。


「――先生!どうにかして、そわかさんより私達が気を引くことはできませんか?」

「……無理です。できたとしてもそわかさんは……」


 なにやら先生は歯切れが悪い。あの洋裁店のマネキンの服、ピンク色から極彩色の猫が飛び出してきた。咄嗟に庇おうと飛び出しナイフを持って立ちはだかるが、猫は私を通り過ぎてそわかさんを一撃、ひっかく。ひっかいてすぐに、離脱する。

 しかしそわかさんは悲鳴も上げず、そんな傷なんか無かったかのように、何かに怯えていた。


「――ごめん。ごめんなさい。私が。私が厄請けだったのが悪いんです。だから。だからあの日、死なせてしまった――交通事故で!」

「……そわかさん?」

「――可哀想な――『』に食われて――もう思い出せない――あの子の思い出は何も無い――」


 そわかさんは錯乱している。引き金は、明らかに交通事故だ。

 いつぞやの過去にでも、妹を事故で喪ったことがあるのか?でも今はそんな場合では――いや……、そうだ。それでいこう。

 物理が無効な敵であっても、私にだってできることは大いにある。

 そう、私にできて、先生にはできないこと。


「先生!作戦会議!!」

「必要ありませんよ!貴方のその顔でもう分かりました!やってください!!」


 呆れた顔で叫ぶ先生は、それでもその手段しかないと察しはついているらしい。さすが先生。伊達に長い付き合いではない。

 じゃあ――

 私はさめざめとしているそわかさんを押し倒し、上に乗りあげた。手早く苦痛なくやる必要がある。首に両手を回し、親指の位置は動脈が通っている場所に当てて素早く圧迫。背後に極彩色が近付いてくる気配がある。急げ急げ。悲しみに暮れるそわかさんは抵抗もなく、意識を落とす。まだ両手は離さない。圧迫を続ける。先生が極彩色と戦っている。時間稼ぎで良い。倒しきる必要は無い。いつの間にか、交差点に人は全く存在しなくなっており、野次馬すら居なくなっていた。これは極彩色の不気味なオーラが原因だろう。もう少しもう少し。――あっ。

 呼吸が落ちた。

 念のため、もう数分。心臓もしっかり止まる。

 大丈夫。彼女も悪魔の因子持ちなのだ。きっと人よりもってくれる――。


「――先生。香田そわかさん、死にました」

「よし。計画通り」


 先生はちょっと痛がるような申し訳なさそうな笑顔を向けて、


「さあ、もう、君の欲しがるお姫様は居ないよ」


 〈本気の先生モード〉でお相手することになった。



  ◆◆



 先生は、基本、本気を出さない。

 本気の霊力全開で相手をしてしまうと、相手の魂どころかその場に居る魂も皆耐えられないからだ。それくらい、霊能力者としての先生の実力はすごいのである。

 私は一応修行もしているし、メンタルはこう見えて強いほうだ。先生の本気モードにまあ耐えられる。(実証済み)。それに先生は滅多に本気を出さない。どちらかといえば、先生は私と違って傷付けるより対話を選ぶタイプだ。それで私と知り合って早々のころはよく自分の方が傷つきまくっていた。強いのに。

 つまりは、今、私は「香田そわかの魂を一時的に逃がした」。

 避難させたのである。


「――ごめんなさい。色々やってみたけど。今回も僕の力不足で、こんな形でしか救えませんでした。力に頼ることをお許しください」


 虚空に向かって先生は頭を下げる。律儀である。今まで精一杯というようすで時間稼ぎをしていた男が、こんなことを言うのは、なんだか信じられないのだろう。すぐに近くの黄色の風船から極彩色は飛び出て、先生を一直線に爪で狙う。

 先生は、――

 先生は、つけていた腕輪を取り去ると、見るからに霊力を溢れさせ、髪も伸びた。そして素早い動きで極彩色の猫を捕まえると、ただ、ひと撫でした。

 にゃっ、と鳴く声だけが響いた。

 それだけで、あの"追尾する色の恐怖"の呪い――は、終焉を迎えた。

 あまりにも、簡単なことだった。

 だが、先生はこの手段をとことん好まない。

 これは魂の意志を無視した強制成仏だ。そこのとこ、やっぱり理不尽に思っているらしい。

 先生はすぐに腕輪を戻して、元の姿に戻る。先生はこの姿が嫌いだから。


「――って、速く速く!そわかさんに蘇生治療を!」

「あ、そうでした」


 何度かやった経験があるので、あっさりと、人工呼吸と心臓マッサージで彼女を現世に連れ戻せた。


「……天国に行っていました」


 ぼんやりと、そわかさんは、そんなことを言っていた。


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