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07/いつしか忘れる夜桜だけれど


 先生との仲に、だいぶわだかまりも無くなった頃。春先のことである。

 私は唐突にスマホで呼び出され、事務所までやって来ていた。先生が意味不明な用件で私を呼びつけるのなんていつものことである。今回は、それに輪を掛けて意味不明な用件であった。曰く――

 ――お花見をしましょう。

 ……である。


「……それで、どんな企みがあるんですか?」


 事務所のドアを開けて入るなり、私は客用ソファにどっかと寝転んで、忙しなく動き回る先生を傍目に眺めて訊ねた。先生はいつもの動きやすい和風な格好にピンクのフリフリエプロンをして、事務所の手狭なキッチンで料理に熱中している。先生はこう見えて、料理が得意である。レシピを見ずに作れるレベルだ。さすがは独身貴族を貫いてきているだけある。いや、同じく独り身街道に差し掛かっている私が料理ができているかといえば、できていないのだけれども。

 一方、ノリノリで料理をしつつ鼻歌をうたう先生は、お玉を持ったまま、私の方へと振り返った。


「企みなんて、とんでもない。純粋に、お花見のお誘いですよ」

「こんな夜からですか?」


 現在時刻二十時。春だからすっかり陽は沈んでいる。

 この先生が私を純粋にレジャーにお誘いだなんて、絶対にあり得ない。これは確信していい。そんなホスピタリティ溢れる職場ではないのだ。少なからず打算があると思って良い。先生は、私と過ごすうち、だいぶその辺りは割り切るようになった。まあ、その点は以前よりもたつかなくなった、変化というより単なる省略である。或いは純粋なる慣れだ。

 私はしばらく客用ソファでスマホをいじって時間を潰し、先生の料理の完成を待った。小一時間すると、それも終わったようで、お待たせしました、と先生はやっと、似合わないエプロンを解いて、私のほうへとやって来る。


「いやあ、この四段お重お弁当を作るのに手間取りまして」

「――えっ、本当に、お花見をする気ですか?」

「もちろん。とてつもない絶景スポットですよ」


 私の行くという返事も待たずに、先生は水筒やら紙コップやらの準備もして、大きめのボストンバッグに詰めていく。もちろん、忘れずに作った重箱のお弁当も。

 それを肩に掛けて、さあ行きましょう、と私に声を掛けるものだから、仕方なく、私も行くはめになる。勤勉な生徒たるもの、やはり先生には逆らえない。何より、結局、この件も――心霊関係になるのだろう、と確信めいた気分であったからだ。

 というか、先生が関わるのだから、それ以外ありえないのだが。

 それなら行かねばなるまい。

 私の情操を育てるため――或いは根本から得るために。

 とはいえ、夜方にアポなしでいきなり呼び出されたのは不服である。――何度も言うが、人間性は欠けていようと感情はあるのだ。


「まあまあ、機嫌を直して。人も居なくて、良い桜なんですよ」


 言いながら、事務所を出て、先生の愛車、いつもの黒のハイエースに乗り込む。花見で一杯、しようじゃないですか、と言ってきたので、貴方車でしょう、と突っ込んだら黙り込んだ。本当に飲む気だったのかは不明であるが、実際酒は持ち込まれていたので、グレーゾーンだった。(私のために持ってきてくれただけかもしれないが……。)

 場所は、近場だった。

 横浜の郊外。

 ベッドタウンにあるやや広大な寺、奇法寺という現存の寺だった。

 大通りに面していて、駐車場も有り。あまり老朽化した印象も無く、境内もよく清掃されている。

 境内の中央には、しめ縄を撒かれたいかにも「ご神木」といった風体な、樹齢の高そうな桜の木があった。

 見事にライトアップされている。桜はやや葉桜になり始めか。それでもまだなお美しく、白い花弁がはらはらと、風もないのに散り始めている。


「――切るんですか?この桜」

「おや。察しが良いですね」


 さすがに、こうして見ればね。

 車を降りた私達は、その異様な桜を前にして堂々とレジャーシートを広げていた。まあ、見事な桜があるのだから、こうして元気にお花見である。それが先生の前準備なのだから仕方がない。

 その異様な桜は、既に虫駆除のために幾度か試みた形跡があるようだった。

 藁を幾重にも幹に巻きつけて燻した跡がある。これは、大量発生した桜などに付着した毛虫を、一度巻いた藁に吸着させ、藁を燻して殺す、という殺虫方法だ。だが、いたずらにこの桜の寿命を縮めただけになったのだろう。幹に焦げ跡を残し、まだ桜には、いくつもの毛虫が張って蝕んでいるように思われる。そして、あの毛虫は普通じゃない。

 ――呪いの類だ。

 この桜は、呪われている。

 私達はのんびりと重箱の弁当を広げながら、花見――もとい、桜を観察した。甘い卵焼きがおいしい。じゃなくて――何が呪いの元凶だろうか?

 あの毛虫は呪いの一部だが、主たるものでは無い気がした。

 むしろ逆でもある。もっと具体的な――


「……そうですね……なんか、妙にお腹が空く、というか」


 私は先生のお弁当をぱくついた。かぼちゃの煮っころがしがうまく味が染みていて、口の中でとろける。先生も箸の手は止めず、小さなエビフライを食べつつ答えた。


「それはそうでしょう。――このご神木の桜は――『血吸い桜』になってしまいました」


 血吸い桜。

 正確には、吸魂桜。

 よく、桜の木の下には死体が埋まっている――という都市伝説があるが、あれはあながち嘘でもない。

 猫が長寿で化ける猫又のように、桜も長寿で吸魂桜に化ける。

 それこそ、こうしてご神木になるように、霊的なものになるのだ。

 いや、元々はこの桜も、ご神木であった。

 ただ、寺でご神木として過ごしてゆくうち――それは人々の願いに晒されるわけだが――願いとは、なにも善なるものに限られるわけではない。

 悪しきものもある。

 その比率が極端に傾いた場合――ご神木は染まってしまう。

 吸魂桜になってしまうのだ。

 もちろん。それを神聖な境内に放置するわけにもいかない――力の弱い寺であったなら、なおさら、立場が逆転した吸魂桜を置いておくわけにいかない。

 だからこそ、先生の出番だった。


「そうですか。先生――この桜は、人間に『呪われた』ってとこなんですね」

「……ある意味、被害者ですね」


 先生は寂しげに目を伏せる。

 同情しているのだろうか?先生のその気持ちは、私にはさっぱり分からない。ただ、仕事において無駄な感情だとは思う。同時に、必要不可欠な感情なのではとも思う。これは理解している。理解しているが、こなせるかは別の話だ。私には――難しい。

 私達は桜を見る。花見をする。これが最後のお役目である。お役御免である。だからこそ、しっかりと見届けている。食事をしながら。飲み物も飲みながら。桜の薄紅は、はらはらと落ちていく。この儚い美しさは、春の一時期にしか持たない。刹那だから美しい。だから、それが今日で終わりになっても、桜だって本望のはずだ。

 放置すればそのうち、この木は悪意で吹き溜まるだろう。間違いなく悪い人間を引き寄せ、悪いことを起こさせる。藁人形の儀式の場とか、悪い霊の溜まり場になる。そうなる前に摘んでしまうのが優しさというものだ。

 まあ、それも、人間側の都合なんだけど。


「――それじゃ、取り掛かりましょうか」

「はーい」


 重箱の中身を綺麗に食べ終わり、先生が片付けをキリよく終えたので、私も伸びをして返事をする。そろそろ仕事開始、なのだろう。私も腹ごなしがてら動くとしよう。道具はどうしますか、と先生に訊ねると、車の中にチェーンソーがありますよ、となんとも心強い返答であった。

 わざわざこのために買ったのだろうか。車の中を確認すると、大型のエンジンチェーンソーがそのまま置いてあったので、ガソリンとオイルの確認をしてから、私はそれを持ち出して境内へと足早に戻った。先生は札を何枚か、桜の木に貼っていたようだった。暗雲のような靄が、桜の木から立ち込め始めていた。キシキシキシ、と幹が軋み始めていた。おそらく拘束系の札だろう。やるなら素早く、今のうちだ。

 桜の木の幹はそこまで太くはない。直径五十センチにも満たないだろう。だが枝分かれしており、そこそこに背が高い。注意は払っておかねばならない。まあ太くはないとはいえ、ひといきで切られる細さでもないし。


「先生、危ないから、離れていてくださいね」


 チェーンソーのエンジンを駆動させた。リコイルを数回引いたのち、けたたましい音とともにチェーンソーの刃が回りだす。これで人間を叩ききったらちょっとおもしろそうだな、といけない考えが過るが、今回は木を切るためだ。それに、人間だとうるさすぎて逃げられそうだし。重いし。

 とにかく、今はこの哀れな桜の木を切る。

 私は命も花弁も散り散りになりかけている桜に向かって、チェーンソーの刃を押しあてた。

 ぎゅいいいいん、と、戦慄くような振動が、強く強く両手に伝わってきた。

 その瞬間、私の頭の中に何かが爆ぜた。



  ◆◆



 セピア色の風景が見える。

 まだ若木の桜と、綺麗な姿の寺が映っている。

 私も確かにその場所に立っているのだが、覚束ない。まるでここには居ないもののようで、扱われていないような感覚がある。まさにその通りなのだろう。ひとり納得して、その場面を見ている。

 ふと、巫女服の年若い女性が立っていた。

 あの爛漫の桜の木の下で、誰かを待っている。

 すると、境内の遠くから、また、年若い男性がやってきた。

 和服姿の男は、巫女服姿の女性に何事か囁いたあと、確かに、


「絶対に迎えに来るから」


 と言った。

 しかし、季節は過ぎ、桜が散って、夏が来て、葉が散って、雪が降り、また春が来て、あの桜がつぼみをつけても、男はやって来なかった。

 巫女服の女性は絶望したが、まだ男を信じて待とうとしていた。

 しかし、男性の両親が手紙を渡した。

 そこには、――男が乗った商船が、沈没したという報せが書かれていた。

 巫女服の女性は、つぼみが花開く前に、その桜の木で、首を括った。

 ――その夜。

 その夜桜はひと際美しく輝いた。満開に咲いた。彼女の絶望という負の感情を食らって色付きどこか妖しく綻んだ。そのあまりの美しさに、死体が降ろされる数日後まで、花見に人が殺到したほどである。

 結局、男は死んでいなかった。その一週間後に何も知らずに帰って来た。男は両親から、ことの仔細を聞いた。そして怒り狂った。どうしようもなかったんだよ。おまえが今回の仕事で金を貯めて帰って来て、あの巫女と駆け落ちをしたら、うちを継がないのは分かっていたから――

 男は巫女の死に目にも会えなかった。怒りのあまり、男は両親を包丁でずたずたに切り裂き、そのままあの桜の木の下に埋めてしまった。

 それから、彼は彼女と同じ場所に行けることを願って、桜で首を吊って、死んでしまった。

 ――桜はよりいっそう輝いた。

 それを、寺の坊主が目撃していた。

 彼はこれをうまく使えないかと考えた。

 つまり、「呪いの願掛け」を――。

 桜の恨みはまだまだ続く――



  ◆◆



「――おっと」


 一瞬、チェーンソーを取り落としかけたので、慌てて持ち直した。

 白昼夢でも見ていたみたいだ。

 私は首を横に振って、また、作業に集中した。

 桜は大人しく切られていく。中身はとっくに枯れかけていたらしい。空洞だ。呪いに呪いすぎて、腐りきっていたのだ。あまりに簡単に切れた。チェーンソーの刃は簡単に通った。かくん、となって、こっちがびっくりしたくらいだった。時間にして数分足らず。呪い呪われていた哀れな桜のご神木は、夜闇に花弁を撒き散らしながら、どざっ、と音を立てて、根元を切断され、地面にそのまま倒れ落ちた。

 花弁は二度とそよがない。

 毛虫が散っていき、そのままぎゅうと塵になる。

 ――ああ。

 桜は死んだんだな、と、思った。


「……先生、分からないことがあります」

「はい。なんでしょう」


 倒れた桜の木にガソリンを掛けながら、先生は返事をする。燃やしてしまうつもりらしい。街中なのに平気なのか?と思ったが、あらかじめ消防には手を回してあるに決まっている。それに夜だし、近隣住民に通報されることもない……だろう、たぶん。されても境内なら大丈夫か。たぶん。


「すこし……桜の過去が見えました。桜はかなり過去から呪われていたようです。どうして今の今まで耐えられたのでしょうか?」

「はは、それは簡単なことですよ」


 先生はぽいっと火をつけたマッチを投げて、倒れた桜に点火した。そして、深々と一礼し、手を合わせる。私はそれをしない。桜はごうごうと燃えている。境内は砂利でできているから、炎が広がる心配は無い。桜だけが燃えている。それが本当に奇妙で、ちぐはぐで、やはり、この寺にあってはいけないものだったのではないかと、そんな気にさせる。

 先生は桜が燃え尽きるまでずっと礼をして――やっと、火が燻り、尽きたころ、頭を上げた。

 月は真上まで登っていた。先生の白髪がきらきら光る。すすで肌がちょっと汚れている。それでもちょっと得意げに、いつもの糸目をより細めて、にっと笑って、言った。


「桜ですから。――お花見を、してほしかったんでしょう」


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