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02/無縁な仕事


 先生と知り合って間もない頃。春のことである。


「無縁仏ってあるじゃないですか」

「はい」


 私は先生から「課題」と言われて出されていた本 (それはもう山積みの、心霊というか、やさしいサンスクリット語だの密教系だのの数多に渡るありがたい本なのである)を客用ソファで寝転びながら流し読みつつ、先生の言葉を上の空で返答した。先生自身は事務机で何やらパソコンをいじっているようである。つまりはおあいこなのだった。

 この場所こそ、横浜某所にある袖乃心霊研究所――先生の拠点。

 今日も今日とて閑古鳥が鳴いているこの場所で、先生も退屈そうにそんなふうに話題を振ったのだった。だが、先生は無駄な話を振る方ではあるまい。いや。四対六くらいの割合では振るか……。前言は撤回しておこう。とにかく、まあ半々に近くは無駄話しないのだ。きっと、――きっと、この私にためになる話をしてくださっているのだろう。

 私は「たのしい梵字習得」という本から顔を上げて、先生の方を見やった。


「その、無縁仏が、どうかしたんですか?」

「んー……。説明しますとですね。元より無縁仏というのは厄介なんです。死刑囚だの、ホームレスだのといった縁故の無い、あるいは拒否された者が――最低限の合同供養をされてっていうのが、まあ通例でして――最悪、供養無しで火葬だけ、なんてのもあります」

「まーそうでしょう。ははっ」

「笑いどころではありませんよ」


 しっかり注意されてしまったが、私に反省の色がないところを見るに、先生はハァと溜め息を吐いて、言葉を続けた。


「呪いに溢れるんですよねえ、そういう人達は」

「呪いますか」

「化けて出ればまだ良いものを、沈むんですよ――凝り固まって混ざって沈むんです」


 はて変な表現をするな、と多少興味をそそられた。私が起き上がり、ソファに座り直すと、やっと聞く姿勢になってきましたか、といつの間にか先生も給湯室から珈琲の準備をしてきていた。黒いマグカップが私で、赤と白のマーブルなマグカップが先生のものだ。先生はそれぞれを自身の前に置くと、ソファに座り、向かい合って、落ち着いた調子で話し始めた。


「今回、お寺を潰す計画が出たそうなんですがね」

「あー、再開発ってやつですか」


 再開発するに、景観で最も邪魔になるのは寺――というか、寺に付属する墓だ。しかし、それごと消してしまえるとは、ずいぶん思い切った再開発である。しかし聞いてみるに、かなり古い寺で、ほぼ廃寺らしい。付属する墓も五つほどしかなく、移設は済んでいるそうだ。問題は――


「なるほど、無縁仏、というわけですね」

「そうなんですよ。しかも肝心の寺が廃寺ですしね。系譜も分からない。墓を持っていた檀家さんに聞いても、彼らも歳でよく知らないとあてになりませんで――実際、断絶していたんでしょう」


 先生は嘆息する。つまり、寺の引き継ぎ手が居ないらしい。どこかから有名どころの和尚さんでも引っ張って来て、拝んでもらうのがいちばんとも思われるが、私がそれを珈琲をひとくち飲み下してから発案しかけたところで、先んじて先生が言葉を次いだ。


「霊験あらたか、大きな寺の和尚さまに、依頼は出されていましたよ。――数か月前に。しかし、気休めにもならなかった」

「というと?」

「お経をしっかり上げ、他いっとうの供養はされました。しかし、いざ当日に墓を取り壊しとなると……」


 先生は宙を見上げ、指折り数え始めた。作業員が原因不明の高熱で急遽多数休む。大型重機がなぜか動かなくなる。いくら晴れの予報が出ていても、天候が著しく悪くなる。やっと工事が始まったと思ったら、普段はありえないミスで人災が起こり、しばらく延期せざるをえなくなる、など。など。など……。

 ……確かに、これは「呪われている」と言いたくなるのもむべなるかな、といったふうだ。

 つまり、「心霊なんでも屋」の先生にお鉢が回ってきた、というわけである。


「クライアントは早急に片付けろ、とのお達しです。……ぱぱっとお勉強をしましょう」

「りょーかいです」


 話が速いのは私としても助かる。私はこくこくと珈琲を早めに飲んでしまいながら――ちなみに、私は珈琲にはミルクを一対一で淹れるのが正義である――つまるところ、とっても冷えた牛乳によりぬるいカフェオレと化した珈琲を飲みながら、熱いブラック珈琲をちびちび飲む大人なのか猫舌で子供なのかよく分からない先生を横目で眺めつつ、続く言葉を待った。


「まず、先ほど言った通り――無縁仏とは、呪います。そもそも善性が低いのです。魂というものは成仏というかたちを経て天国へ迎えられますが、それには此岸から祈りを受ける必要があります。この点からして、"無縁"の魂は、既に救いから遠いのです」

「ああ――特に死刑囚なんかだと、悪性というポジションでは、最悪になりますね」

「でしょうね。特に年代的にも、今回の場所はかなり古いと記載されています」


 少なくとも八十年以上。と先生は言い切ったので、私はその年月に思いを馳せた。埼玉某所ですよ、と言った。荒れ果てたその地に、――いくつもの、おそらく、何十人もの死罪となった無縁の魂が眠っている。直感だ。犯罪者の魂だと思った。どうしてかは分からないけれど。これから行く場所には、死刑囚がいっしょくたになって、詰め込まれているのだろうと、なぜか私は確信していた。

 私の、未来の姿だからだろうか。

 わらえる。

 先生は笑う私を怪訝そうな顔で見たが、おかしな私はいつも通りで、それなので、先生は気を取り直し、話を続けてくれた。


「そしてですね――無縁仏たちは、先程言った通り、混ざります。凝り固まって、沈む――本当に、嫌な性質です。公害、といったらいいのか――じわじわと、周囲に悪影響を及ぼすのです」


 といっても、普段は何もしてこないんですがね、と区切って先生は言った。つまりこちらが何もしない限りは、向こうも無害らしい。それは大人しい限りで良いことだと思うが――。どうしたら、有害なのだろうか。私が静かに返答を待つと、くいと、やっと冷めかけてきた珈琲を飲み干して、先生はふうと首を横に振った。


「これでも、無害なんてもんではありませんよ。共存なんてとてもできません。――今回のことで分かったと思いますが。……彼らは縄張り意識が異様に強いんです」

「はあ……つまり、依り代というか――墓を壊されれば怒る?」

「正確には、依り代と、周囲の環境ですね。――彼らは、彼らにとっての城を、壊すことを許さない」


 面倒くさい無縁仏だ。とはいえ、八十年である。

 それだけ生きれば寄り合って自我も生まれるだろう。なんて、なんて面倒なやつ。まあただひとつ好都合な点があるとすれば――。


「――元人間の集まりであるにせよ、まったくの無縁の集まりであることですね」


 誰にも文句は言われない。文句を言う親族がひとりも居ないのだから。

 だから――片付けるのは、楽だ。

 すぐに、終わるだろう。

 先生は、なんだかばつの悪そうな顔をして――それから、意外にも、私をすこし制止した。


「ちょっと待って。今日は、僕のやり方でやらせてください」

「えっ?」


 かしゅかしゅと自慢の飛び出しナイフの飛び出し具合を確かめていると、先生は私のナイフを取り上げて告げた。


「こう見えて、僕は君が来る前まで君無しでやってたんですよ?」

「はい。しかし――」


 私は知っている。先生は優しい。私は悪だ。先生は正義だ。そして、正義とは優しさだ。優しさは脆い。脆いものは崩れる。私は先生が、かつてまでの仕事で、どのように行い、どのように傷まみれになり、名誉の負傷で何か月、というのを幾度過ごしてきていたかを噂で聞いている。先生は、そういうことをしてはいけない。私はいい。私は悪人だから。傷ついてしまって良い人間だから。死んでも良い人間だから。でも先生は駄目だ。先生は――良い人だから。


「先生命令です。今日は、僕がやります」

「…………分かりました」


 そこまで言われると、生徒である立場の私は弱い。

 渋々、私は、愛用の飛び出しナイフを取り上げられてしまった。



  ◆◆



 さすがの先生の魔除けのおかげで、行きの道のりは全く危なげなかった。といっても、先生自慢の黒ハイエース手前フロント際に「盛り塩」をしただけである。かと思えば、それはスーパーかなんかで買えるひと袋いくらの食塩ではなく、きちんと祈りのされたれっきとした海外の岩塩らしい。先生はそれ以外にも、祝福儀礼済みの銀の杭やら十字架やらをベルトに仕込んでいたりする。もちろん、お札や清めの塩だって。先生の祓いというのはめちゃくちゃだ。古今東西、どんな手段の風習の祓いだって使う。先生曰く、「使えるものなら何だって使うのが令和」らしいのだ。つまり、そのその論調でいくと、手段のひとつとして私が数えられているといってもいい。ただ、まだ最後の手段として引け目があるように思える。先生はそんなことを、気にする必要はないのに。すべてのものを引っかぶるのは私なのだから、安心して任せてくれていいのに。そのために私はあるのに。それこそが存在意義で、それを失えば、私はむしろ苦しくなってしまうのに――などと不服に思っていると、先生は突如急ブレーキを踏み、わあぁ、と悲鳴を上げた。


「……今、何か踏みました?!」

「轢きはしませんでしたが、乗り上げましたね。ちょっと見てきましょう」


 皮手袋を常に装着している私がドアを開け、一度車から降りると、やはりというか、黒猫の死骸に前輪が乗り上げていた。ああ、いや、失敬――半死半生ではあった。まだ生きてはいた。ただ、頭蓋は割れていたし、片目も落ちていたし、足に至ってはもう反射でピクピク動いているだけだから、ほぼ不随なのが見て取れる。これを生かしておくのは忍びない。

 私は先生に言った。


「黒猫です。死んでます。タイヤに引っかかってるんで、乗り越えちゃってください――」

「うひー。分かりました」


 先生は私の言葉を素直に信じ、そのまま乗り越えていった。みちみちみち、と音を立て、ゆっくりと黒猫はタイヤと車の圧倒的な重さに潰されていった。

 ニャァァ、と、か弱く小さな、小さな断末魔が聞こえた気がした。そういえば、首輪をしていない。ならばこの子も無縁仏みたいなものか。最期、こうして理不尽にひとりで死ぬのか。きっと私も。ははは。やっぱりわらえる。

 私はその無縁な猫の死体を放置したまま、さっさと助手席に戻り、車の出発を急かした。先生は憮然としつつも、あまり車の下で起きたことを考え及びたくないのか、車を発進させる。

 目立ったことといえば、それくらいだった。

 本当に、平和な行程だったのである。

 そうして、私達は、目的の廃寺に辿り着いた。



  ◆◆



 廃寺に到着したのは、ちょうど零時を回ったころだった。よく心霊スポットに夜に行くなと激しいツッコミがなされる時があるが、そうしないと実物とお会いできないのだからどうしようもない。封印をするにも同じく。先生曰く、最も力が最盛となったときに打ち砕かねば、祓い、封印はなされない――とかなんとか、らしい。私は暴力しかやってきたことないから分からないけども。

 先生は懐中電灯で、まず廃寺を照らしてみた。小さい、ガラガラの鈴とお賽銭箱があるだけの、小さな社然としたものがぽつんとある、内部は六畳をなんとか空間で保っている寺だ。中までは確認しなくて良いだろう。ここまでの石畳は割れ放題で、雑草は膝丈ほどがぼうぼうに伸びている。といっても、数十メートル先隣の土地はまだ古い住居が立ち退き前であって、普通に町並みなので、変に騒げば通報されてしまうだろう。とはいえ深夜だ。街灯も少なく、特にこの場所は狙ったように街灯が無い。多少の我儘は、おそらく多目に見ていただける、といったところだ。(そもそも土地主の許可はとっているのだし。)


「――先生、それで、どうするんです?」


 今回の計画内容をそれとなく訊ねてみると、先生は、白い頭を掻きながら「とりあえず、香を四つ焚きますね。あとは対話で」とよく分からないことを言う。まあとにかく、それが先生の積み重ねてきた結果の自己流というやつらしい。私も学ばせてもらおう。果たして、――人を殺すレベルの犯罪者の魂に、話し合いというものが通用するのか。

 これは私という存在を大きく変える議題にとって、かなり重要な期待である。だから――だから私は、あんなお気に入りの飛び出しナイフを取り上げられたというのに、我慢をしてここまでやってきているのだ。

 私は。

 ――私は、まともな人間になりたいから。

 ややあって、ぴり、と空気が張り詰める感覚がしてきた。

 それで察知する。――あれだ。と。

 先生も、遅れて懐中電灯で対象を照らした。――古ぼけ、苔だらけ、蔓だらけの簡素な墓石。――いや、言われなければ、それが墓石だとは分からなかったろう。ヒビが入り、割れている。ほとんど風化で丸くなっている。しかも結構に小さい墓石だ。雑草でほぼ埋まっている。何やら文字が彫られていたようだが、吹き晒されてとっくに消えてしまっている――。


「さて、まずは周囲の雑草抜きからですね」

「まじすか」


 私が絶望していると、先生は意気揚々と軍手を腰のベルトから取り出してきて、装着し、すいすいと無縁仏の雑草抜きを開始し始める。

 ……なるほど、なるほど……。まずはご機嫌とり、ときましたか……。

 仕方がない。私は手袋ありのままなのでそのまましゃがんで手伝いに参加する。ご機嫌とりなだけあり、相手はさすがに邪魔をしてくることが無さそうだ。まったく広さがないので、十分もせずにこの行為は終わってしまった。やりがいは無い。


「次はお掃除です」

「まあそうでしょうね」


 先生は一度車に戻り、掃除セットらしきものをバケツに突っ込んで戻ってきた。水汲み場は無いので用意してきていたのだろう、一リットルペットボトルの水をバシャバシャと余すところなく掛け、柄の長いブラシでゴシゴシと墓を擦っていく。当然ブラシはもう一本用意されていたので、私も手伝わされる。しつこい苔汚れをピカピカにし、最後にまた残りのペットボトルの水を全て掛けてしまって、やっと、ようやく、まあ見れるかな、くらいの墓レベルになった。

 空き地にぽつんと、今にも崩れそうな、ぼろの墓が鎮座している。

 それが現状である。

 ぴりぴりしていた空気はちょっとやわらかくなった気がしなくもない。先生からすれば「だいぶ呼吸がしやすくなった」と明らかにやりやすそうに嘆息した。先生が言うに、私は「見える人」だけれど、結構霊からのプレッシャーには強いというか鈍感らしい。まあどうでもいいけども。


「――それじゃ、やってみますか」


 先生は宣言通りに四つの香を墓の周りに焚いた。意外にも、ラベンダーの香りがする。アロマだ。死者だってアロマでリラックスしたいものなのかもしれない。時代は令和だし……。それから、先生はあぐらをかいて十分ほど真剣に瞑想し、呼吸を整え、ゆっくりと双眸を開けた。先生の瞳は金色をしていた。先生の、目尻を赤く縁取っているのが逆に映える。私は初めて、先生があんなに美しい、と思った。


「みなさん、みなさん。そちらへは地獄。こちらは此岸。どうでしょう。そろそろ旅立ちになられては」

『――あ■リ思ぁ名ィ。■マ絵が母■ォ愛さナィ用■。オ■ガ父■ォ許サ名ィ■ゥに』

「確かに、罪を受け入れることは苦しむことです。ですが、受け入れないというのは、停滞することです。少なくとも貴方たちは受け入れることで、前に進むことができます」

『――■ゥし手ぅソヲ吐く?おマェ■■間リ続ケテい■癖二。名ゼ■キだサ■居。同ジ■書二■ル』

「だとしても。――貴方たちは気高き魂でいられる。この先に待つのは――」


 最も苦しい罰。生き地獄。文字通り魂を引き裂かれるような、輪廻の無い消滅。

 先生は言いきる前に、ごぽっ、と、鼻と目から、赤い血を噴出させた。次いで、ごほごほと噎せ、滝のように喀血した。糸の切れた人形のように、背中から倒れる。私はすぐに先生を抱き留め、やさしく地面に寝かせた。

 先生は気絶はしていない。

 ただうつろに、悔しそうにしている。


「先生、お任せください――無理なんですよ。こういうのは。こういう奴らは無理なんです。世の中には救いようのない奴らが居て、だから、私みたいな奴が居る。それでいいじゃないですか。そうやってできてるんですよ」

「…………そう、ですね……」


 先生は力なく答えて――思えばこれ以来だったか――先生は無理に、私の力をセーブすることはなくなった。

 そうして――私は近くの手ごろな石ころを手に取ると、思い切り、躊躇なく――無縁仏のぼろの墓石に、叩きつけた。

 それは案外、溜まりに溜まった呪いよりもいくらか脆く、たやすく上部が砕ける。

 突風が吹いた。それはかまいたちのようだった。釣り糸の針を大量に仕込んだちくちくのかまいたちの突風――全身を撫でられて、私は厚着だが、突き抜けるように針の痛みの感覚がする。不愉快だ!――ただ、頬を拭って袖を見てみても、明らかに刺さった感覚がしたのに、血の一滴も滴った形跡が無い。

 気にせず、今度は足で墓石を蹴り飛ばす。台座との接着は元より危なげだったようで、すぐにぐらりとなり、地面に倒れ、衝撃で墓石もぱかりと割れた。

 割れた。


「――あっはっは!キレイに割れた!」


 ――綺麗に割れたぞ死刑囚ども!

 私が大手をふって勝利宣言すると、なにやら、ぐおおおおお、と大きな地鳴りのような風音が吹き荒れ、何かあるのか身構えていると、……ややあって、何も来なかった。そうして、それが彼らの醜い惨めな断末魔であったとやっと気が付くと、私は嬉しくなって、死体のように倒れている先生に、ようやく駆け寄っていくことになったのである。


「先生ー。終わりましたよ」


 私は血みどろの先生を助け起こし、車まで引っ張っていった。

 それから、忘れずに、「私の飛び出しナイフ返してくださいね」と早々に催促しておいた。先生は微妙な顔をしながら、「分かっていますよ」と答えてくれた。

 ああ、飛び出しナイフさえ今日持ち合わせていたなら、あの黒猫も、もっと安楽に送ってやれたのにな、と私は思った。


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