——……どれほど眠っていたのだろう。目を覚ましたクロエは、腕の傷に包帯が巻かれていることに気付いた。きっとリオンがしてくれたのだろうと考えるのは簡単で、同時に深い疲労感がクロエを襲う。
「目を覚ましたのか」
「……運んでくれたの? その……ありがとう。ごめんね、急に倒れて」
目覚めたそこは掘っ建て小屋のようなところだった。地面の中に直接柱を埋め込んで屋根の支柱にして、壁は木で外枠を作り薄い布を貼り付けている。
寝床には藁が敷かれていて、それ以外の床は土がそのまま見えている状態。リオンは弓の手入れをしていたらしく、矢じりを研いでいた。
「別に構わない。邏卒兵から逃げるためにあれだけ強力な魔法を使ったんだ。魔力切れを起こして気絶したっておかしくない」
「魔力切れ?」
「なんだ、自覚がなかったのか?」
「いや、ボクはてっきり貧血とメンタル問題で倒れたのかと思ってた」
「魔力の管理の仕方も分からないのか……もしかして、魔法を使ったのはあれが初めてか?」
「その通りですはい」
コクコクと何度も頷けば、またクラクラと目眩がした。目眩に額を抑えれば「馬鹿かお前は」とごもっともな指摘をいただく。まったくお恥ずかしい限りである。
「ならお前は本当に運がいい。そのお陰で死を免れたのだからな」
「そうっスね…………皆、本当に死んじゃったんですか……?」
「ああ。死体はもう燃やされた。灰は浜辺に掘った穴に捨てられる。
今回を生き残ったからと言って気を抜くなよ? 邏卒兵はいつでも流刑人の処刑を許可されている。お前は常に邏卒兵から命を狙われているんだ。そう何回も幸運で助かるとは思うな」
「人生ハードモードだなぁ……」
リオンの言葉に相槌を打ちながらも、頭を抱える。普通に頭痛がした。
“魔力切れ”。そういうものもあるのか。しかし自分の魔力がどれぐらいあるのかも分からないのにリソース管理をしろと言われても無理な話である。さて困った。これから自分はどうしていこうか。
「ちなみにここはリオンの家?」
「ああ。家と呼ぶにはだいぶ粗末だがな。何も無いよりはマシだろう? 少なくとも、雨風は凌げる」
「あぁそれは大切だ」
「ここはレイフ島の領地内にある
「どうしてそんなに親切にしてくれるの?」
「……私もお前と同じ流刑人だからだ。もう5年も前のことになる。命からがら逃げ延びて、同じようにここの貧民街の人間に親切にしてもらった。なら次は私が誰かに親切にする番だ。そう思っている。おかしいか?」
「ううん、立派だと思う」
リオンは見た目的にまだ二十代前半のように見えるが、思考は立派で落ち着きのある良い女性だった。対して自分はぶっ倒れるわ何も知らないわで恥が目立つ。リオンを見習って立派にならねばなと、クロエは密かに決意した。
「腹が減っただろう? 食事にしよう」
「あ、手伝うよ」
クロエは慌てて布を継ぎ合わせた布団から出ると、それを綺麗に畳んでからキッチンとして使っているであろう場所へと移動した。一段土を低く掘って、火事にならないようにしているそこに火を焚き薪を焚べる事がリオンに用意してもらった“お手伝い”だった。
クロエはじっと自分の掌を見てから、木のひとつに火打石の尖った部分で“炎”と書き込んでみる。するとボッ! っと炎が燃え上がり、クロエは慌ててそれを
「なんだ、お前火属性の魔法も使えるのか?」
「火属性……? 魔法には属性があるの?」
「本当に何も知らないんだな……」
その様子を見ていたリオンは呆れながらも、料理を作りながらこの世界の基本魔法を教えてくれた。
この世界での魔法は火・水・草・土・風の五大元素を元に主に英語の呪文を使って使用されるらしい。使える魔法のタイプは基本的に一人一つ。だがその魔法を発展させていくことで多くの技が使えるようになるとかなんとか。
「私は風属性の魔法が扱える。だが魔法より、弓による攻撃の方が得意だがな。風上と風下を見分ける術も自力で編み出したし、魔法を鍛えようとは思わなかった。使うようになったのはこの貧民街に来てからだ。貧民街では魔法を使える人間は重宝されるからな」
「なるほど……ボクがあの大きな犬を呼び出したのって何属性の魔法?」
「それが分からんから奇怪なんだろうが」
「あ、ごめんなさい」
今晩のメニューはシチューっぽいスープらしい。その中に野菜を入れながら、リオンは少し苛立ったようにクロエを睨むのでクロエはひたすら小さくなって頭を下げた。
炎は轟々と燃えていた。それこそ、薪の管理など分からないクロエでも火を絶やさないで済むほどに。
「ちょっと試していい?」
「何をだ?」
「ボクの魔法」
リオンが一拍考え、許可を出してくれたのでクロエは取っ手の半分欠けた水差しに“真水”と書いてみる。するとみるみるうちに水差しの中は清らかな水で溢れた。クロエはそれを手にすくって一口飲んで見るが普通の水のように感じる。リオンも湧いて出た水を飲み、「随分綺麗な水だな」と驚いていた。
「ボクの魔法、理由は知らないけれど、ボクの故郷の文字で書いたことが現実になる魔法みたいだ」
今日のシチューにはクロエが出した水が使われることになった。クロエは手をグーパーとしながら、にしてもと首を傾げる。
何だこの魔法、この世界の理から外れてるじゃないか。そんなの困るんだが。1+1は2であって欲しいのに、1+1は10になったら厄介が過ぎる。リオンはクロエの魔法を「奇怪だ」と再三言い、「あまり他人に見せない方がいい」と忠告までしてくれた。優しい人だ。
勿論、他人にあまり見せないつもりだ。余計なトラブルに巻き込まれたくない、日本人精神が今も健在なクロエは強く決意する。
出来上がったシチューを食べ終えてから、クロエは自分の魔法を色々と試してみた。その結果分かったのは、反応するのはあくまで漢字の単語であり平仮名片仮名は反応を示さないということ。“雨”など周辺を巻き込む大規模なものは実現不可能なこと。そして、自分自身の血を使えばより強い効果が得られるということ。
今日わかったことはこの三つ程度だった。あとはもう、今後地道に探っていくしかない。
「ねぇリオン。リオンは普段どんなことをしてお金を稼いでるの?」
“寝袋”と地面に書いて出現した寝袋にもぞもぞと入りながら、クロエは尋ねる。夜も更け魔力もそこそこ使ってもう疲れたので、眠るようにと助言したリオンの言葉に従ったのだ。リオンは藁のベッドで横になると「主に狩りだな」と端的に告げる。
「あとは力仕事を手伝ったりしている。運が良い時は要人警護の仕事が人伝に回ってきて、それをこなすこともある」
「へぇ……色々やってるんだね。ボクは明日から何して働こう」
「見上げた根性だな。もう働くのか?」
「“働かざる者食うべからず”、ボクの故郷の言葉さ」
クロエが小さく笑えば、リオンも小さく笑い返してくれた。
「だが、貧民街を出るなら気をつけろよ。お前は流刑人、あれだけ派手に逃げたんだ、お前のことを憶えている邏卒兵がゴロゴロ居たって不自然じゃない」
「それ困るなぁ……でも考えはあるんだ。上手くやってみせるよちなみにこの辺りって、商売を始めるとしたら誰かに許可を取る必要はある?」
「いや? 皆好き勝手やってるよ」
「うん、なら大丈夫そう」
そこまで話して、急激に眠気が襲ってきた。大きな欠伸をしたクロエに、リオンはクスリと笑い「おやすみ」とランタンの火を消す。
「おやすみ、リオン」
クロエはすぅっと眠りの世界に入っていった。
こうして、流刑地での一日目が過ぎて行くのであった。