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第2話

「はいはいはい! ちょっと失礼しますね!!」

 どういう経緯でそうなったかは知らないが——きっと詳しい経緯など無くただ彼がそうしたかったからそうしただけなのだろうが——酔っ払いが妊婦に掴みかかろうとしたため、反射的にペットボトルを突き出してそれを止める。急に割り入ってきた第三者に酔っ払いも妊婦も驚いて、一瞬その場に沈黙が訪れる。

 見て見ぬふりも出来た。そっちの方が簡単で一般的だった。しかし出来ない、圭作には出来ないのだ。その行動が尾を引いて、きっとずっと後悔するから。朝起きて妹の仏壇に手を合わせる時に、その事が頭の中にこびり付いて離れなくなるだろうから。

「お姉さん顔青いっスよ! はい水どーぞ! ベンチそこにあるんで座って飲んでください、お腹の中の赤ちゃんのためにも、ねっ?」

 電車待ち用のベンチを視線で示してペットボトルを差し出せば、妊婦は目を潤ませてコクコクと頷くと何度も「ありがとうございます」と感謝して水のペットボトルを受け取りベンチの方に歩いて行った。残ったのは酔っ払いである。

「おいニィちゃん、なんだテメェ!?」

「いやーお兄さんは逆に顔真っ赤っスよ! はい水どーぞ! そんな大っきい声出さなくても聞こえますんで! ねっ?」

「うるせぇな関係ねぇだろうが!! 失せろ!!」

「関係は無いっスねぇ、でもお水飲んだ方がいいっスよ! お酒みたいにグイッと一杯どうっスか?」

「テメェも俺を馬鹿にしてんのか!? 会社でも馬鹿にされて、家族にも馬鹿にされて……! 散々だってのにテメェもか!!」

「僕は馬鹿にしないです。お兄さんのことを心配して言ってます」

 圭作が真面目な声で答えれば、不意に酔っ払いが黙った。そのお陰か次の電車が来るアナウンスが鳴っているのがよく聞こえる。黄色い線の内側までお入りくださいと聞き慣れたそのアナウンスに、人々が列になって電車を待つ。

 酔っ払いは圭作の目を見て、バツが悪そうに俯く。冷静になってくれたか、と圭作は安心した。

 きっと、本当は悪い人ではないのだ。ただ酒の勢いと普段のストレスが相俟って少し爆発してしまっただけの人。圭作だって今アルコールを摂取すれば他人に心無い言葉や行動をとってしまうかもしれない。アルコールは人を狂わせる。あれはそういう飲み物だ。

「はい、お水。これ飲んで帰りましょ」

 ホームに電車が滑り込んでくるのを見て、圭作は再度水を酔っ払いに差し出す。酔っ払いは俯いて、震えて、そして噴火した。

「うるせぇぇぇええ!! 親切面してんじゃねぇえええ!!!」

 噴火したように叫んだ酔っ払いが、出鱈目に圭作を突き飛ばす。きっと、本当はちょっと追い払おうとしただけなのだろう。しかし圭作の身体はバランスを崩しホームへと落ちる。そしてホームには、今し方やってきた電車のヘッドライトが眩い。

 “善人で在る”行動が、必ずしも“最善”とは限らない。自分が“正しい”と思った行動を起こしても、“最も良い”結果が返ってくるとは限らない。正にこれだ。ああ結局、こんな感じで終わるのか。圭作はフラッシュアウトしていく視界に幼い妹の姿を見る。

『——お兄ちゃん』

 そう笑った妹の顔が、今でも忘れられない。

 可愛い妹だった。だがその可愛さが仇となり、彼女は幼児性愛者に狙われて拉致監禁されてしまった。警察が踏み込んだ時には妹は散々暴行を受けたあとで命の灯火が消える直前だった。

『あたし、地獄に落ちちゃうのかな』

『そんなわけない!』

『じゃあ、天国に行けるんだ。よかった』

 搬送先を探す救急車の中で、妹は穏やかな顔をしていた。そして最早力の入らない震える手で圭作の手を握り、微笑んだ。

『あたしは先に行っちゃうけれど、お兄ちゃんが天国に来た時に、格好良いお兄ちゃんのお話たくさん聴かせてね』

 それが、妹の遺言だった。

 ちょっとは、妹にとって恥ずかしくない兄になれたかな。そんなことを、最期に考えた。そして、明転。

 目が覚めた時には、圭作はこの世界のクロエという少年の中に受肉・・という形で“転生”していた。正確に言えばこれは『転生』ではないのかもしれないが、教えてくれる人も違うと咎める人もいないので圭作はクロエとなりこの状況を『“転生”して“受肉”した』と判断した。

 どうやら受肉前のクロエは崖から落ちていたらしく全身切り傷だらけで、それでも木の枝に引っ掛かって落下死を免れた状態だった。

 受肉という形でクロエの中に圭作の意識が入ったことで、クロエの意識は完全に死んでしまった。クロエを殺してしまったと、枝から何とか地面に降りた圭作は自責の念に駆られたが、頭の中に急速にインストールするように流れ込んでくるクロエの記憶によるとクロエは崖から飛び降りて自殺を敢行したところだった。そこに運悪く圭作が入ってしてしまったということらしい。なるほど圭作が入ったことでクロエが死んだのではなく、死んだクロエの身体に圭作が入ったのかと理解した。

「キョンシーかよ」

 呟いて、ため息が出た。

 クロエの記憶をインストールしたものの、どうしてクロエが自殺なんて言う行動を取ったのか、それが圭作には分からなかった。とりあえず記憶の中にある家に戻って、隣人の女性と軽く挨拶を交わし、「朝から元気ないじゃないの、そんなんで大丈夫かい? 明日から徴兵で首都へ行くのに」という言葉に愛想笑いを返して鏡で自分を見る。

 濡れ羽色の髪に金色の目。中性的でアイドルにでも居そうな愛らしい容姿をした男がクロエであり、圭作は思わず苦笑した。

「なんか余計男にモテそうな顔になったな、ボク」

 ポツリと呟いて、その苦笑のままベッドに沈む。これからどうしようと一晩頭を悩ませたが最早流れに身を任せるしかなく、徴兵の乗合馬車にギチギチに乗り合わせて領地の首都に向かった。思えばこの馬車もギチギチだった。この世界の乗り物はギチギチの寿司詰め状態で乗るのが常識なのかもしれない。通勤ラッシュの満員電車で慣れていたし首都まで半日と聞いたからその時は耐えようとひたすら耐えたのを憶えている。

 そこで出逢ったのが、クロエの因縁の相手であり受肉前クロエの自殺の原因を作ったペレ伯爵だった。

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