どうしましょうか。
突然の旦那様の願いに戸惑いを隠せません。
ジョゼット様の件以降、
旦那様は婚約者をお作りになりませんでした。
相手が明らかに財産目当てだったのもありますが、
一番は旦那様が興味を持ちませんでした。
「僕が好きになった人と結婚したい」とおっしゃる旦那様は、
よほどジョゼット様のことが尾を引いていると思われます。
そんな旦那様が結婚なさるおつもりだと言うのは、
非常に喜ばしいことです。
ただ相手が平民となると話が変わります。
平民と貴族は住む世界が違います。
それは身分の差と言う意味だけでなく、
魔力の有無という意味もあります。
貴族の世界は魔力があることを前提に作られています。
わたくし達のような平民では呼び鈴すら鳴らすことができません。
もし平民が妻となれば社交で問題が出ることでしょう。
ただ先ほどの様子だと既に覚悟を決めておられるようです。
……ならば使用人としては最善を尽くすのみでしょう。
「分かりました、さっそく調べてまいります」
・・・
数日である程度情報は集まりました。
名前はリタ様と言うそうで旦那様と同い年の結婚経験なし。
明るく優しく聡明な方で結婚していないのが不思議だとか。
妾であれば文句のない相手なのですが……。
旦那様に報告すると「すぐにでも挨拶に行く」とのことでした。
よほど待ちきれないのでしょう。
準備を整えて彼女の住む家に向かいます。
「いきなり貴族の嫁になると言うのは大変でしょうが、必ず幸せにします」
それを聞いた彼女は興味深そうな目で旦那様を見ていました。
彼女の印象は悪くありませんね。
ただ家族の方はひどいものです。
彼女の母は得体の知れないものを見る目だったし、
彼女の姉に至っては嫌悪感を隠しもしない。
旦那様がひどい貴族であれば何らかの処罰を受けていたでしょう。
「断っても不利益が生じることはない」
その言葉で彼女の母が安堵したのがわかります。
大事な娘を無理やり奪われると思ったことは理解できますが、
旦那様の誠意を理解していないことには腹立たしさを感じます。
「少しお時間をいただけないかと」
「わかった、しっかり考えてほしい」
旦那様は食い下がることなくその場を後にしました。
旦那様の雰囲気だと断られた時は素直に諦めてしまいそうです。
しかしここまで気に入られているなら妻はともかく妾にはするべきです。
彼女から「妻は無理ですが妾なら」といわせれば、
旦那様も受け入れるでしょう。
どうすれば言わせることが出来るかを考えていると、
旦那様がこちらを見ているのに気づきました。
「何を選ぶかは彼女に任せるから余計なことしないようにね」
「……はい」
釘を差されました。
考えを見抜かれていたようです。
仕方ありません、断られた後に動きましょう。
・・・
「私は受け入れようと思います」
後日、リタ様が屋敷に一人で来てそう言われました。
家族の反対を押し切って来られたそうです。
旦那様が約束した条件通りで良いとのことでしたので、
早速準備にかかります。
契約については特に何も言われなかったので好都合です。
下手に契約を交わしてしまうと容易には反故に出来ません。
リタ様が旦那様に相応しくないと判断したら切り捨てられるように、
あくまで口約束にとどめておきます。
リタ様は聡明な方と聞いていたのですが、
そこまで考えが及ばないようだったので助かります。
・・・
リタ様が家にこられて数日が経過しました。
今のところ財産や立場に興味がない反応ですが、
まだ隠しているだけかもしれません。
「ねぇ、アナスタシアは貴族なの?」
「わたくしも平民でございます」
「そっか、ならこの家で入れない場所ってほとんどない?」
「はい、旦那様の部屋の一部以外はどこも立ち入ることが出来ます」
「そうなんだ」
なんでしょう、何か部屋に入る理由でもあるのでしょうか?
まあ高価な品には盗難防止の魔法がかけられていますので、
屋敷の外には持ち出せません。
使用人達の目も光っていますし何かあれば連絡があるでしょう。
・・・
「今日は少しだけ私も料理作ってみたの」
夕食の時間にそこに並んでいたのは、
普段の料理に加えて少し硬めに見えるパンに野菜スープ。
パンは出来合いのもののように見えますので、
野菜スープをお作りになられたのでしょうか。
わたくしはそばにいたコック長のジェフに小声で話しかけます。
「あの料理は大丈夫ですか?」
「ああ、調理内容も怪しいものを入れる様子もなかった」
ジェフが見ていたなら大丈夫でしょう。
興味津々で席に座る旦那様を見送ります。
「パンをスープに浸して食べてね」
満面の笑みで食事を勧めてくるリタ様。
その表情に悪意は感じられません。
「しかしなぜ料理を作らせたのですか?」
「平民の料理が食べたいと言われたんだが作れなくてな」
どうもリタ様が野菜スープを希望されて作ったらしいのですが、
「高級すぎて胃がびっくりしちゃって」と言われたそうです。
もっと雑な感じでと言われてレシピも教えてもらったそうですが、
いまいち勘が掴めず苦戦していると「私が見本を見せますね」と言い、
作り始めたようです。
しかし自分で食べるならともかく人に振る舞おうとするのはなぜでしょうか?
「美味しい、美味しいよリタ!!」
「私が好きな料理だからリチャードにも好きになってほしくて」
旦那様が喜んでおられるのを見て、
リタ様が微笑んでいらっしゃいます。
旦那様の手が止まらないようで、
卓上のパンがあっという間になくなっていきました。
「ジェフも見ていたから今後は作ってもらえると思いますよ」
そういってジェフに目配せするリタ様は非常に楽しそうでした。
・・・
それからさらに数日経過しました。
リタ様は人懐っこい性格で、
あっという間に使用人たちと仲良くなりました。
特に若い層と打ち解けるのが早く、
使用人の子ども達と遊んでいるのを見かけるようになりました。
「うちの子がリタ様と一緒に遊んで楽しかったと言ってましたわ」
警戒心の強いスフィーダが、
たった数日で我が子を預けるぐらいに信用しているのが驚きでした。
様子見はもう不要ですね。
後日手続きを行い、旦那様とリタ様は正式に夫婦となられました。