それから数年。
婚約の話は何度も来ていたが全て断っていた。
女性が財産目当てに媚びてくる姿があまりに悲しかったからだ。
ジョゼットは一度もそんな態度をしなかった。
お金ではなく僕の方を見てくれた。
もし結婚するならそんな相手であってほしい。
そして今度こそ自分が愛を与える側になりたい。
そんな相手を探していたある日のことだった。
その日は偶然が重なった。
たまたま馬車の幌が一部壊れていたこと、
たまたま鳥の糞が落ちてきたこと、
たまたまそれが幌の隙間を縫って落ちてきて僕の服についたこと。
「運が悪いなぁ」
「申し訳ございません、壊れた馬車に乗せたわたくしの責任です」
無表情に見えるけどよく見ると若干眉をひそめて下唇を噛んでいる。
よほど責任を感じているのだろう。
「アナのせいじゃないし他の誰のせいでもないよ」
「旦那様、ですが……」
こんなことで誰かを責めて何になるのか。
それに最終的に僕がいいと言ったのだから僕の責任だろう。
「ちょうどそこに店があるし代わりを買おう」
「……わかりました、すぐ交渉してまいります」
少しためらっていたけど承諾してくれた。
これでいい、そんなに気にすることじゃない。
「貸し切りには出来ませんでしたがなんとか使えそうです」
「よかった」
本当は貸し切りの方が迷惑にならないと思うけど、
店側がいいというなら構わない。
みんなを連れて店に入ると店員が怪訝な目で見てきた。
初めての店だから僕の姿に驚いているのだろう。
いつものことだ。
「旦那様?」
「いいよ、初めてのお店だし」
店員の怪訝な目にアナが気づいたけど、
たまたま通りがかった店に対してそこまでする必要もない。
貴族に慣れている店ならそういう反応を見せないものだけど、
ここはあまり慣れていないんだろう。
建物の奥側に案内されて服を試着していく。
とりあえず家に帰るまで持てばいいのだからなんでもいいのだけど、
アナ含めメイド達が「似合うものしか駄目です」と言っていた。
おかげで何着も試着している。
まあみんな楽しそうに選んでくれているのでいいか。
「何あれ? 気持ち悪っ」
「しっ、お貴族様だよ、下手なことを言うと首はねられるよ」
「怖っ、え、聞こえてないよね?」
悪口と言うのは存外遠くまで聞こえるものだ。
かなり離れた入り口付近の店員が話しているのが耳に入ってしまった。
「申し訳ございません、教育の行き届いていない店でござました」
「仕方ないよ、緊急で立ち寄っただけだし」
貴族云々の前にお客に対して悪口を言っていい訳がないんだけど、
そこまで教育されないんだろうな。
「早く決めてしまいましょう」
「それがいいかな」
長居してこれ以上問題行動を起こされると、
しかるべき対処をしないといけなくなる。
悪口程度は言われ慣れてるから本当はどうでもいいのだけど、
貴族間の話と貴族と平民間の話では意味が違う。
アナが他のメイド達に伝えて急がせる。
何着か選んでその内の一着を着る。
うん、着心地はそんなに悪くない。
僕の反応を見てアナがお金を支払いに行った。
「何を着ても素晴らしいですね」
アナがいなくなったのを見計らって、
少し離れた位置にいた店長が近寄ってきた。
取り繕ったような笑顔でちょっと気持ち悪い。
「そうですね」
そこにスフィーダが僕と店長の間にすっと割り込む。
明らかに警戒した顔をしている。
店長は眉をひそめて口を吊り上げている。
「お前に話したんじゃない」とでも言いたそうだ。
目の前にいるスフィーダを無視して僕に視線を合わせる。
「お体のサイズに合って可愛らしいですね」
「旦那様は何を着ても似合います」
一瞬、馬鹿にしたような目で僕とスフィーダを見比べる。
「目が腐ってるんじゃないか?」とでも言いたいんだろうな。
そのすぐ後に僕の顔色を見て媚を売る表情になった。
「本当に何を着てもお似合いでしたね」
「ええ、それでどうされましたか?」
「いえ、感想を伝えたかっただけです」
そう言うとまた離れた位置に戻っていった。
先ほどの目はどう見ても感想を伝えに来た目じゃない。
多分僕に好印象を与えて次も買いに来てほしいんだろう。
もう見慣れているからすぐに分かる。
「どうかされましたか?」
「メイド長、さきほどこういうことが~~」
「なるほど、要警戒ですね」
アナが帰ってくるとすぐスフィーダがさっきのことを報告していた。
ああいうのは逆効果ってことを知らないんだろうな。
店長があの状態だから店員もあんな状態なんだろう。
精算も終わったので出ていこうとした時だった。
服を手に持っている一般のお客らしき人がこちらを見ていた。
綺麗な金色の長い髪に透き通った青い目をしており、
優しい顔をしていて全体的に穏やかな雰囲気の女性だった。
飛びぬけた美しさという訳ではないが目を引く姿だった。
目が合うと笑って「お似合いですね」と言ってくれた。
さっきの店長とは同じ言葉なのに受ける印象は全く違う。
相手を伺う様子がない本心から出たと思われる言葉。
輝くような笑顔で僕を見て言ってくれたその一言に、
心どころか魂まで持っていかれた。
あなたを妻に迎えたい。
とっさに立ち止まってそう言おうとしてしまった。
「旦那様、どうされましたか?」
アナが心配そうな目で僕を見ている。
そうだ、こんな所で直接声をかけたらどうなる?
強制的に連れていくことになるだけ、そんなの絶対に嫌だ。
「ああ、すまない、なんでもないんだ」
「……それならいいのですが」
とりあえずこの場はやり過ごす。
店を出て馬車に乗って出発した後、アナが問いかけてきた。
「先ほど何かありましたか? 呆然とされていたようですが?」
さすがにアナはよく見ている。
あの一瞬で何かあったことに気づいている。
「アナ、さっきの女性と結婚したいんだ」
「はい……え?」
アナの素の反応を見たのは何年ぶりだろうか。
意外と突発的な事態に弱いからいろいろ準備しているんだよな。
「さっきの、とおっしゃられますと?」
「足を止めた時に僕の前に居た綺麗な金色の髪と透き通る青い目を持つ女性だよ」
「ああ、わかります」
目を閉じて頷くアナ。
僕の視線の先にいたからチェックしてたんだろう。
「しかしあの方は平民ではありませんか?」
「多分そうだと思う」
一人で買い物をしていたし服も貴族の流行のものでなかった。
なによりあの店の接客態度では貴族は来ない。
「平民なら妾でよろしいのでは?」
「絶対に嫌だ」
彼女にそんな立場になってほしくない。
僕は彼女を好きでいたいし、好きになってもらいたい。
「旦那様、平民と貴族は住む世界が違います」
「知ってる」
「無理に妻とすれば彼女に迷惑になりますよ?」
僕の願いは、彼女が僕を選んでくれることだ。
無理やりなんて絶対嫌だ。
「全てを話して僕の気持ちを伝えて彼女に選んでもらう」
アナの表情に諦めが混じるのが分かる。