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第10話 シンデレラの夜

「ここならば大体の物は揃うでしょう」


「そうですけれど」


 果林は駅前の商業施設に連れて来られた。ただ宗介の新品の服を着た果林の足元は泥だらけのパンプスで見た目がアンバランスだった。気不味そうにしている果林に気付いた宗介はシューズショップに向かった。


「まずは靴からですね、靴を買いましょう」


「そんな、そんなにして頂かなくても!泥は拭けば取れますから!」


chez tsujisakiしぇ つじさきで身に付けていた物は全て処分しましょう」


「しょ、処分」


「辛く悲しい過去は断捨離です」


 宗介はそう言うとスニーカーを一足選び果林を椅子に座らせた。


(シンデレラの王子さまみたい)


 それはしっくりと足に馴染み宗介は泥だらけのパンプスを店員に手渡した。


「このパンプス、捨てて頂けますか?」


「かしこまりました」と店員は泥で汚れたパンプスをバックヤードに持ち去った。


「あっ、勿体無い!」


「新しい靴は幸せを運んで来ます。あの靴ともお別れです」


 その後、パンプスやバレーシューズ、サンダルにスニーカーを選びいつか必要になるからと白と黒のハイヒールを購入した。


(ハイヒールがいつか必要になる?)


 果林が首を傾げていると背後に控えていた秘書らしき男性がショップバッグを抱えて運び始めた。


「え、あの人たちは!?」


「私の秘書です」


「もうこんな時間ですよ!?」


 時計の針は19:00をとうに過ぎていた。


「大丈夫です、時間外手当を出しますから」


「はぁ」


 そしてアパートを焼け出された果林は身ひとつ、着替えは無い。


「私に選ばせて下さい!」


「はぁ、よろしくお願い致します」


 それからは怒涛の勢いで商業施設の店舗を巡り宗介は果林に似合いそうな色、柄、デザインのブラウスやシャツ、スカートにワンピース、パンツスーツにジーンズを選び出して試着させた。山のように積まれるショップバッグを運び出す秘書。流れ作業のラストを締めくくったのは下着だった。


「ああ、ランジェリー美しいですね」


「宗介さん、恥ずかしくないんですか」


「恥ずかしいもなにも、必要な物を買っているだけですよ!あぁ、あのセットアップ刺繍が美しい!可憐な果林さんに似合いそうです!買いましょう!」


「やっやめて下さい(私は3枚1,000円の綿パンツが好きなんです!)!」


「サイズも大切ですね、採寸して頂きましょう」


 ランジェリー大好きな宗介は水を得た魚のようだった。38歳だと聞いたがこのパワーはどこから来るのか。疲労困憊の果林は休憩所で項垂れていた。すると宗介が真面目な顔で果林の肩を叩いた。


「はい、なんでしょうか?」


「果林さん、仕事着を選んで下さい」


「仕事着」


「白いカッターシャツに黒いパンツ、ジャケットも必要です。華美でなく動きやすい物を選んで下さい」


「はい」


 宗介のその目は真剣だった。


「戦闘服だと思って心して選んで下さい」


 その目は厳しく薄い唇はきつく結ばれていた。


(やっぱりかっこいいかも)


 確かにそこまでは格好良かった。ふと振り返ると次は靴下3足1,000円の組み合わせを楽しんでいた。


(宗介さん、思っていたイメージと全然違った)


「さぁ、帰りましょう!」


「あ、近いので歩いて帰ります」


「駄目です!果林さんに何かあっては叔父上に面目が立ちません!」


(ここはメキシコですか)


 辻崎株式会社のビルは駅から徒歩5分の位置にあった。果林が歩いて行くと言っても有無を言わさず車の後部座席に押し込まれ、数十袋のショップバックは秘書の手によって16階の豪華な社宅まで運び込まれた。


「あっ、果林さん!」


「今度は何ですか」


 果林は衣類のプライスタグをハサミで切り取りながら宗介の顔を見た。とても楽しそうだ。


「スキンケア商品はどのブランドですか」


「あーーー、M良品です」


「化粧品は」


「M良品です」


「では秘書に買って来させましょう!」


「あっ、そんなお手を煩わせる訳にはいきません、自分で行きます!」


 宗介は秘書室への直通電話の受話器を取った。


「車を回してくれ、今から降りる」


 果林は車の後部座席に押し込まれた。


 果林はTシャツに花柄のオーバーブラウスを羽織りジーンズを履いて見せた。宗介は「似合います!似合います!」と携帯電話を取り出して連写し始めた。


「やっやだやめて下さい!」


 部屋を逃げ回るうちに宗介の部屋でつんのめり果林はキングサイズのベッドに倒れ込んだ。瞬間、シダーウッドと男性特有のにおいがふわりと舞い上がった。


(これが宗介さんの匂い)


 急に恥ずかしくなった果林は「わー!広ーい!」と無邪気におどけて見せ、勢いよくベッドの上を転がった。転がったまでは良かったがあと半回転足りず床へと転がり落ちそうになった。


「う、うひゃっ!」


「おーっと!危ない!」


 宗介の差し出した手が危ういところで果林を抱き止めベッドの上へと押し戻した。間一髪、しかしながらこの距離感は心臓に悪かった。


(か、顔が近い、近い、近いけどかっこいいーーー!)


 マットレスに両腕を突いた宗介、その顔を見上げる果林、2人の顔は赤らみ宗介はバネに弾かれる様に身体を反らした。


「す、すみません」


「私こそ子どもみたいに転がってしまいました」


「ご、ご飯食べに行きましょうか」


「あ、ええと、その14階の食堂という所ですか?」


「父が気になりますか?」


「はい、緊張します」


 辻崎家は14階の通称食堂と呼ばれるフロアで食事をする。そこでは当然社長夫妻も食卓に着く訳で心の準備が出来ていない果林にとって食堂での食事はハードルが高かった。


「では、私が着替えますからソファに座って待っていて下さい」


「はい」


 宗介はスーツのジャケットを脱ぎながら自室の扉を閉めた。果林は吸い寄せられる様に窓辺に向かいカーテンをめくった。幅の広い窓の外はきらめく街の夜景、眩い中心部からポツポツと明かりが灯る郊外まで見渡せるこの部屋に今日から暮らし、数日後にはApaiserアペゼのオーナー兼パティシエールとして働く。


(あ、新幹線)


 宗介の部屋からは新幹線高架橋が見えた。光の列が時速260kmの速さで走る様に果林の人生も走り出した。気分屋のオーナーに怒鳴り散らされその母親の陰湿ないじめにあって来たこの2年間が嘘の様だ。


「お待たせしました」


 上質なスーツを脱ぎ、ジーンズにTシャツ、ラフなシャツを羽織っただけの宗介は若々しく30代前半に見えた。


「かっ」


 格好いいと言葉にしそうになると宗介は無邪気な笑顔で「今、格好良いって思ったでしょう」と果林の肩を抱いて玄関へと向かった。その行為があまりにもさり気無く不思議と嫌な心持ちにはならなかった。


(・・・・・あ、靴)


 玄関先には真新しい靴が並んでいた。


「どれにしますか?」


 果林はジーンズに合わせてデニム生地のバレエシューズを選んだ。


「良いですね、似合っています」


「ありがとうございます」


「さぁ、行きましょう!」


「は、はい!」


 エレベーターを降りた宗介は果林の手を握り点滅する歩行者信号を駆け抜けた。白い横断歩道の目の前には宗介の逞しい背中があった。


「さぁ、急いで下さい!」


「は、はい!」


「お店は22:00までですよ!」


「ど、どこに行くんですか!」


「駅の中のラーメン店です!食べたくなりました!」


 今回は車の後部座席に押し込まれる事はなかった。


(・・・・辻崎宗介さん)


 毎日14:00に会っていた正体不明な社員は実は副社長でその副社長に手を引かれながら青信号の横断歩道を渡っている。


(え、なにこれ。嘘みたい、でも・・・い、痛い)


 木古内和寿に殴られた左の頬に触れればやはり痛かった。


(現実なんだ、これ)


 果林は幼い頃に読んだシンデレラの童話を思い出し笑みが溢れた。

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