「北村くん……やけに友達が多いなって思ってたけど、そういうことだったのね」
冬花ちゃんも納得がいったのだろう。
「ヨルが家に帰ってくるのはいつも深夜だったから、変だなと思っていたけど……北村くんの家にいたの?」
「そうです」
ああ、冬花ちゃんの家のリビングを掃除したのは、彼女だったのか。
「でも、契約者同士が出会うなんて偶然ね」
「いや、きっと偶然じゃないよ」
ヨルを見つめると、彼女は肩をすくめる。
「そのとおりです」
――『今日は夜空がとてもキレイなんです。せっかくですし、海に行ってみてはいかがですか?』
「冬花さんが、『お友達』と海で飲んでいたので」
僕は黙ったまま、ヨルを睨みつけた。冬花ちゃんも、徐々に怒りの感情が湧いてきたのか、彼女を見つめる視線が鋭くなる。
そんな僕たちに、ヨルはやれやれと呆れたように首を振ると、わざとらしく大きなため息をついた。
「そんなに睨まないでくださいよ。ヨルはただきっかけを作っただけです。今回はたまたま、お二人が仲良くなっただけのこと。いつもは、こんなに上手くはいかないんですから」
「今回? ヨルちゃん……いつもこんなことしてるの?」
「はい。楽しませていただきました」
冬花ちゃんは、唇を噛む。
「ヨル。冬花ちゃんには、なんの代償を払わせる気? まさかと思うけど」
「北村さん、正解です」
冬花ちゃんがハッとしたように目を見開き、僕を振り返る。
「もちろん、北村さんの命って言いました」
冬花ちゃんの表情で察しはついたが、飄々とした態度で言い切られると頭に血が上る。
「この……悪魔っ! 僕たちに殺し合いをさせるつもりだったのかよ!」
僕の言葉で、冬花ちゃんも理解したようだった。大きな目の縁から、また涙の滴が滲む。形のいい唇からは、「ああ」とも「うう」ともつかないうめき声が漏れた。
「だからいつもはこんなに上手くいかないって言ったじゃないですか。お二人の相性が悪ければ、それぞれ別の『本当の友達』を選ばせようと思っていたんですよ」
「このッ」
「それで? どちらが死にます?」
ヨルの赤い目が細められる。
「冬花ちゃん。なんでヨルと契約なんかしたの?」
冬花ちゃんはかぶりを振り、頭を両手で抱え込んだ。
「前にも言ったじゃない。あたしにとって、友達はスペアでしかないの。だけど、そんなの嫌だったの」
僕は膝を折り、彼女の背中を優しく撫でる。
「本当に、心から信頼できる友達がほしかったの。何人友達を作っても、死にたいくらい寂しかったから」
――「あたしね。ずっと死ぬつもりだったんだ」
――「あたしの人生、何もないんだもん。男とお金しかないお母さんより、何もないの」
いつか僕に打ち明けてくれた、冬花ちゃんの本音。
「契約をすれば、親友が出来るんじゃないかって。そんな人と出会えるんじゃないかって」
「うん。……僕と一緒だね」
冬花はふっと顔をあげる。僕たちの視線が、絡み合う。
「やっと、見つけたと思ったのに」
――「でも、こんなんじゃだめだなって思えてきたの。北村くんのおかげだよ」
胸の内に熱いものが込み上げてくる。視界がぼやけて、涙が自分の意思とは関係なくとめどなく溢れて流れていった。躊躇うことなく、僕は冬花ちゃんの体をきつく抱きしめた。
ヨルは魔術が解けても十日間の記憶は残ると言った。
僕が冬花ちゃんに対して抱くこの気持ちは本物だ。
ぎゅう、と互いの存在を確か合うように、僕らはきつく抱き合う。
このぬくもりは、仮初めではない。たった一人、僕のことを特別だと思ってくれる人がいる。
これほどの幸せを味わえたのだ。
僕にとって最初で最後の、本当の友達と呼べる人が出来たのだから。
彼女の記憶に、僕が本当の友達だった刻みついたままいなくなれるのなら、僕の存在は無駄ではなかったということだ。
僕は彼女の肩を優しく叩き、時間をかけて立ち上がる。ベッドに腰掛けたままのヨルを睨みながら、枕の下から包丁を取り出した。
冬花ちゃんは一瞬怯んだように身を反らしたが、決して他意はないと首を振って応えた。
「なるほど。北村さんにするんですね」
ヨルはにやにやと笑みを浮かべたまま、細い足を組み替えた。
「えっ? ちょっと待って、北村くん。どういう……」
「そのままの意味。僕が死ぬ」
「北村くん! やだっ!」
冬花ちゃんはすかさず僕に駆け寄ってくると、背後から抱きしめた。
「大丈夫。冬花ちゃんのこと、恨んだりしないから」
「そんな! ねえ、なんとかならないの? ヨルちゃん、お願い!」
「契約は絶対ですから」
冬花ちゃんが僕の背中で咽び泣く。携帯電話を取り出して、ディスプレイを確認すると時刻は二十三時五十九分になっていた。
あと、一分。
冬花ちゃんの泣き声を聞きながら、僕はなんだか清々しい思いがした。
生まれてから、ずっと誰かに疎まれてきた。
だから自分が死ぬ時は、きっと一人なのだろうとどこかで諦めていた。
――落ちるところまで落ちてやれ。
僕が落ちた先は、たしかに死という悲しい結末だったかもしれないが、僕にとって見ればそれは大団円の幕引きだ。
――楽しかったな。
包丁の柄を握り締める。まさに、三度目の正直だ。
ふと……腹の奥から微かな疑問が湧いた。
冬花ちゃんのショルダーバッグには、一体何が入っているんだろう?
待てよ、北村太一。
お前は、いつから彼女に友情を抱いたんだ?
もしや――……?
僕自身が、友達化されている?
ビリッと頭に電撃が走る。包丁の刃は、すでに首の皮へ食い込んでいる。熱い。ああ、痛い……。
だめだ。
日付が変わる――。
「ふゆか、ちゃん」
僕は……振り返ってしまった。
〇時〇〇分。
冬花ちゃんを、見てしまった。
彼女は……
ざあっと体中の血液が凍りついたように思えた。
ああ、魔法が解けていく……。
僕の背中に抱きつく冬花ちゃんの力には、変化が起きていた。
必死に包丁を取り上げようとしていたのに、いつの間にか彼女の手は僕の首に絡みついていた。細い指先に力が込められ、縄のようにぎりぎりと締め上げてくる。
プツンと自分の中で何かが切れた。
死にものぐるいで体をよじらせ、あらん限りの力で『冬花』の手を振り払った。
「きゃっ!」
その拍子に、僕の手から包丁がすっぽ抜けた。甲高い音を立てて床に転がったそれを、冬花は血相を変えて掴もうとする。
そんな彼女の両手を掴み、強引に床へ組み敷いた。
「冬花ちゃん、どうして笑ったの?」
月明かりに照らされた冬花の表情が、血の気を失ったように凍りつく。
僕らの荒い息が重なり合う。僕は、組み敷いた冬花の顔をじっと見下ろしながら、自分自身の明確な心の変化に戸惑っていた。
――こんな女だっけ?