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27 代償の時間

 海岸に着くと、すぐに波打ち際で遊んでいるヨルを見つけることができた。

 サンダルを片手に持ち、素足で濡れた砂の上を歩いている。麦わら帽子に白いワンピース。長く艶のある髪を潮風になびかせ、無邪気に浜辺で戯れる姿はとても愛くるしい。


 すっかり陽が昇った晴天の下で波がキラキラと照り、ヨルの白い肌がいつもより輝いてみえた。背中に羽根が生えていたら、天使と見間違えたかもしれないほどに。

 風が強いせいか、今日は人気がない。まるでプライベートビーチみたいだ。


 コパンのことがあって少し気持ちが沈んでいたが、彼女の姿を見ると少しだけホッとした。


「ヨル」


 後ろから声をかけると、彼女は動きを止め、ゆっくりと振り返った。

 赤い瞳が、僕を捉える。


「北村さん、おかえりなさい」


 ヨルはにっこりと形のいい唇を歪めて笑みをつくる。


「昨日はどちらへ?」

「ごめん。友達……冬花ちゃんの家に泊まったんだ」

「だと思いました。北村さん、すごく嬉しそうだから」

「わかる?」

「バレバレです。それより、本当の友だちは見つかりました? もう九日目ですよ」

「うん、見つかったよ」


 僕が言うと、ヨルの目がぱっと輝いた。


「やっぱり、冬花さんですか?」


 ヨルの声は弾んでいた。


「うん。ヨルのおかげで、楽しい人生を送れそうだよ」

「それはなによりです!」


 ヨルは自分のことのように嬉しそうに笑ってくれた。そのまま濡れた素足で、ぴょんぴょんと足踏みまでしている。まるで子供のように喜ぶ仕草が本当に可愛らしくて、照れくさくてむずむずする。


「北村さんの願いが叶って、ヨルは嬉しいです!」

「ありがとう」


 僕はコホンと咳払いをしながら、ゆっくりと彼女に近づいた。ヨルはくるぶしあたりまで海に浸かっていたので、僕も思い切って靴を脱いで裸足になる。

 生暖かい波に飲み込まれると、大きな手に撫でられたようで、ぞくぞくした。

 そのまま二人並んで水平線をぼんやりと眺めていたが、


「あのさ。そろそろ代償のことを聞いてもいいかな」


 ようやく切り出すことができた。


「あ、ちゃんと覚えていてくれたんですね」

「そりゃそうだよ」


 ヨルは僕をちらりと横目で見ると、唇を少し吊り上げる。


「代償のことなんですけど」

「うん」


 ヨルの目が、弓なりに細くなった。



「冬花さんの命をください」



 一瞬、何を言われたのか分からなかった。

 聞き間違いだろうか。

 呆然としながら、まじまじとヨルを見つめる。

 だが、彼女は笑みを湛えたまま口を開かない。


「ヨル?」

「聞こえませんでしたか?」

「いや、あの」

「だから、代償は冬花さんの」

「ヨル、やめてよ。そんな冗談、笑えないよ」


 自分でも、言葉尻が荒くなっているのがわかる。額に汗が浮かんで、顎から滴り落ちた。


「冗談?」


 彼女の顔から、サァと笑みが消えていく。


「冗談でこんなこと言うわけがないでしょう」


 冷淡な声だった。


「北村さんにとっての、本当の友だちの命。それが契約の代償です」


 カッと頭に血が上り。ヨルの肩を強く掴んだ。


「何言ってんだ、無理だよ。無理に決まってるだろ!」

「無理? あなた、勘違いしてはいませんか? ヨルは天使じゃありませんよ」

「それは」

「友だちがいない北村さんが、たくさんの友だちに囲まれて、この九日間楽しく過ごしたのでしょう?」


 ヨルは素っ気なく僕の手を振り払う。


「精算の時が来ただけです。それを他人の命で賄ってあげようって言っているのですから、ヨルは天使より優しいと思いますよ?」

「何をぬけぬけと……。最初から、僕に冬花ちゃん……友達を殺させるために、契約をしたの?」


 ヨルは答えない。

 だが、にんまりと心から楽しそうな笑みを浮かべる彼女の表情を見れば、一目瞭然だ。


『――今までの契約者さんたちは、すんなり部屋に置いてくれたのに』


 初めて会った日。ヨルはそう言って僕の部屋にあがりこんできた。

 ……ああ。彼女は初めてではないのだ。


「ヨルは九日目が一番好きです。みなさん、それぞれ反応が違うので。北村さんは、どんな顔をするんだろうってずっと楽しみにしていました」


 そこでヨルは、ぷっと吹き出し、くつくつと肩を震わせて笑う。

 徐々に声量が大きくなり、やがてお腹を抱え、身をよじって哄笑した。

 一体、何がそんなに面白いんだろう。


「明後日までに冬花さんを殺してください。さもなければ……」

「この悪魔め!」


 僕は力づくで彼女を押し倒した。大きな水しぶきがあがり、僕らはずぶ濡れになった。ヨルの黒い髪が海面を伝うように覆い、ゆらゆらと揺れる。


「ふざけるな! そんなこと出来るわけがないだろ!」

「じゃあ、あなたが死にますか?」


 淡々とした物言いに、言葉が詰まる。


「わかっているんです。たかが他人のために死ぬなんて、人間には無理です。今までもそうでした」


 肩を掴む手に力を込めた。しかしヨルは怯むどころか、挑発するように微笑む。


「悪魔との契約は絶対です」

「お前……」

「結果はわかりきっていますが、北村さんがどう行動するのかヨルは見守っています。今日を含めてあと二日あるんですから、ゆっくり殺し方を考えてみてはいかがですか」


 ヨルはそう言うと、僕の胸をやんわりと押し返してきた。

 触れられたことにゾッとして思わず飛び退く。

 だが、そんな僕の態度にもヨルはまったく動じず、濡れた髪の毛を絞りながらゆっくりと立ち上がった。


「冷えましたね。風邪を引いては大変です。お部屋に戻りましょうか、北村さん」


 そう言って、海の中で座り込む僕に手を差し伸べてくるヨルは、今までとまったく変わりなくて……僕は狂ったように叫び声をあげた。

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