同窓会会場から、僕は行く宛もなくふらふらと駅前の広場をさまよった。
誰かと話がしたくて、たまらない。
誰かに必要とされたい。
路行く人に半ば適当に声をかけると、市外から来たと思われる人からは怪訝な顔をされたが、すぐに友達化している若い男に当たって、一緒にカラオケルームへ向かった。
二人きりになると、男は「会わせたい人がいる」などと言い出し、断る間もなく彼は誰かに電話をかけ、三〇分とも経たずに二、三人の男女が部屋に入ってきた。
騒がしいカラオケ店の中で、彼らは僕へ「副業で稼げる方法」について熱弁してくれた。
でも、僕が欲しいのはお金じゃない、友達だ。
そんなこともわからないのだな、と頼んだアルコールドリンクを飲み下しながら、熱心に聞くふりをした。
冬花ちゃんのアルコール中毒が感染ったのかもしれない。
僕はマルチ商法の人たちからも心配されるほど、飲みに飲んだ。
彼らに「友達が欲しくて」とつぶやくと、「みんないい人だよ」という薄っぺらい言葉が返ってきて、その言葉にまた腹が立ち、さらに飲んだ。
「いい人は、友達を勧誘なんてしないよ」
と叫んだような気がするが、その頃の僕はべろべろに酔っていて、夢か現実かもわからない有様だった。
ふと気がつくと、僕はカラオケ店のトイレの便器に頭を突っ込んでいた。
ズボンのポケットに入れた携帯電話が震えている。
ぐらぐらと揺れる脳みそをフル回転させ、深く考えず通話ボタンを押した。
相手は冬花ちゃんだった。
『北村くん。同窓会楽しんでるの? もしかして、二次会突入?』
どうやらカラオケ店の騒音が響いているらしい。彼女の声はちょっとだけ弾んでいた。
「同窓会なんて、大失敗だったよ!」
トイレの床へ崩れ落ちるように正座をすると、へらへらとした笑いが出てくる。
『え? じゃあ、誰と飲んでるの?』
「知らない人たち」
『はあ?』
「もうどうでもいいんだ。僕なんか死んじゃえって感じ。期待しちゃってさ、ばっかみたい」
冬花ちゃんが電話の向こうで息を呑むのがわかった。
『今どこにいるの?』
「鳥見駅のカラオケBONだよ」
『誰かと一緒?』
一瞬、言葉に詰まる。一緒に入店した人たちのことを、彼女に知られたくなかった。
「ううん。一人だよ」
『すぐ行くから』
僕が問い返す前に、ぶつんと電話が切れた。彼女は何を言っているんだろう? と、いまだふわふわする頭では思考が追いつかない。
しかし、徐々に意識がはっきりしてくると、同時に猛烈な吐き気がらこみ上げてきて、僕は便器の中へ盛大に吐き戻してしまった。
腕時計を見ると、時刻はすでに二十一時を回っている。
一体僕は何をしているんだろう。
元いたカラオケルームに戻ることもできないまま、何度もげえげえと嘔吐する。
自分の体に叱られている気がして、さらに情けなくなる。
そうしてしばらくトイレで格闘していると、再び携帯電話が震えた。画面を見ると、
『今、建物の前にいる。降りてきて』
という、冬花ちゃんからのショートメッセージが届いていた。
そこでようやく立ち上がる気力が湧いてきて、重たい足を引きずりながらカラオケルームへ戻る。中には、まだ先ほどの男女が仲良さそうに歌っていて、僕を見ると心配そうに取り囲んできた。
テーブルの上にはこれから僕を勧誘しようとしていたのか、怪しい商品が載った資料らしき本や書類が広げられていて辟易する。
彼らの言葉を無視して、強引に鞄を引っ掴むと、一万円を机に置いて部屋を立ち去った。
むかむかとする胸を抑えながら、カラオケ店の外へ出る。すると、甲高いクラクションが鳴らされ、驚いて振り返った。
そこには真っ赤な高級車が道沿いに停まっていて、冬花ちゃんが窓から身を乗り出しながら僕に手を振っていた。その光景に、一瞬で酔いが覚めて行く。
「うわ、すごい」
僕が近づくと、冬花ちゃんは車内から降りてきて、うやうやしく助手席のドアを開けてくれた。シートは染みひとつなく、足元に埃一つも落ちていない。
映画やドラマでしか観たことがないようなハイテクな車内に、恐縮してしまう。
叩けば埃が散ってきそうな服を着た僕が乗り込んで、本当にいいのだろうか。
行き交う人々も物珍しげに僕たちを振り返っていくのがわかって、ますます縮こまってしまう。でも、冬花ちゃんは表情一つ変えずに運転席へ戻ってくると、シートベルトを締めた。
「北村くん、今日仕事は?」
「…………休んだ」
記憶はないが、職場のグループチャットで「体調不良のため休みます」としっかり報告していた。我ながら、こういうところは真面目だなと妙に感心する。
「そう。じゃあ、ドライブしよ」
「冬花ちゃん。今日、お酒は?」
「やだな。さすがに飲酒運転はしないよ」
彼女は心外そうに唇を尖らせたが、すぐに茶化すように笑った。
「じゃあ、飛ばすね」
「さっき吐いたばかりだから、お手柔らかに……」
「任せて」
僕の懇願も虚しく、冬花ちゃんはアクセルペダルを思い切り押し込んだ。ちょっと予想はしていたが、彼女の運転は相当荒かった。
ぐわんぐわんと左右に揺れる車内で、僕は何度も喉までせりあがる吐き気を抑え込まなければならなかった。車はスピード違反ギリギリの速度で高速道路を突き抜け、道路を通り過ぎ、やがて人気のない山道へと入っていった。
僕の体調が優れなかったのも理由の一つだが、車内は始終無言だった。
僕は車の外をずっと眺めていたし、冬花ちゃんもフロントガラスから目を離すことはなかった。冬花ちゃんの趣味なのだろう、オシャレな洋楽だけがジャカジャカと騒がしい。
一時間以上は走っていただろうか。
冬花ちゃんが車を停めたのは、街を一望できる山の頂上だった。
車から降りる冬花ちゃんに続いて、僕もドアを開けて外に出た。満天の星の明るさに圧倒され、思わず声が漏れた。
「すごいね、ここ」
まるでプラネタリウムみたいだ。痛いくらいに空を見上げ、きょろきょろと辺りを見回す。
車が走ってくる気配もなく、木々のざわめきが耳に心地よい。星が瞬くたび、その音色が聞こえてきそうだ。
「あたしのお気に入り。しんどくなったら、時々飛ばしてくるんだ」
「ありがとう、連れてきてくれて」
冬花ちゃんは得意げに微笑む。そしてそのまま、世間話でもするかのように彼女は続けた。
「同窓会、だめだったの?」
チクリと胸を針で刺されたような痛みが走る。
「ごめん。あたしが行けなんて言ったからだよね」
「違うよ。身の程をわきまえなかった僕のせいなんだよ」
冬花ちゃんは眉根を寄せた。
「やっぱさ、僕って人から好かれる人間じゃないみたいなんだよね」
「どうして? 宮越さんは友達じゃないの?」
「本当の友達じゃないよ」
「あはは。あたしと同じようなこと言ってる。野本さんとはうまくいかなかったんだね」
本当は好かれていたどころか、憎まれていたのかもしれないとは、さすがに言えなかった。
「もう、わかんないや。自分ではまともなつもりなんだ。でもさ、いつの間にか嫌われちゃってるんだ。学校でも、職場でも、プライベートでも」
隣人の前原さんの顔が頭をよぎる。
「子供の頃から、ずっと孤独なんだ。僕の何がいけないんだろうね」
冬花ちゃんはガードレールに寄りかかったまま、何も言わない。
「教えてくれたらいいのに。お前のここが嫌いだから、直せよってさ。空気読めてないぞ、もっと気をつけろよ……とかさ」
誰からも必要とされず、見向きもされない。
そんな日々が積み重なって押しつぶされた結果、今の自分がいる。
大人になれば、友達の一人や二人出来るかもしれないと思っていた。
だけど現実は今もなお、変わらない。
「北村くん、ご両親は?」
「さあ。今はどこにいるのかも知らないよ」
「そっか」
家族とか、親戚とか、そういう血の繋がりにすがるのはもう諦めている。
だからこそ、友達という存在は僕の人生にとっての灯りのようなものなのだ。
自分がこの世界にいて、誰かに求められている。そう実感できる居場所。
それが僕にとっての友達だ。求め求められる、そんな関係。
たとえ悪魔に魂を売ってでも、僕はそれが欲しくてたまらないのだ。
「だから冬花ちゃんみたいに、スペア感覚で友達をつくれる人が、僕にとってはすごく羨ましいんだ」
「自分がサイテーっていう自覚はあるけどね」
「冬花ちゃんは、どうしてそんなに友達が欲しいの?」
僕がそう尋ねると、冬花ちゃんは、はあっと息を吐いた。
「無理に話してとは言わないけど……」
「あたしって、愛妾の子なんだよね」
自分で聞いたくせに、噛み合わない冬花ちゃんの返事に戸惑った。
アイショー? あいしょー……。一瞬、頭で漢字に変換できなかったが、すぐに浮気相手の子供という意味だとわかってギクリとする。
「あたしが今住んでる家は、お父さんがお母さんに買ってあげたものなの。あの車もそうだよ。毎月数十万のお手当ももらっていたみたい。すごいよね。愛人ってそんなに儲かるんだって笑ったわ」
「そんな言い方」
「でもさ。お母さんは、あのリビングで首吊ったのよ」
ひゅっと喉から声が漏れた。
「腰が抜けたわ。今でもたまに夢で見るしね」
「そう……だったの」
「お母さんは孤独でさ。葬式に夫……いや、世間的には彼氏だけど……そいつすら来なくて。娘にまで軽蔑されて、骨壷は市役所が手配した共同墓地に埋まってるんだよ」
冬花ちゃんは、星空をぼうっと見上げたまま続ける。
「男は全員恋愛対象、女は全員恋敵がモットーな人だったから、当然だよね」
気丈な物言いだったが、彼女の横顔はさみしげだ。
「あたし以外、誰も骨を拾いに来ない火葬場でさ。黄ばんだ骨を見たとき、こうはなりたくないって思っちゃったんだ」
「だから友達をたくさん作ってるの?」
「うん。だって惨めじゃん。金と男しかいない人生なんて」
肯定も否定もできなかった。
「でもさあ、他人って少し仲良くなったらすぐ金の無心が始まるの。うんざりだよ。いい家に住んでるだけで、小遣いをせびってくるの。あたしだって、お母さんの遺産を食いつぶしてるだけだっつの。それも、あと数ヶ月で尽きちゃう」
そんなこと、想像もしていなかった。
あんなに立派な邸宅に住んで、大勢の人たちに囲まれて、每日キラキラとした日々を過ごしているのだとばかり思っていた。
「だからその前に、本当にあたしのことを想ってくれる友達がほしいんだよね。……この話したの、北村くんが初めてかも」
「僕でよかったの?」
「北村くん、ビアガーデンであたしのこと助けてくれたじゃん。あの日から、北村くんはあたしにとって特別な友達なんだよ」
「そんな。あのときは、ただ必死なだけで……」
「北村くんは、自分が思ってるほど駄目なやつじゃないよ」
彼女が僕に優しくしてくれるのは、友達化しているからだとは頭ではわかっている。
そうでなければ、僕と彼女は挨拶すら交わさない関係なのだ。
「冬花ちゃんは、サイテーな人間なんかじゃないよ」
「そうかな」
「僕のために車を飛ばしてきてくれるなんて、すごく友達思いの人なんだと思う」
「あはは。なんか、北村くんが泣いてるかもって思ったら、居ても立ってもいられなくなっちゃったんだよね」
「おかげで、心が楽になったよ」
「それなら良かった。野本くんの代わりに、あたしがいくらでも付き合うよ」
「ありがとう、冬花ちゃん」
僕は衝動的に冬花ちゃんの手を握ろうとして、寸前でのところで思いとどまった。
だが、彼女は僕の意を汲み取って、優しく両手で包み込んでくれた。
「これからも、友達でいてね」
「うん、こちらこそ」
僕らはなんだか気恥ずかしくなって、互いに照れ笑いを浮かべる。
彼女と話している間に、いつの間にか同窓会でひしゃげた心は回復していた。
僕に残された時間は、あと六日。
その間に、彼女との距離をもっと縮めることができれば、僕らは本当の友達になれるかもしれない。
もしもこの瞬間、ヨルの魔術が解けたらどうなるのだろう。
彼女はあっさり僕を見限るのだろうか。
替えにもならないガラクタだと、僕を捨てるのだろうか。
いや、きっとそんなことはしない。
僕をじっと見つめてくれる彼女を信じたい。
たとえ彼女が僕を嫌いになったとしても、僕が彼女を想うこの気持ちに偽りはない。
彼女のことを支えたいし、いくらでも力になりたいと思う。
紛れもない、『本物の想い』だ。
これが「友達」というものなのだろうか。