本人にとっては、思い出したくない過去のようだ。
「でも、お金を出してくれる親がいて羨ましいよ」
「まあ、ね」
彼女は不思議な女の子だ。
親のお金で、あんなに大きな家に一人で悠々自適に暮らしているなんて。
僕とは雲泥の差だ。容姿も端麗で、ひっきりなしに携帯電話へ連絡が来る友達が大勢いる。
そんな子が、僕のような天涯孤独かつ、リストラ間近の男のワンルームで一緒にお酒を飲んでいる……。
不思議な縁だ、ビールを飲みながら、彼女の横顔をじっと見つめた。
眩しい。
眩しすぎて、妬ましいという感情すら湧かない。
僕と彼女は、あまりにも違いすぎている。
こんなに近くにいるのに、とても遠い存在だ。
どちらともなく、テレビの電源をつけた。大して面白くもないワイドショーが映って、凄惨なニュースや、芸人の食レポを観ながら、僕らはあーだこーだと語り合う。
共通の話題なんてゼロに等しいのに、なぜか僕らの話は尽きなかった。
時計の針が午後を指す頃には、冬花ちゃんが買ってきた酒はすっかり空になり、おつまみも姿を消した。
僕が最後の一缶を開けたところで、
「お酒足りないから、買い足してこよっか」
と、冬花ちゃんは火照った頬を手でさすりながら、ふらふらと立ち上がった。
「いや、酔いが冷めるまで待ったほうがいいよ」
「じゃあ、北村くんが買ってきて」
「大丈夫なの? 昨日もたくさん飲んでたでしょ」
「二年だよ」
冬花ちゃんは唐突に呟いた。
「二年間、毎日飲みっぱなし。完全なアル中だよ、あたしなんて」
「冬花ちゃん」
「ほんと、ダメ人間」
相当酔いが回っているのだろう。そのまま体勢を崩すと、畳んでいた僕の布団へ倒れこんだ。
やれやれとその様子を見守っていると、
「……あれぇ?」
冬花ちゃんは寝そべったまま、山積みにしてあった書類の一番上にあった封筒を手に取った。
「同窓会のお知らせ?」
「あっ! それ……」
捨てといて、とヨルに言ったのに。僕は慌てて腰を浮かす。
「同窓会あるんだ? いつ?」
「…‥明日」
「へえ! いいじゃない。楽しんできなよ」
「行くつもりはないけどね」
「どうして?」
「学生時代は、あんまりいい思い出がないから」
冬花ちゃんは丸い目を瞬かせて首をひねる。
そのまま無視をしてしまえばよかったのだろうが、きっと僕も酔っているのだろう。ビールをぐいっと飲み下しながら、半ば愚痴るように話を続けた。
「友達ランキングってのがあったんだよ」
あれは中学二年の頃だった。
きっと、よくある悪ノリだったんだろう。
『友達ランキング』という、低俗な遊びが流行ったのだ。
クラスメイトの中で、誰が一番人気なのか。そして嫌われ者は誰なのかを、クラス全員に投票を募って決定するのだ。
投票が始まる前から、僕には結果がわかっていた。
開票日に掲示板へ張り出された用紙には、『三十一位 北村太一 投票数0』と、書かれていた。
死にたくなるほど惨めだったのを覚えている。
せめて自分に投票しておけば、ビリは免れたかもしれない。
だけど当時の僕はそこまで頭が働かず、学級委員長に清き一票を投票していた。
―――野本光。
彼も友達が多いほうではなく、僕と同じく気が弱かったので、面倒なことを押し付けられがちだったのだ。そんな僕らはなんとなく気が合って、時々会話を交わしていた。
言い出しっぺであるクラスメイトは、ダントツの一位だった。きっとこうなることがわかっていたから、こんなしょうもないイベントを実行しようとしたのだろう。
僕はその日を境に誰からも相手にされなくなり、一位くんはますます人気者になっていった。
そうやって落ちて、落ちて、落ちて。落ちた先に。
「僕はこのアパートにいるってわけ」
「ごめん。あたし、おせっかいなこと言っちゃったね」
冬花ちゃんは気まずそうに身を縮こませた。僕は彼女の手から封筒を受け取ると、差出人の名前……『野本光』という字を指で撫でた。
「懐かしいな、野本くん」
「もしかして、その子が学級委員長?」
「そうだよ。あとから、自分で自分に票を入れてごめんって謝ってきた。律儀だよね」
「いい子だね」
「うん。不登校になった僕のところにも、せっせと宿題を渡しにきてくれたし」
彼は僕の家に訪ねてくるたびに、学校へ来いと誘ってくれた。
なぜそこまで気にかけてくれるのかはわからなかったけど、担任ですら見放した僕を気遣ってくれることが嬉しかった。
結局は卒業式にすら出席しないまま、僕らは別々の高校に進学して、二度と会うことはなかったけれど。
今から思えば、彼は僕の――。
「会いにいかないの?」
グン、と意識が引き戻される。
「どうせ嫌な思いするだけだよ」
「野本くんに会ったら、すぐ帰ってきたらいいじゃない?」
もう一度、封筒に目を落とす。野本くんの住所は、藤島市××-××。
市内在住ということは、彼にもヨルの魔術がかかっているはずだ。
野本くんとなら、本当の友達になれるだろうか。
掻き立てられるように、僕は携帯電話を握り、招待状に記載されていた電話番号にかけた。
数コールのあと、
『はい。野本ですけど』
心臓が飛び上がるほどの緊張で、息が止まるかと思った。
久しぶりに聞いた学級委員長の声は、記憶の中よりもだいぶ大人びている。
頭が真っ白になり、すぐに言葉が出てこなかったが、隣で心配そうに見守っていてくれる冬花ちゃんのおかげで、すぐに落ち着きを取り戻すことができた。
「あっ……僕。えっと……北村、太一です」
『え? 北村くん? すごい久しぶり。どうしたの?』
やはり友達化しているのだろう。電話口から聞こえる弾むような声に、ほっと胸を撫で下ろした。
「急で悪いんだけど。明日の同窓会、今から出席したいって言ったら無理、かな?」
『え、ホント? 実は直前キャンセルするやつが多くて参ってたところだったんだよ』
僕はとっさに冬花ちゃんの顔を見た。表情で察してくれたのか、彼女は小さくガッツポーズをする。
「僕が行っても大丈夫?」
『もちろん。北村くんが来てくれるなんて嬉しいよ。よろしくね』
「ぼ、僕のほうこそ」
それから明日のスケジュールを簡単に教えてもらい、僕は電話を切った。
「よかったね、北村くん! あたしまで嬉しくなっちゃった!」
「うん。ありがとう、冬花ちゃん」
「明日は楽しい日になるといいね!」
「そうだね」
自分のことのように喜んでくれる冬花ちゃんが、僕は愛おしく思えた。
「よし! じゃあ、明日に乾杯しよ」
「ははは。じゃあ、お酒買ってくるね」
「お願いしまーす」
そのあと、僕の出勤時間が迫るまで、二人で思う存分飲んだ。
一つ屋根の下、べろべろに酔っ払った男女がいるというのに、呆れるほど甘い雰囲気になることもない。
……いつの間にか、コパンの姿は消えていた。