冬花ちゃんの言葉を借りるなら、僕はいつだって管理されるタイプの人間だ。
必要がなくなれば、派遣の更新みたいにスパッと切られる。そして、気がつけばいつも独り。
「女の子って、いつも仲がいいものだと思ってた」
「女の友情なんか、あらゆる嫉妬をドロドロに混ぜ込んだスムージーみたいなもんだよ」
「じゃあ僕も、冬花ちゃんにとって誰かの替えなの?」
口に出してから、すぐに後悔した。
嫌味だっただろうか。なんだこいつ面倒くさいなって思ったにちがいない。
「ごめん、やっぱ今のなし」
「もう遅いよ」
冬花ちゃんは、ふふふっと自嘲するように笑う。
「北村くんは、ちょっと違うかな。あんまり出会ったことがない人っていうか。特別枠、みたいな?」
「ふうん?」
おそらく、ヨルの魔術のおかげなんだろう。
「あたし、さっきからすごい失礼なこと言ってるよね。北村くんの前だと本音が言えちゃうっていうか」
「それなら嬉しいけど」
「君は素直だから、あたしみたいな歪んだ人間と付き合わないほうがいいかもね」
「そんなことを言えちゃう冬花ちゃんも、素直なんじゃないかな」
それは慰めでも、気休めでもない。紛れもない僕の本心だった。
もしかしたら、僕は冬花ちゃんの危うさに惹かれているのかもしれない。
「冬花ちゃんは、僕からみても……その、魅力的、だと思うけどな」
「顔だけっていつも言われる」
「そんなこと」
ない、と言い切れるほど、まだ彼女の内面について知らないことばかりだ。
上っ面の言葉になりそうで、それ以上言葉を続けることができなかった。
「でもありがと。嬉しいよ、ふつーに」
「いつか、冬花ちゃんにも本当の友達ができるといいね」
「さあ、どうかな。蜃気楼みたいなもんだなって、諦め気味かも」
蜃気楼か。僕はそんな蜃気楼に憧れて、悪魔と契約をした。
そんなことを言ったら、頭がおかしいと思われてしまうだろうか。
「でも、こんなあたしでよかったら、これからも仲良くしてね」
冬花ちゃんはにっこりと微笑むと、僕に握手を求めてきた。
「こちらこそ」
恐る恐る握りしめた彼女の手は、とても冷たかった。
「ふふ。北村くんの手、冷たいね。風も出てきたし、少し冷えた?」
「冷たい缶を持っていたからだと思うけどね」
「たしかに。このまま飲み続けたら、さすがにお腹壊しちゃいそう」
僕の手のひらから、冬花ちゃんの手がするりと逃げていく。
まだ彼女に握られた感触が残っていて、僕はそれを確かめるように何度も拳を握り込んだ。
「そうだ。今さらだけど、連絡先教えてくれない? 暇なとき、連絡ちょうだい」
「こちらこそ……僕でよければ、いつでも」
ぎこちなく差し出した僕の携帯電話に、冬花ちゃんは慣れた手つきで、チャットアプリのアカウントを登録してくれた。
たった二日ですでに三人と連絡先を交換したことに、しみじみと感動する。
やっぱり、ヨルの魔術はすごい。
僕たちは、そのまま日が沈むまで他愛のない話をした。
近所の工場がそろそろ潰れそうだとか、薄っぺらい政治批判とか、好きな音楽の話だとか。
波打ち際の砂の城のように、満潮になれば跡形もなく崩れて消えてしまうような、中身のない空っぽな会話。
でも、それで満足だった。
いつも、自宅の窓から眺めているばかりだった理想のひとときを過ごしている。
買った酒がすっかり無くなるころには、だんだん冬花ちゃんの呂律が回らなくなっていき、昨日と同じように甘えた口調へと変わっていった。
わかっていたことだけど、どうやら彼女は相当な甘え上戸らしい。
冬花ちゃんの携帯電話にはいつの間にか電源が入っていた。
彼女はへらへらと上機嫌なままメッセージをせっせと返し始めた。
冬花ちゃんの価値観を知ってから、なんとなく止めるのも気が引けて、僕はその様子を静かに見守った。
冬花ちゃんは、きっと僕と同じくらい寂しい人なんだろう。
お金持ちで、可愛くて、人気者なのに。
心の底にあるものは、陰気な僕と同じ。
人間というものは、意外とわからないものだ。
× × ×
すっかり酔っ払った冬花ちゃんを家まで送り届けた僕は、足早にアパートの部屋に戻った。
「お酒くさいです」
ヨルは映画が映るテレビ画面から目を離さないまま、不機嫌そうに呟いた。
「やっぱりわかる?」
「びあがーでんで、たくさん飲まれたんですか?」
「会場ではそんなに飲んでないよ」
僕はビアガーデンでのことをかいつまんで説明した。
今まで冬花ちゃんと飲んでいたと告げると、ヨルの顔はみるみる綻んでいく。
「岡田さんって人に絡まれたのは災難でしたけど、冬花さんと海にまで行っちゃうなんて、いい感じじゃないですか」
「そうなのかな」
僕はキッチンの冷蔵庫に、ヨルのお土産として買ってきたコンビニのスイーツを入れた。うがいのために水切りカゴからコップを探すと、見慣れない女子向けのマグカップが我が物顔で陳列されていて苦笑する。
「このまま、冬花さんと本当のお友達になれるといいですね」
「向こうはどう思ってるかなんてわからないけどね」
「またお誘いしてみたらどうですか?」
「そうだね」
うがいをしながら、僕は頭のどこかで、冬花ちゃん一人に執着していていいのだろうかと考えていた。
――スペア。
どうしても、僕は彼女の価値観に同意することが出来ない。
友達というのは、そんなに軽い存在とは思えないからだ。
これから、彼女ともっと仲を深めることができたとして。
その時、僕はスペア以上のものになれるのか?
――蜃気楼みたいなもんだなって、諦め気味かも。
――友達なんて、メンドーなだけじゃないですか。
冬花ちゃんと、宮越くんの言葉が頭の中でぐるぐると回る。
ザラリとした違和感が、胸の奥から這い上がってくる。
もしかして、僕は相当馬鹿げたことをしているんじゃないだろうか。
「ねえ、ヨル」
「はい、なんでしょう?」
「ヨルは、友達いる?」
「いません」
即答だった。
「悪魔たちは性格が悪いので、あまり近づかないことにしているんです」
「そっか。でも、友達って必要だと思う?」
僕の問いに、ヨルはスンと肩をすくめた。
「人間には必要なものだと思いますよ。人間関係で悩むということは、それほどまでにかけがえのないものだからでしょう?」
「そうだけどさ。なんか、よくわからなくなってきちゃって」
「みなさんから、何か言われたんですか?」
「まあ。いろんな価値観があるなって思っただけ。僕が勝手に悩んでいるだけっていうか」
「グダグダ悩まず、とりあえず色んな方と仲良くしてみてはどうですか?」
言われてみればそうかもしれない。
今まで友達ゼロだった僕が、日替わりのように他人と話をしているのだから、多少は周りの言葉に左右されて当然かもしれない。
その時、ポケットに入れていた携帯電話が震えた。取り出してみると、冬花ちゃんからメッセージが届いていた。
『今日は岡田から助けてくれてありがとう! 海では変なこと言ってごめんね』
前原さんや宮越くんから送られてくる簡素なメッセージと違って、キラキラした絵文字がたくさん使われていた。
『気にしないで。気分は大丈夫?』
僕はそこまで文字を打ち込んだあと、『気分は~』のくだりを消去した。
代わりに『おやすみ』と書き換えて送信する。疑問形で返せば、ラリーが続く。
なんとなくそれが億劫だった。
あんなに友達がほしいと願っていたのに。人間というのは勝手なものだ。
明日は、冬花ちゃん以外の人とも遊んでみよう。
人間関係をまともに築くことができなかった僕にとって、たった一日で状況が一変したのだ。
欲しかったものが、ぽんと手に入ったことが、まだ実感として受け入れられないだけに違いない。
友達が出来るという日常は思っていたよりも労力を使う。
僕は冷蔵庫から冷えたペットボトルのお茶を一気に飲み下し、ふるふると頭を振った。
窓辺に歩み寄って外を見ると、空はすっかり暗くなっていて夜の海が遠くに見えた。
窓を開けてベランダの隅に置いている餌入れを確認すると、キャットフードは半分ほどしか減っていなかった。
コパン……体調が悪いのだろうか。
いつもなら、おかわりをくれと催促してくるほど食い意地が張っているのに。
だが、猫は気まぐれな生き物だ。もしかしたら、ヨルを警戒しているのかもしれない。
しばらく窓を開けて、コパンがやってくるのを待っていたが、結局彼がベランダに現れることはなかった。