海岸は、思っていたよりも人が少なかった。
そもそも、わざわざこの海岸にやってくる人たちは市外からの観光客が多いので、友達化している確率は低いだろう。
地元の主婦たちは砂浜に立てたパラソルの下で子供を遊ばせていて、僕に気づいた様子はないし、サーフボードを抱えたサーファーたちは、波に夢中で他人のことなど眼中になさそうだ。
最初こそ、誰かに声をかけられるんじゃないかとビクビクしていたが、その可能性が低いことがわかると、だんだん清々しくなってくる。
僕らは暑い暑いと言いながら、波打ち際まで進んでいった。
熱せられた砂浜は、スニーカーの靴族越しでもジンジンと足裏を灼く。
じわじわと汗の粒が滲み、額から伝ってくる度、目にしみる。
帽子の中が蒸されて、気持ちが悪い。人の目は気になるものの、不快感に堪えられなくて脱いだ。
「ここでいっか」
冬花ちゃんはギリギリ波が届かないところで足を止めると、躊躇いなくトートバックを砂浜に敷き、その上に腰を下ろした。
僕は一つしか持っていない鞄が砂まみれになるのが嫌で、直に座ろうとしたが、あまりにも砂が熱くて、すぐに鞄を尻の下に敷いた。
「北村くん、お酒ちょうだい」
「ああ、うん」
僕は胸に抱いたレジ袋を砂浜の上に置いた。中には近くのコンビニで買った酒がたっぷり詰まっている。
「持ってくれてありがとう。……これだけじゃ、足りなかったかな?」
「十分すぎると思うけど」
飲み直すとは言っても、せいぜい二、三缶かなと思っていたのに、袋の中には五〇〇mlの酒缶が一〇缶近く入っている。
僕はその中でも一番アルコール度数が低い酒を選び取る。冬花ちゃんは唇に指を当てながら少し考えていたが、一番度数の高そうな酒を掴んだ。「乾杯」の言葉もなく、彼女は流れるようにプルタブを開けると、水でも飲むように一気に煽る。
僕も一口飲んでみたが、アルコールの匂いだけでむせ返りそうだ。胃の中には、ビアガーデンで飲んだビールがしこたま溜まっている。
喉を鳴らして飲み干す冬花ちゃんの姿を見ているだけで、気分が悪くなってきそうだ。
缶の縁をぺろりと舐めただけで、そのまま足元に置く。
「はあ、海で飲むお酒はおいしい」
すでに中身が半分以下になっていそうな缶を振りながら、冬花ちゃんはしみじみと呟いた。
「冬花ちゃんは、よく海に来るの?」
「うーん、気が向いたときに来る感じかな。……あ、ごめん。ちょっとメッセージ返してもいい?」
僕が返事をする前に、彼女の手にはすでに携帯電話が握られている。
「北村くんの話は、ちゃんと聞いてるから」
少し不満を感じたが、こんなことぐらいで文句を言って嫌われたくはない。
ざぶん、ざぶんと豪快に寄せては返す波を見つめながら、僕は間を繋ぐ話題を必死に考える。
「波の音って、なんでこんなに落ち着くんだろうね」
「うん、そうだね」
「泳いだら気持ちいいだろうね。僕は海で泳いだことないんだけどさ」
「わかる。そんなもんだよね」
「冬花ちゃんは、泳げる?」
「普通には」
「そっか。いつもどんな人と遊んでるの?」
「普通だよ、普通」
さっきから、会話の返事が淡白すぎやしないか。
ちらっと冬花ちゃんを見やると、彼女は一生懸命携帯電話をいじっている。
「冬花ちゃん。僕の話、ちゃんと聞いてる?」
少しだけ口調が強くなってしまったかもしれない。冬花ちゃんは顔をあげると、気まずそうに眉尻を下げた。
「ごめん。グループチャットが、ちょっと盛り上がっちゃってて」
「ふうん」
すぐにメッセージを返すのは人間関係においてとても大切なのかもしれない。
「友達が多いと大変だね」
「そうなのよ」
ちょっとした嫌味だったが、冬花ちゃんは気づかなかったようだ。
そう言っている間にも携帯電話が振動し、彼女はいそいそと返信作業に戻ってしまう。
いつの間にか生ぬるくなった酒を、口に含む。
……なんだか思っていたのと違うな。
一昨日まで友達ゼロだった僕がこんなことを思うなんて、調子に乗りすぎかもしれない。
こうして誰か――いや、相手は美人な冬花ちゃんだ――――と、二人きり飲んでいるというだけで奇跡なのかもしれない。
でも、もっと楽しい時間を過ごせると期待していた。
せっかく本当の友達になれるかもしれないと思ったのに。
僕は、無意識に大きなため息をついてしまった。
彼女に聞かせるつもりはなかったのだが、
「ごめん。怒ってる?」
冬花ちゃんは、そそくさと携帯電話をポケットに仕舞いながら、僕の機嫌を窺うように尋ねてきた。
「そんなことはないよ」
「あたしが悪いね。せっかく付き合ってもらったのに。電源切っとく」
「そこまでしなくても」
「いいの」
彼女はそのまま本当に電源を切ってくれた。その心遣いに、ちょっとだけほっとする。
けれど会話は尻すぼみになっていき、冬花ちゃんは気まずそうに足元の缶に手を伸ばした。
しかし、すでに中身は空っぽだったのだろう。レジ袋から新しい酒缶を取り出すと、迷うことなくプルタブを開けた。
「昨日も飲んでいたけど、そんなにお酒が好きなの?」
「うん。飲まないとやってられなくて」
冬花ちゃんは、自嘲気味に笑う。癖になっているのか、ついさっき仕舞ったばかりの携帯電話を取り出す。だが、電源を切ったことを思い出したのか、不満そうに真っ暗な画面を指で撫でる。
どうやら依存の対象は酒だけじゃないようだ。
「気になるなら、電源入れたら?」
「……あたし、ケータイ依存症なのかも」
「アルコールもじゃないの?」
「はー……ダメ人間すぎだね、あたし」
フォローしたいが、どんな言葉をかけても薄っぺらくなりそうだ。
「ねえ。さっきの岡田さんって、どういう友達なの?」
これ以上空気が重たくなるのは嫌だったので、話題を変えることした。
「うーん。飲むのは今日がはじめてなんだよね。たまたま声をかけられたから、遊んでみようかなって思っただけ」
「はじめてって……危ないよ。よく知りもしない人と二人で飲むなんて」
「北村くんだって、よく知りもしない人じゃない」
「う」
それを言われたら、何も言い返せない。
「しょーがないよ。人間関係を広げようと思ったら、ある程度のリスクは伴うものだし」
「リスク?」
「そ。人間関係って、良くも悪くも、リスクありきじゃない?」
「そんな風に無理して人間関係を広げなくても、今いる友達を大事にしたらいいんじゃない?」
冬花ちゃんは、電源の入っていない携帯電話に視線を落とす。
「みんな友達じゃないんだよね」
「どういうこと?」
「あたしがお金を出すから、それ目当てでタカってくるだけ。信用できる人なんていないの」
「信用できない人と、わざわざ付き合ってるの?」
「スペアをたくさん用意しておかないと不安なんだよね。一人疎遠になったら、一人補充するの。そうすれば、永遠にあたしは一人ぼっちにはならないでしょ?」
キィンと、耳鳴りがした。
浜辺は観光客たちの声や波の音で騒がしいはずなのに、僕の耳には遠く聞こえる。
冬花ちゃんは、何を言っているんだろう?
「補充だなんて。まるで在庫管理みたいな言い方」
「やってることはそんな感じだよ」
「それって、友達って言えるの?」
「さあ、わかんない。誰でもそういうものかと思っていたんだけど、みんなもっと他人を信用しているんだよね。びっくりしちゃう。あ、もしかして引いた?」
「い、いや。全然」
「北村くんって、すぐバレるウソつく。でも、友達ってそんなもんじゃない?」
大きく見開かれた黒い目が、まっすぐ僕を覗き込んでくる。
わからない。友達がいない僕に、そんなことわかるわけがない。