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13 つくりもの

 ビアガーデンに行こうと提案したのは、冬花ちゃんに会いたいと思ったからだ。

 だが、会場の受付から伸びる行列を目の当たりにして、その選択は失敗だったとすぐに気がついた。


「結構、混んでいますね」


 宮越くんは額に浮かぶ汗の玉を拭いながら呟く。曖昧に相槌を打ちながら、僕は念の為に準備した帽子をかぶり直した。


 平日の昼間なのでそんなに混まないだろうと思っていたが、甘かったようだ。

 テント張りのカジュアルなビアガーデンは、とても活気づいており、耳元で会話をしないと聞こえないほど騒がしい。


 敷地いっぱいに出店も立ち並び、クラフトビールの他にも様々な食事が売られていて、大規模なパーティ会場のようだ。


 宮越くんは、順番待ちをしながら首を伸ばして「あの肉美味しそうですね」「あっちのポテト食べたいです」などと言って目を輝かせていた。


 僕はこういうイベントに縁がないせいで、この陽気な雰囲気に圧倒されてしまう。

 会場には、いかにも『人生充実しています』と言わんばかりの、楽しそうな人たちばかりだからだ。


 今の僕も他人から見れば『友達同士で休日を楽しんでいる人』に見えるのだろうが、この姿は所詮仮初め。


 まざまざと『普通の人』との違いを見せつけられているようで、清々しいほどの青空とは対照的に、僕の心はどんどん曇っていく。


 しかし、本当の問題はそんなことではない。


 僕はさらに帽子を深くかぶり、出来るだけ他人と目を合わせないよう、自分の足元にじっと目を落とす。


 少しでも誰かと視線が交われば、向こうが僕に気づいて会釈をしたり、目配せをしたり、手を振ってくる。


 客が、全員友達化しているから。


 列に並ぶ直前、見ず知らずのおじさんから、「お前も来てたのか」と親しげに話しかけられ、子連れの主婦には、「こんなに大きくなったのよ」と知らない赤ん坊を自慢された。


 小学生くらいの子供にいたっては、「にーちゃん」と、馴れ馴れしく足元に絡みつかれる始末だった。


 幸い、飲み友レベルの彼らは僕が隣にいる宮越くんを指差すと、「邪魔したね」と気を使ってそそくさと帰ってくれる。


 宮越くんには、その都度知り合いなんだと言い訳していたが、あまりにもその数が多いので、さすがに不信を抱かれてしまった。


「北村さんって、友達多いんですね」と、やんわり探りを入れられたが、曖昧に誤魔化すしかない。


 悪魔と契約をしたなんて説明すれば、頭のおかしいやつだと思われるに違いない。

 一時間ほど並んだところで、僕たちはようやく会場へ入場することができた。

 何度か友達化した人に話しかけられたりはしたものの、ぬらりくらりと言い訳を重ね、無事にクラフトビールを買って席につく。


 だが、全身に突き刺さるような視線を感じて、真夏だというのに僕の背筋には冷や汗が流れる。


 みなが僕の様子を窺っている……。


 経験したことのない居心地の悪さだった。

 もし一人で入場していたらと思うとゾッとする。

 少なくとも、こういった場所には二度と来ないほうがいいだろう。


「北村さん、大丈夫ですか? ちょっと顔色が悪いですよ」


 向かい合わせに座る宮越くんが、心配そうに僕の顔を覗き込む。


「そっ、そんなことないよ」

「そうですか? じゃあ、乾杯しましょうか」


 宮越くんに気を使わせてしまうなんて情けない。切り替えて楽しまなければ。

 お互いのビールジョッキをガツンと合わせ、一気に煽る。

 暑さはもちろん、極度の緊張のせいで僕の喉はカラカラに乾いていた。


 冷たい泡が喉を伝い、火照った胃を冷やしてくれる。

 何もかも忘れて、ただ夢中で貪るように飲み下す。


 ぷはっ、と息を吐きながら口元を拭うと、宮越くんが叩きつけるようにジョッキをテーブルの上に置いた。

 唇をぺろりと舐め、白い歯を見せてニカッと笑いながら、


「いやー、やっぱビアガーデンはサイコーですね!」


 と、叫ぶように言った。


 会場は賑やかだが、彼の声はその中でも一際大きく響く。また要らぬ注目を集めてしまいそうで、僕は反射的に体を縮こませた。


「……だね」

「やっぱ、ビールは青空の下で飲むのに限りますよね」

「あ、うん。僕もそう思うよ」

「そういや、ここに来る前に面白いことがあったんですよ。あのですね……」


 ビールを飲んですっかり上機嫌になった宮越くんは、それからしばらく一方的に喋り続けた。


 僕は相槌を打つだけで精一杯だったけど、彼は気にしていないようだ。

 前原さんのときみたいに会話が盛り上がらなかったらどうしようと心配していたが、どうやら杞憂だったらしい。

 同じ職場という共通点や、宮越くんの雑談スキルのおかげで、いつの間にか僕は自然と笑顔になっていた。


 冬花ちゃんと一緒にいる時よりもぎこちなかったけれど。


 そうやって雑談している間に、手元にある空のジョッキは三杯になり、四杯目を半分ほど飲み下す頃には、僕らは完全に酔っ払いになっていた。

 どちらが買いに行ったかも覚えてない食事メニューのソーセージを箸でつつきながら、雨のように止めどなく、帰りには忘れてしまうような、どうでもいい話を延々と語らった。

 だんだん酔いのせいで舌が回らなくなり、頭も鉛のように重たくなっていく。


 ――ああ、そうだ。言わなくてはいけないことがあったんだ。


 僕はジョッキをテーブルに置くと、


「宮越くん。……昨日はありがとう」

「ん? なんのことですか?」

「君のおかげで、僕はクビを免れたようなものだから」

「あー。主任とのことですか」


 宮越くんはアルコールの混じったゲップをすると、苛立ったようにコツコツとジョッキを指で弾きはじめる。


「オレ、ほんとあの人キライです。公私混同しすぎなんですよ」


 意外な言葉だった。宮越くんは、誰に対しても分け隔てなく接する人だと思っていた。職場で誰かの陰口を叩いてるところを見たことがなかったから。


「ど、どうして僕だったんだろうね……」


 僕の呟きに、彼は赤くなった頬を撫でながら、「うーん」と唸る。


「オレたち派遣は賃金が高いですからね。元々、何人かは切ろうって計画していたみたいです」

「そう……」


 でも、それは答えになっていない。

 驕るつもりはないが、あの工場で働いている間は、それなりに成果を出してきたという自負はある。それこそ、目の前にいる宮越くんよりも。それなのに……。


「まあ、たまたまだと思いますよ。北村さんに家庭内の鬱憤をぶつけやすいんじゃないですかね」

「は」


 家庭内の鬱憤? そんなことで、僕はクビを切られようとしていたのか。

 酔いが覚めてきて、むらむらとした苛立ちが腹の底から湧いてくる。きっと僕はひどい顔をしていたんだろう。宮越くんは気の毒そうに眉を下げる。


「でも、主任の気が変わって良かったですね。次に新人さんが入ってきたら、そっちに興味がうつりますよ」


 そういう彼は僕よりも三ヶ月もあとに入社してきた新人だ。

 友達化が解けたら、僕はまた主任の捌け口にされるのだろうな。


 ジョッキを持つ手が震える。今にも、このグラスを地面に叩きつけられたら、どんなに清々するだろう。

 できることなら、主任の頭をめがけて……。

 ああ、だめだ。こんなことを考えちゃ。


「僕は嫌われ者の素質があるのかもね」

「オレはそう思わないですけど」


 それは君が友達化しているからだ。一昨日は僕のことを無下にしたじゃないか。

 そんな嫌味が喉元までせりあがってくるが、当然口に出すことなどできない。


「北村さん、前にもそんなこと言っていましたよね?」

「え? ……あ、うん」


 宮越くんの頬は紅潮していて、濡れた瞳が僕をじっと射抜く。


「人から好かれることって、そんなに大切ですか?」


 思わずジョッキを取り落としそうになり、慌ててもう片方の手でジョッキの底を支えた。


「そりゃ、そうでしょ。他人から好かれないなんて、人として価値がない証拠だし」

「だいぶ偏っていますね。たしかに主任のことは気の毒ですけど……言っちゃなんですがどうせ派遣なんだし、こっちからクソ上司だと見限って転職したら良くないですか?」


 さすがにムッとした。

 普段なら気を使って言い返しはしないが、どうやら酒のせいで気が大きくなっているようだ。


「宮越くんは人気者だから、僕の気持ちなんてわからないよ」

「人気者? まさか。若いから、都合のいいように使われてるだけですよ」

「まさか。慕ってくれる友達だって多いでしょ?」

「オレ、友達いないんですよ。プライベートで飲みたくなったのは、北村さんが初めてです」


 勢いづいていた気持ちに急ブレーキがかかる。宮越くんは、はあ、と心底うんざりしたようなため息をついた。


「友達なんて、メンドーなだけじゃないですか。人間の悩みの大半は、たいてい人間関係なんですから」

「でも主任を飲みに誘ってたじゃない?」

「ああやってたまに誘っておかないと、オレもリストラ候補になっちゃうだけです」


 宮越くんは両手でゴマをする仕草をした。


「そう、なの?」

「はい。自分でも、だいぶ腹黒いと思いますけどね」

「そんな宮越くんが僕と飲んでくれるなんて、なんか光栄だね」

「少なくともオレは、北村さんのこと嫌いじゃないですよ」


 素直に嬉しかった。

 だけど同時に、これはヨルの魔術によって発せられた造り物セリフなんだと僕は知っている。


 どこまでいっても、ここにあるのは偽りの友情なのだ。


 宮越くんは『本当の友達』……いや、『友達』候補になっただけのこと。


 あと八日間……こうして会話を重ねていけば、少しは親密にはなれるかもしれない。

 けれど心の奥底では、きっと僕らは『友達』止まりで終わるだろうという確信があった。


 どこか根本的なところで、僕と宮越くんは反発し合う磁石のように相容れないものが横たわっているような気がするのだ。


 冬花ちゃんの姿が脳裏をよぎる。

 この期に及んで、まだ彼女と接点を持ちたいと思うだなんて、おこがましい願いなんだろうか。


「だから、これからもよろしくお願いしますね」


 にっこりと微笑む宮越くんへ、僕は作り笑いをした。

 ごめん。君と飲むのは、きっとこれっきりだ。

 流れ出る嫌な汗とともにアルコールが抜けてしまったのかもしれない。

 意識はすっかりシラフに戻っていて、同時にこの場にいる自分に対して嫌悪感が襲ってくる。

 僕は一体何をしているんだろう?

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