指示された場所は都内でも指折りの高級住宅街の一角で、都会の喧噪からは離れ緑の多い街並みである。それでも田舎臭さを感じさせないのは、プロバンス風を謳った洗練されたお洒落な建物と、道行く人に比較的若い世代が多いためだろう。
まだまだ新興住宅地として開発の余地を残していそうな真新しさを感じさせる。
そのど真ん中、と言ってもいい位置にどどんと三百坪を越える土地を有しているのが、祖父の代からこの場所で代議士を勤めていると言う
かつては立派な日本家屋だったと言う母屋も離れも、今は流行りのこじゃれたデザインに建て直され面影を伺うことは出来ない。ミツキは何とはなしにこの家の主が、好きにはなれないことを直感した。
別に新しいものが悪いとは言わないが、古きを廃する理由が途轍もなくしょうもない――例えばこんな黴の生えたような家は自分に似つかわしくない、などと言うものであるような予感がしたせいだ。
内装の(金だけはかけた)趣味の悪さにもうんざりする。
「大体……」
ミツキは傍を通り過ぎた蜂須の私設警備員とやら――どう好意的に見てもその筋の人間にしか見えない――を慮って声を潜めながら高台寺を見やった。
「その怪盗が狙ってる『暁』って獲物が本当に〈魔晶石〉なら、逮捕されるべきは蜂須代議士の方じゃないんですか? 現行の法律では〈魔晶石〉の生成、並びに所持、譲渡諸々は全て禁止されているはずです!」
始めに渡された資料に寄れば、『暁』は『黄金期』に制作されたと言われる指輪だった。台座に収まる蒼い石を中心に施された細かな装飾の美しいそれは、一目見ただけで華やかな雰囲気を纏い、多くの羨望を集めて来たことを伺わせる代物である。
かつて人類が築いて来た文化史にはいくつかの山があり、それと同じだけの谷もある。時代に寄って好まれるものが変わり、必要とされるものは違うのだから当然だ。
『黄金期』もその内の一つであり、中世頃から人類滅亡の危機に瀕した〈世界大戦〉直前まで――つまりはほんの近年まで栄華を極めていた文化の山である。〈世界連邦〉によって終止符が打たれなければ、その歴史は今もまだ健在だっただろうと言われていた。
その最も大きな特徴は〈魔晶石〉呼ばれる人工の蒼い輝石にある。
〈世界大戦〉後、連邦政府の手によって徹底的に『黄金期』の文化が撲滅・抹消されたのはこの〈魔晶石〉が原因であったのだ。
どんなに立派で歴史のある博物館や美術館を訪れても、ごっそり『黄金期』の年代だけ展示品が抜け落ちているのは、最初からそこだけ存在していないかのように、もしくは毛ほども残さず隠そうとしているかのように、手掛かり一つ残さず歴史から葬られたのは、〈魔晶石〉がかつて『魔法遣い』と呼ばれたたった一人の女が作った、世界を根底から作り変えるほどの代物であるからだ。
「……お嬢ちゃん、今日からウチに配属されたって言ってたな」
正論を突きつけるミツキに苦笑じみた表情を浮かべながら、高台寺はバリバリと首の後ろを掻いた。
「この仕事をしていく上で、こう言うことは珍しくない。悪いこたぁ言わねえから、見なかったフリ、聞かなかったフリをする方が、賢いってもんだ」
「それじゃあ、高台寺さんは蜂須代議士を見逃せって言うんですか?」
「お嬢ちゃんの口を借りればそう言うことになるな。世の中ってのはいろいろあるんだよ……複雑なんだ。正しいことがそのまま正義な訳じゃない。そして俺たちは正義のヒーローじゃない」
例え腹の中でどう思っていようと、結局のところ高台寺も上からの命令があれば、それに従わざるを得ないのだ。
それにもし糾弾して事を構えるようになったら、非常に難しい事態になるだろうと言うのは、さすがにミツキだって頭では理解している。例えテロリストと繋がりがあろうが、犯罪シンジゲートと癒着していようが、ただ違反物を所持している『だけ』ならば、未必の故意の範囲と言えなくはないからだ。いちいち目くじらを立てていては限がない。
「初仕事が課長のオーバーな話に聞いてたドラマみてえな逮捕劇なんかじゃなくて、拍子抜けしちまったかもしれないけどな、あんなの年に一回あるかないかだ。現実なんてこんなもんだ。このくらいでいいのさ。怪盗相手だって充分特殊だろう? ただ、いざって時の心構えだけは忘れんなよって話だ」
「………………はい」
納得など到底していない顔ではあったものの、ミツキが頷いたことでそれでいいと判断したのか、高台寺は気を取り直すようにぱん、と手を打った。
「で、実際問題今後どう言う手筈になってるかと言えば、だ」
携帯端末を起動させ、高台寺はこの屋敷の見取り図を3Dに展開してみせた。
「見ての通り、この屋敷は表門と裏門の二つの出入口がある。それに繋がる玄関と勝手口……侵入を許すならそのどちらかしかない」
「成程。では、分散して警備に当たる訳ですね?」
「いや、俺たちが警備するのは蜂須代議士と同じ『暁』がある離れの書斎だ」
「狭い部屋に大人数で詰めるんですか? って言うか、そんな危険な場所こそあの怖そうな人たちを置くべきでしょう!?」
「書斎っつっても、普通の家の居間くらいの広さはあるからそこは問題ない。それからもしそこまで侵入を許しても、今までバレットは人殺しをしたことがないから大丈夫、との仰せだよ。正確にはそこまでに止めてフルボッコにする、と言いたいんだろうけどな」
「………………」
呆れて物も言えなかったが、それでも向こうの立場が上である以上ミツキたちは従わざるを得ない。こちらに指輪の処遇を委ねる気もないくせに、知恵と人手だけは借りたいのが本音だろう。
血の気の多そうな部下たちには向かないと踏んだのか、どちらにしろ万が一盗まれた場合の責任を取らせるために自分たちは呼ばれたのだ、と気づいて苛立ちをぎりぎりと噛み殺す。
廊下を歩き、モデルルームのように豪華で生活感のない部屋をいくつか通り抜けると、二人は渡り廊下を通って離れへと歩いた。
この平屋が蜂須代議士の書斎であり仕事部屋らしい。キッチンこそないものの風呂とトイレはあると言うから、その気になればこちらだけでも生活出来そうだ。
――家族にも隠れてコソコソ何してるか、知れたもんじゃないわね……
声には出さずに独りごちる。しかしその憤りと負けん気が胸の内に蟠っていた不安を蹴散らしてくれたのもまた事実だった。これならちゃんと身体は動きそうだ。
離れには渡り廊下のすぐ脇に外からも出入り出来る玄関があったが、これほど目と鼻の先ならば一つとカウントして問題ないだろう。
扉をノックすると、高台寺は無遠慮にノブを回した。
「失礼しますよ」
部屋の中にいたのは『悪代官』を絵に描いたような男だった。
歳は高台寺とさほど変わらないのだろうが、如何せん高級スーツに無理矢理押し込んだ身体の幅があり過ぎる。心許ない頭髪と脂ぎった顔、小さな目がオドオドと隙なく辺りを伺う様子が実は小心者な人物だと告げていた。
「世界文化財保護局日本支部、特務課の高台寺と言います。要請をいただきまして『暁』警護のお手伝いに参りました」
「同じく鴉葉です。よろしくお願いします」
「ふん……私も安く見られたもんだな。寄越されたのがオンナとジジイとは」
生理的な気持ち悪さをどうにか堪えて一応は礼を尽くした挨拶をしたと言うのに、返されたのはそんな侮蔑の言葉だった。思わずムッと眉根が寄ってしまったのを自覚する。
そうでなくとも、部屋に入った時から自分の身体へ舐め回すような視線を向けて来る蜂須代議士に、ミツキは吐き気すら覚えていた。女性を性の対象としか見ていない典型的な下種である。許可さえ貰えば今すぐ蹴り倒したい。
が、さすがに年の功と言うべきか、気の短そうな見てくれとは裏腹に、高台寺はいやいやと肩を竦めながら笑った。
「何せ、蜂須先生には滅法腕の立つ秘書の方が大勢いらっしゃるとのことで、本来なら不要のことかとは存じますが……課長も先生からのご用命とあれば、待機の間の話し相手くらいには役立って来いと仰せでした」
「ふん……貴様等素人に、政治の何が解ると言うんだ。話すことなどないわ」
「まあ、そう仰らずに……我々としても、例の怪盗はぜひこの手で捕まえたいんですよ。そこに先生のお力添えがあったとなると、それはもうその手腕が広く知れることになるんじゃありませんかね」
言われ、計算高そうに姑息な眼差しが高台寺を見やる。
果たして蜂須が文保局にどれほどの影響力を持っているのかなどミツキは知らなかったが(知りたくもなかったが)、それはなかなかに魅力的な提案だったらしく、言葉を交わすのも汚らわしいと言わんばかりだった蜂須の態度が明らかに柔らかくなった。
「まあ、そこまで言うなら仕方がないな……しかし、こう言うことは私で最後にしてもらいたいものだね。そもそも君たちの存在価値と言うものは……」
長々とした口上を展開し始めた蜂須に、恐らく内容など聞いていないだろう高台寺がもっともらしく頷きながら合いの手を入れる。馬鹿馬鹿しい茶番に付き合うつもりなど毛頭ないミツキは早々に会釈をして踵を返すと、部屋の中を探索することにした。
腕時計を確認すると、バレットの予告した時間までもう後五分しかない。
――外の様子がろくに見えないんじゃ、警戒の仕様がないじゃない……
広大な庭にはそこここに樹が植わっていて見通しが悪い。潜まれてしまえば接近に気づくのは困難だった。
あまり近辺に見張りの人間が見受けられないのは、変装が得意だと言う怪盗に一応配慮しているからなのか、そこまで人員を割けないからなのか。
窓も戸口もあらゆる侵入口には全て施錠されていることを確認する。他に隠し通路や出入口になりそうな箇所がないかを調べてみたが、特に怪しそうな場所を見つけることは出来なかった。
――これなら既に中に侵入してない限り、外から入ろうとすればその瞬間の物音には必ず気づくわね……
しかし、今までバレットは絶対不可能と言われる場へ侵入を果たして、厳重な警備の目の前で獲物を攫って来たのだ。
セキュリティーと言う意味で鉄壁からは程遠い今日の現場である。彼に取っては数だけ揃えた警備員など前菜にもなるまい。
再度時計の針を確認すると、残り二分。
ちらりと蜂須たちを見やれば、いつの間にか『暁』がテーブルの上に出され、楽しげな談笑が繰り広げられている。
高台寺の話を引き出す上手さは見習いたいものだ、と密かに思いながら、ミツキはホルスターの銃へ手を伸ばした。発砲することにはなるまいが、念のためにだ。
同じ室内とは言えどこにあるか解らないよりは、まだ目の前に置かれた方が備えやすい。
果たして彼は来るだろうか。
――どこから……?
えもしれない緊張が高まって行く。
ミツキは窓際付近に位置を定め、この離れに近づく不審な影はないかと目を凝らした。
蜂須は狙われていることなど当の昔に忘れてしまったかのように、高台寺相手に話を続けている。
この男のことは嫌いだし、局のやり方も正しいとは思えなかったけれど、バレットの所業を良しとすることも出来ない。
不安を無理矢理空元気に変える。
――来るなら来なさい!
→続く