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閃光のバレット
陽野あたる
現代ファンタジー異能バトル
2024年09月15日
公開日
22,695文字
連載中
「悪いがこいつはいただいて行くぜ」

 人類が滅亡しかけた先の戦争から二十数年――<文化改革>によって<魔法術>は禁忌の物となり、世界はどうにか平和と安寧を手に入れた……はずだった。

 が、裏社会でいまだに流通する<魔法術>を施された品を専門で狙う怪盗が現われる。その手口の鮮やかさと素早さから、いつしか『バレット(弾丸)』と渾名された彼は、法の目を掻い潜りながらいくつもの文化財を手中に収めて来た。

 文化財保護局の特務課に配属された新人鴉葉ミツキは、早速その次なる得物として予告を受けた指輪『暁』の警護に向かうが、まんまとバレットに盗み出されてしまう。
 しかし、同じくそれを狙っていた『神の見えざる左手』と呼ばれる強盗団との対立に巻き込まれるはめになり――

赫月下の魔獣

 明かりも灯さず、どろりとした闇がとぐろを巻く部屋の中、男は一人目の前に置いた小さな箱を見つめていた。

「長年探していたこれがようやく手に入ったか……未だに信じ難い話だな」

 僅かな――吐息にも似た呟きと共に、くわえたパイプから紫煙が立ち昇る。胸の奥から込み上げて来る興奮と喜びを隠し切れず、思わずニヤニヤとほくそ笑みながら彼はその小箱へ手を伸ばした。ベルベット生地が張られた高級感漂う装丁だ。

 一体何度これを自分のものにする夢を見ただろう。

 未だにどこか夢心地な気分を消せないままだったが、今掌中に感じる確かな重みは、現実の中で男がこの箱の主人となったことを知らしめていた。

「どれ、噂の美しい姿を拝見させてもらうとしよう」

 男は自分の指紋すらつけないよう細心の注意を払いながら、手袋越しにゆっくりと箱の蓋を開けた。途端窓から差し込む微かな月光を受けて、溢れ出した眩い光が夜を切り裂く。

 箱の中に収まっていたのは古い指輪だった。

 しかしそこに鎮座する大振りの蒼い石は、経て来た年月など物ともしない輝きで男をたちまち虜にする。周囲には美しさを増長するように小さな宝石が散りばめられており、どこまでも澄んだその輝きは、まるで抗い難い誘惑をしかける美女さながらの美しさだった。

 思わず感嘆の溜息がこぼれる。

「素晴らしい……本当に美しい。さすがに、皆が競い合って手に入れたがるだけのことはある代物よ」

 だが彼を始めとして多くの人間がこの指輪を欲するのは、その美しさや芸術的価値からだけではなく、持ち主に永遠の富と権力を約束すると言う曰くのためだった。

 先日、〈文化改革〉で失われたと言われていたこの指輪が、裏世界のオークションに流れていることを知って、男は労力と金を惜しまなかった。投資したよりも遥かに多くの利益が舞い戻ることを、彼はよく理解していたのだ。一人ギリギリまで譲らなかった客のせいで値は思ったよりも張ってしまったが、それも数日で報われることだろう。

「一財産投げ出したところで構うものか……高い買い物にはならんさ」

 今以上の地位と財産を――人間は向上心と欲望の塊とはよく言ったものだ、と男は自嘲にも似た笑みを浮かべた。

 ヒュウ……

 不意に生暖かい風に頬を撫でられて、男ははっと我に返ったようにテラスの方を見やった。僅かに開いたガラス戸のこちら側で、レースのカーテンが揺れている。小さな音を立てて軋む戸に思わず舌打ちをした。

「私としたことが無用心な……」

 男は呟きながらテラスの戸を閉めた。きっちりと鍵をかけ直し、揺れるカーテンを正す。

 家族にすら秘密で手に入れたこの至宝を愛でるため、彼は今夜部屋を人払いしていた。妻と娘は招かれていたパーティーから帰って来てそのまま眠ってしまったらしかったが、シークレットサービスの者にはそれを抜きにしても誰もこの部屋に近づけるな、と固く言い含めてあった。

 噂を耳にした良からぬ輩が盗みに来ることを警戒しているのは勿論だが、それ以上にこの指輪を愛でる権利を持つのは、主人である自分一人だけだ。多くの衆人の目に晒されれば晒されるほど、彼の宝石の持つ魅力と不思議な力は薄れていくと男は固く信じていた。

 と――

「…………っ!?」

 振り向いた男はぎょっと息を飲んだ。

 人の影――たった一瞬前までそこには存在していなかったはずのものが、部屋の片隅を占領している。

「だ、誰だ、貴様!? 一体どうやってこの部屋に……」

「こんばんは、ミスター・エボルフ。お初にお目にかかります」

 白い影から、狼狽する男を嘲弄するような慇懃無礼な挨拶が返された。

 声は甘く、口調は柔らかい。調子から判断するに歳は二十歳をいくつか過ぎたと言ったところか。けれどそこに含まれた、極寒の地に吹く風のような鋭い冷たさに、知らずエボルフの背を嫌な汗が伝った。

 得体の知れない青年は、なおもマイペースに言葉を紡ぐ。

「突然ですが、ミスター。その指輪を僕に渡してはいただけませんか? 本来の持ち主でない貴方に持たれていては、それも可哀想だ」

「な、何をふざけたことを……! これは私が正当な手段で手に入れた指輪だぞ」

「闇オークションが正当な手段ですか……まあ、いいでしょう。ですが、僕が言いたいのはそんなことではありません。貴方はその指輪の主人に相応しくない。この意味がお解りですか?」

「貴様のような強盗なら相応しいとでも言うつもりか!? 下らないことを口にするのもいい加減にしておけよ」

「いえ……そんな大それたことを考えるほど、僕は烏滸がましい人間ではありませんよ。けれどそれを所有する権利を持つ人物が、是非に、と仰っているんです」

 それを聞いて、昨日の客のことをエボルフは思い出した。僅かな差で彼に指輪を持って行かれたその男は、凄まじい目つきで自分のことを見つめていたように記憶している。となると、この青年はそいつに雇われた傭兵か何かと言ったところだろうか。

「お願いします、ミスター。僕もそれほど気が長い方ではないんです。何度も同じことを言わせないでいただきたい。指輪を僕に渡してください」

「勝手に他人の部屋に押し入った挙句に、よくもそんな間の抜けたことを……すぐに摘まみ出してやる!」

 エボルフは執務机に駆け寄ると、その下の隠しボタンを叩いた。これですぐに雇われたシークレットサービスたちがやって来て、この不届き者を放り出してくれるだろう。 いくら腕が立とうが、多勢に無勢では成す術などあるまい。

 しかし彼は慌てた様子もなく、寧ろわざとらしく肩を竦めて溜息をついたらしかった。

「やれやれ……せっかく僕が、平穏無事に物事をすませてあげようと努力しているのに。貴方のような人間には、無用な心遣いだったみたいですね」

 青年が背もたれていた壁から身体を起こした気配――分厚い絨毯で足音は殺されているものの、闇に慣れた目には彼がこちらへと近づいて来るのが解る。

 それはさながら、獲物に狙いを定めた肉食獣のような歩み。

「ですが、あまり調子に乗っていると……」

 一歩ずつゆっくりと、青年の姿が月光の下に露になる。その全てが明らかにされた時、エボルフは不覚にも悲鳴を上げてしまった。

「ひぃ……っ!?」

「あんたを殺すよ?」

 声音と同様甘く優しげに整った容貌の中央で、紫水晶のような双眸が不穏な光を湛えて彼を見つめていた。すらりとした長身を包む真白のコートには、既に派手な返り血がいくつも紅い花を添えている。

 けれどそれよりも。

 そんなことよりも。

 夜の闇を拒絶するかのような青年の銀髪から覗いていたのは、そこにはないはずの、あってはならないはずのものだった。

 獣の耳――白銀色の剛毛に覆われたそれが、一種ユーモラスにコミカルに、けれど絶対的悪夢の象徴として彼の頭部から生えている。見ると袖口から覗く両手も、鋭い爪と雪のような毛並みを持った異形のものだった。コートの裾が僅かに持ち上がっているのも、尾があるせいか。

「ば、化け物……っ! 誰か、誰でもいい! 早くこいつを……」

「呼んでも誰も来てはくれませんよ」

 恐慌状態に陥ったエボルフを面白がるように眺めてから、青年は人外の色を刻んだ双眸を細めて声を立てずに笑った。

「この屋敷の中で、今生きているのは僕と貴方の二人だけです。助けたくても、彼らは動けやしない」

 どさり、と何か重いものが落ちる音。青年が放り投げたものを見やって、エボルフは再び悲鳴を上げた。

「ロック……っ!」

 足元に転がって来たそれは、ずたずたに切り刻まれて変わり果てたシークレットサービス主任の頭だった。血の軌跡を描いた首は虚ろな目で恨めしげに雇い主を見上げている。

 青年はあくまでも柔らかで丁寧な口調は変えぬまま、そのくせ己の獣を見せつけるように男に近づいた。

「さあ、こうなりたくなかったら指輪を渡してください、ミスター。例え全財産を失おうと、これからの利益を失おうと、ご自分の命を失うよりは随分とマシでしょう?」

「うぅ……」

「それとも、まだ力尽くで貴方自身に教えて差し上げねばなりませんか?」

 いくつも修羅場を潜って来た普段の彼であったならば、こんな脅しには決して屈しなかっただろう。しかし今感じている恐怖は、これまで瀕した死の恐怖とは次元やレベルが本能的な部分で根本から違っていた。

青年の瞳に見据えられると、魂でも抜かれてしまったような心地になる。

 目の前に突きつけられた見えない刃に、何よりも異形の青年の放つ雰囲気に圧倒された彼に、選択の余地など残されていない。

「解った……指輪は渡そう。だから君も大人しく帰ってくれたまえ……頼む」

「ご理解いただけて至極恐縮です」

 芝居がかった仕草で胸に手を当てると、青年は小さく頭を下げた。

 最もらしくこちらが進んでそう選択したように振る舞う彼に歯噛みしながら、エボルフは箱の蓋を閉め、震える手で己の夢と欲望の全てを差し出した。青年はちらりと箱の中身を確認し、満足そうに頷いてから笑みを浮かべる。

「ありがとうございます、ミスター。それでは僕はこれで。夜分遅くにお邪魔しました」

 悠々とした不敵な足取りで、青年は男の傍らを通り過ぎた。テラスへ向かうその白い背に、エボルフは懐に隠し持っていた銃の先を突きつける。

――馬鹿め! 本当に渡すとでも思っていたのか。終わりだ、若造……!

 しかし、その引き金を引くよりも早く、唐突に青年がこちらを振り向いた。

「ああ、そうだ。忘れるところでした。これは僕からのお礼です」

 その言葉と同時に繰り出された右手が、エボルフの頭をがしりと掴む。鉤爪が皮膚を浅く食い破り、込められた力に己の頭蓋が軋む音を聞いて恐怖の表情を浮かべる男へ、青年は一際甘い笑みを浮かべてみせた。

「……どうか、よい夢を」

 けれどその言葉は彼には届かなかっただろう。

 獣の手は蒼く光を放つと、一体どう言う奇術を使ったものか刹那で凍りついたエボルフの頭部を躊躇なく握り砕いた。粉々に散ってきらきらと月光に舞う命の残照を眺める青年の目の前で、答える言葉を失った男の身体は力尽きたようにその場に倒れ伏す。

「む……何だ、この様は!?」

 不意に部屋の扉が開いて、壮年の男が姿を現した。

 がっしりした体躯を皺一つない高級そうなスーツで包み、鋭い眼光で今出来上がったばかりの惨状を見やる。口元に蓄えられた髭が、一層その厳めしさを強調していた。

 彼は部屋に漂う死臭と濃い血臭に顔を顰めながらも、ずかずかと遠慮のない足取りで青年に近づいた。

「……殺したのか」

「ええ。そうしろ、とのご依頼だったと思いますが」

「シークレットサービスまで皆殺しにしろ、とは言っていない」

「後顧の憂いは残したくないもので。こう見えて、僕は臆病なんですよこれでも」

 男は青年の正体を知っているのかいないのか、月明かりに照らし出された異形の姿を見ても不機嫌そうに眉を顰めただけで何を言う訳でもなかった。その代わり苛立った様子でせかせかと彼に問う。

「まあいい……それで、例の品はどうなった? やはりこいつが持っていたのだろう?」

「こちらです。約束通り、無事に取り返しましたよ」

 先程奪った小箱を差し出すと、男は黙ったままそれを受け取った。中身を確認し、笑みを浮かべる。

「ようやくワシの手に戻って来たか……ふ、やはりこの指輪は持つべき者が持ってこそ価値があると言うものよ。それをこの男、金で強引に買うような下賎な真似をしおって……薄汚い豚が」

 男は心底不愉快そうに呟いて、首なしのエボルフの死体に唾を吐き捨てた。

 そんな態度を侮蔑するように僅かに双眸を細めた青年は、けれどちらりと滲ませた感情を男に欠片も窺わせることなく、

「閣下、それでは次の街に?」

「ああ、向かうとしよう。あれを手にするためにもう一つの指輪は必要不可欠だからな。全く……ワシの先祖も面倒なことをしてくれたものよ」

「……御意」

 大股で部屋を後にする男に続き、青年もコートの裾を翻して血雨に染まったその場から踵を返した。

 惨劇後の静まり返った屋敷から外に出ると、今宵の空には細く禍々しい紅い月だけが切り裂かれた天幕の傷口のようにぽっかりと浮かんでいる。雲さえない夜の帳を、血腥い臭いの風が揺らした。

「……楽しい狩りになりそうだ」

「ん? 何か言ったか?」

「いえ、何も。急ぎましょう、閣下」

「う、うむ……」

 不穏な空気に広大な庭の木々がざわめく。いつの間にやら頭上の月すらその姿を何処かに隠して、夜は無言で更けて行った。



→続く

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