やはり、帰されてしまいました。
当たり前です、アポすら取っていないのですから。
「旦那様、いかがいたしますか?」
「待つしかないな。九時まで営業しているとなると………。ふむ、今は午後の七時。二時間ここで待っていると変に目立つ。カフェの中に入るも、九時前に退社されてしまえばすぐに動くことができん。むむ……」
険しい声を上げ、旦那様が空を仰いでしまいました。
私も、旦那様に頼ってばかりではなく、動かなければ!!
周りに、何かちょうど良い、時間が潰せそうなスポットは無いでしょうか。
・・・・・・・・・・・・・。
周りの人が旦那様の容姿や、妖しい雰囲気に注目されておりますね。
え、ま、待ってくださいよ。
見惚れてしまう人などはいませんよね、大丈夫ですよね。
私以外の女性が旦那様に見惚れるのは駄目です、許しません。
「よしっ、わかった。空の散歩でもして時間を潰そうか」
「わかりまっ――空の散歩?」
ん? どういう事でしょうか。展望台などに行くという事でしょうか。
ですが、空の散歩が出来るほどではないかと……。
「こっちに来い」
「は、はい」
旦那様に手を引かれてしまいついて行くと、何故か辿り着いたのはビルの裏側。路地裏と呼ばれる所です。
な、なぜ、空の散歩をすると言って、路地裏に向かったのでしょうか。
――――あっ、人がここにはいません。
高いビルにより陽光が遮られ、薄暗いです。
少々、肌寒くもあります。
旦那様、何を考えておられるのですか?
「ここなら人はいないか。少しは楽しまないと、ここまで来た意味がないからな。上から都会を見て、楽しむぞ」
「ど、どうやってですか?」
「こうやってだ」
旦那様は、隠していた狐の耳と九本の尾を出すと、私の腰に手を回してきました。
抱き抱えられた際、落ちないように首に手を回せと言われたため、そっと回します。
「落ちないように気を付けるのだぞ」
「あの、もしかしてですが、旦那様。空、飛べるのですか?」
問いかけると、黒い布の隙間から覗き見える口元がにやっと上がります。
その顔だけで私は、この後何が起きるのか予想が出来ました……はい、出来てしまいました。
「あ、あの、旦那様、す、少しだけお待ちくだっ―――」
「悪いが、断るぞ」
断られた!? え、体に浮遊感。旦那様が上にピョンと跳びました!!
あ、ああああ、赤色に染まっている空が近くなっていきます!!!
「ひっ…………って、あれ。体に衝撃などはないのですね。浮遊感だけ……?」
「なるべく衝撃を抑えたからな。人の目にも映らないようにしているから、周りも気にせんでよい」
な、なんでも出来るのですね、旦那様。かっこいいです!!
「それより、どうだ? 今までこんなに近場で夕暮れを見た事はないだろう?」
旦那様の声で、何とか気持ちが落ち着いてきました。
周りを見ると、広がるのは鮮やかな赤。
今日という日が終わると、沈む太陽が知らせてくださる景色。
「わぁ、凄い……」
目が奪われるような澄んだ空気、光景に目をそらす事が出来ない。
鳥が自由に赤い世界を飛び回り、光の線が四方に伸びております。
手を伸ばせば、この綺麗な景色を掴めるんじゃないかと。
思わず、伸ばしてしまいました。
「綺麗だろ、我のお気に入りだ」
伸ばした手を、旦那様の大きな手が包み込みます。
旦那様を見上げると、儚い旦那様の横顔。
儚いけれど、芯のある空気を纏っている旦那様。
今、手を離してしまうと、旦那様が私の前から消えてしまいそうな。そんな雰囲気を感じます。
「ん? どうした?」
「いえ、今にも旦那様が消えてしまうんじゃないかと。少々、思ってしまっただけです」
「我が今消えたら、華鈴はこの高さから落ちるのだが、大丈夫か?」
…………下をちらっと見てみます。
高層ビルまでもが小さく見えるほど高く飛んでおります。人なんて米粒より小さい……。
「────無理です」
「だろ? だから安心しろ。我は華鈴の前から消えん、離れる事も考えておらん。な?」
旦那様が私の顔を見て、優しくそう言ってくれました。
そのまま絡めた手を旦那様は、自身の口元に持っていき、私の手の甲に軽くキスを落とします。
「だ、旦那様?!」
「くくっ、たまには良いだろう。このような甘いのも」
ケラケラと、私の顔を見て笑う旦那様。
楽しそうなのはいいのですが、私は顔が赤くなってしまいます。
むぅ、今日の旦那様は、手が早いです!
いつもはこのようなことはしないのに……。
────あぁ、そうか。
私がさっきから不安そうにしていたから、それに気づきこのような事をしてくださったのでしょうか。
それが当たっているのなら、私は本当に旦那様へご迷惑をかけてばかりなのです。
何かしたいと思っても、結局は助けられてしまいます。
「っ、どうしたんだ? どこか痛いか?」
旦那様の顔が、涙で歪んで見えない。
嬉しすぎて、温かくて。涙が止まらない。
「私は、っ、私は本当に、幸せです」
「それなら、良かった」
私の額に、旦那様は軽くキスを落とす。
ふふっ、こういう所での”初めて”はお気になさらないのですね。
────いえ、"初めて"は、ここがいいです。
「旦那様」
「むっ」
旦那様の服をそっと掴み、顔を近づかせてみます。
すると、旦那様は私がしたい事をすぐに察してくださいました。
頬を染め、少々考えていましたが、すぐに覚悟を決めてくださったみたいです。
私の顎に手を添え、顔を近づかせてくれました。
夕暮れを背負い、私達は初めてのキスをする。あと、数センチで――………
――――――――ブワッ!!!
「っ!!」
「っ、しまっ――――」
あともう少しの所で、私達の邪魔をするように突風が吹き荒れ、旦那様の顔を隠していた黒い布を飛ばしてしまわれました。憎みます、呪います。
「旦那様、だいじょっ──……」
────あ。
何とか旦那様は片手で顔を隠そうとしますが、私はしっかりと見てしまいました。
旦那様の顔半分、目元に、大きな火傷の跡があるのを―――…………