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第9-2話 別れ(2)-エピローグ

 帰り道。

 氷芽の葬儀に抵抗するように僕は、あえて普段どおりにスーパーに寄った。


 いつもの惣菜を手にとりかけて思い直し、店内をぐるりと一周する。

 ジャガイモ、玉ねぎ、ニンジン、肉。鶏の手羽先。カレールゥ。

 昆布と 『魔法の粉』 の場所が分からず、店員に聞く。


 重たく膨らんでしまったスーパーの袋をげて店の外に出ると、暗くなったビルの間を熱気を含んだ風が通り抜けた。


 この時間は田舎なら、もう風が涼しくなっているのにな。


 そんなことをふと思った。

 今日は、やたらと故郷のことを思い出す日だ。

 たまたま、そんな日なだけで、理由などあるはずもない ―― 僕はあえて、そう考えようとする。


 帰宅するとまず、買ってきた肉にスパイスと酒をふっておいた。

 昆布をぬるま湯につけ、ダシを取る間に風呂に入る。

 普段はシャワーだけで倒れるようにして眠るから、風呂は入れるだけで有難い。

 顔まで風呂に浸かり、ぶくぶくと泡を吹いて、溺れそうになってから顔をあげる。

 なんだかなにもかもがどうでも良くなってくるまで繰り返して、ふやけた身体を浴槽から引きずりあげたあと、僕は、料理にとりかかった。


 手羽先を昆布の入った水で煮込む。沸騰しかけたら昆布を取り出し、火を弱火にしてさらに煮る。


 その間に、野菜を切って炒めていく。


 昔、氷芽ひめと一緒に作った時には、彼女のあまりの手際の良さに 『母ちゃんかっ』 とツッコミを入れたくなりつつ、ひたすら感心していた ―― けど、真似てやってみると、意外とできるものだ。


 野菜と肉を煮込み、火をとめてルゥを割り入れる。

 とろ火の熱に耐えながら鍋をかきまぜていると、里絵りえが疲れた顔で帰ってきた。


「おっいい匂い! 作ったん?」


「そうやー。スペシャル偉い天才様と呼んでくれ」


「はい偉い偉い。でも、皆とちょこっと飲んできた」


「そっか。やったらやめとく?」


「いや、もらう! 〆がまだやもん」


 鍋に魔法のスパイスをたっぷり振って、皿によそう。


 葬儀がどうだった、とは僕は訊かないし、里絵りえも何も言わない。


「美味しい~! ヒメちゃんのと一緒の味や」


「直伝やからな!」


「あー今、翔樹とぶきがあんたのこと 『ムッツリ』 言いよった理由がわかったわ」


「あいつ、んなこと言うとったんか」


「盆に 『な・つ・祭・り27歳トゥエンティーセブン』 貸すってよ」


「あいつ~! ひとのヨメに向かって、なんてことを!」


 僕にも里絵りえにもそれぞれに、氷芽ひめへの気持ちや想い出はある。

 けれども、話題の中心になどしてしまったら、かえって氷芽ひめは、どこかに消えてしまう ―― そんな気がする。

 いつも、みんなが楽しそうにしているのを、隅っこから見るのが好きな子だったから。

 注目されると困ってしまって、身の置き所がなさそうにする子だったから。

 だから僕らは、他愛ない話ばかりして笑い合う。


 その日の僕らの食卓は、いつも以上に賑やかで明るいものになったのだった ――



 それから、3年後の今日。

 一般には少し遅めの、でも僕にとっては最大限早めの、午後8時半。


 熱気の残るアパートの廊下には、ふくよかでスパイシーなカレーの匂いが漂う。


 毎年、氷芽ひめがこの世界からいなくなった日に、僕らはなんとなくカレーを作るのだ。


 玄関の鍵を探していると、ドアが内側から開いて里絵りえが顔を出した。


「お帰り」


「ただいま。つわりとか大丈夫か」


「今、何ヵ月やと思ってんねん。アホなお父さんですねぇ」


 里絵りえが大きくなったお腹をさすって話しかける。なんだか不思議な光景だ。



「今日ね、検診でたぶん女の子でしょうって」


 カレーを食べながら、里絵りえが嬉しそうに笑った。


「良かったやん」


 耳にタコができるほど、女の子がいい、と聞かされ続けていたのだ。


「ヒメちゃんみたいにキレイで優しい子になってほしいなぁ」


「ふーん……やったら、僕似やな」


「なんでそうなんねんっ!」


 パシッとすかさず僕の頭をはたく里絵りえは、やっぱり嬉しそうだ。


「ね、かえではどんな子になってほしい」


「うーん……そうやなぁ……うーん……」


 僕はひとしきり悩んで、里絵りえの顔が少し不機嫌になってきたころに、やっと、答えを出したのだった。


「自分の好きな服とか、やりたいこととか、そういうのがちゃんと分かって動ける子、かなぁ」


「なんやそれ普通やな!」


「そうや普通や! 僕似や!」


「アホー!」


 里絵りえがまた、僕の頭をはたいて笑った。




 ―― 夏、カレーの匂いの中で、僕はいつも小さく後悔する。

嫌われることを恐がらないで、君にきちんと伝えておけば良かったと。


 君が本当は優しくなくて、心の中に醜いものをいっぱい持っていたとしても。


 それでもやっぱり君は世界一、優しくてキレイで僕の大好きな女の子なんだ、と ――


(了)

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