「ヒメちゃんがモチーフや」
言ってしまうと、描きたいものがとたんに、はっきりと形を取り始める。
―― やはり、2種類の構図で描こう。
まっすぐ前を見つめた胸像と、窓の外を眺める少女の後ろ姿と。
胸像は、その眼差しが観る者の内面を
そして、後ろ姿の少女がいる部屋には、暗く淀む闇をひそませよう。
けれど、窓は開きかけ、その外は眩しい日差しで溢れた夏の空だ。
タイトルは 『祈り』 ―― どんな暗闇のなかにいる者も、ただ耐え、潰されるだけではない。
意志を持つことができる。たたかうこともできる。そして、そのたたかいの先には、必ず、光にあふれた未来が待っていますように。
これは、僕の祈りだ。
僕はいま、氷芽になにをしてあげればいいか、わからない。
どう振る舞えばいいかさえも。
だからこそ、せめて。
そういう絵にしよう ――
こんな考えに夢中になっていたために、僕は、下を向いた
氷芽は、うつむいたまま、まだ半分ほどしか減っていないカレーをスプーンの先でつついた。
「わたしがモチーフなんて、やめた方がいいんじゃない?」
「なんでやねん」
「だって恥ずかしい。言ったでしょ、わたし、汚いんだよ」
「アホか。なに、言うてんねん」
ひやりとした何かが、僕の腹の底で
なにが 『祈り』 だ、と僕は先ほどまでの自分に毒づく。
そんなもの、伝わらない。
氷芽の魂はいつも、僕の手の届かない深淵にいるようだ。
「本当は悪い子だから、家族からも友達からも嫌われてるし」
―― でも、どれだけ無駄に思えても、伝え続けないと。
一生懸命、手を伸ばさないと。
氷芽は、ほんとうに、遠くに行ってしまうだろう。
そんな気がする。
こみあげてくる虚しさをおさえて、僕は強めのことばを選ぶ。
「
「そういうフリをしてるから」
「そんなん、フリできるだけ立派なもんやろ!」
足りないなあ。
どんなに言っても、届かない。
―― もし、僕が氷芽といま、付き合っていたら。
問答無用で抱きしめて、納得するまで 『きれいや。世界一いい子や。間違いない』 と言ってあげられるのに。
でも僕にはそんな勇気は、これまでずっとなくて、今もまだ、ない。
氷芽が人に嫌われるのを怖がるのと同じように、僕だって、氷芽から汚いと思われるのは怖いのだ。
ずるくて臆病者なのは、僕も一緒で。
そのために、ほんとうの気持ちを隠してしまうのだって…… そうか。
―― 僕も、一緒だ。
やっと、言うべきことが見つかった。
「僕なんてな、嫌いなやつは地獄に3万回堕ちろ、って思ってんねんで!」
「ウソ。
「うん、まずはヒメちゃんの兄ちゃんな。地獄に1万回堕ちろや」
氷芽の家族の悪口なんて言ったら、嫌われるかもしれない。
だけど、それでもかまわないと思ったし、そうならない確信も、あった。
僕が怒ることは、
悪気なく傷つけ、支配しようとしてくるやつらに、遠慮する必要なんかない。
そんなやつらのせいで、犯してもいない罪に傷つきながら生きていく必要もない。
誰にだって、前を向いて生きる権利があるんだ。
「あと、ヒメちゃんのお母さんもな。もっとヒメちゃんのこと分かったれやタコ、って僕は思うから、悪いけど地獄に1万回や!」
「…………」
怒られなかったことで、僕は調子に乗った。
「あとなー、中1んときのチカン男や! あいつはもう絶対許せん! 地獄に百万回やー!」
「足したら、102万回になるね」
「あれっほんまや! 3万回より大幅オーバーしてもたな」
珍しい氷芽のツッコミに、僕のテンションは、ますます上がる。
「まだまだ足りんでえ!?」
「そう?」
「そうや! これからはな、ヒメちゃんをいじめるやつは全員、地獄に10万回ずつ堕ちるんやー!」
「…………!」
「ふっ……ふふふふふっ……
「なんやねんな、ひとが真剣に言ってんのに」
ぼやくと、ますます笑いが大きくなる。
「ヒメちゃんのツボの所在がわからへんわ」
ヒメちゃんもおもろいな、と僕も笑った。
それから。
僕たちは、なにがおかしかったのかさえ忘れるほど、思い切り笑いまくったのだった。