氷芽の質問に、僕は答えられなかった。
――
そんなことで、氷芽を汚いと思うわけがない。
氷芽に騙されていたなどと、思うわけがない。
氷芽を嫌いになったり、するわけがない。
―― だけど、僕にそんなことを聞いてきた氷芽が、これまでどれだけ、自分のことを 『汚い』 と責めてきたのか……
それを考えたら 『そんなこと、なんでもないやん!』 とは、言えなかった。
僕は口をつぐみ、フライパンの野菜をやたらめったらに、かき混ぜる。
「ごめんな」
好きやったのに、友だちやと思ってたのに。
氷芽がひとりで傷ついていたとき、僕はなんにも知らなかったし、なんにもできなかった。
そして今も、どうすればいいのか、全然わからない。
「なんて言えばいいのか、わからんねんけど……」
「だよね。変なこと言って、ごめんね。気にしないで」
どんなに丁寧に切っても、ちょっと不器用さの残る星形だ。
―― そうだ。
星形の野菜も、ふくよかな
あの中学1年生の夏、
あれは、彼女と僕たちをつなぐ糸だったんだ。
―― 同じ場所に居てもいつも、鏡の中のように僕たちが入れない世界で、息を潜めていた女の子。
彼女は、何も知らない僕たちをこわがりながら、それでも、彼女なりの方法で話し掛けてくれていたのだ。
―― 目では見えないその糸を、耳では聞こえないその声を。
僕は、何よりもキレイだと感じていたんだった。
だったら、僕も、きちんと伝えようとしなければならない。
おそれずに、僕なりの言い方で、一生懸命に。
「ヒメちゃんはな、何があってもキレイで良い子やったで! 今もや」
「いい子なら、考えるはずもないことを、いつも考えてるの」
フライパンに角切り肉が追加され、音と匂いが賑やかに撒き散らされる。
その中で
「兄がね、苦しんで苦しんで死ねばいいと、いつも思ってるの。なのに、普通の顔をして、しゃべって、笑いあえるの」
鍋から手羽先が取り出され、トマトジュースと砂糖が追加される。
「自分でも、そんな自分が気持ち悪い。大嫌い…… って、ごめんね。変な話、しちゃった」
氷芽は泣きそうな声を振り払うように、笑う。
「気にせんとってね。なんでもないから」
「…… それ、お母さんには言わへんかったんか?」
「初めて兄に触られた時に言ったら、逆上して兄に包丁突き刺そうとしたから、それから言えない」
「うわ…… やばいな、お母さん」
「大事なお人形に傷をつけようとするやつは、息子でも許さないんだよね。かえって、こわい」
「わかるわー……」
氷芽にひどいことをする兄さんは最悪だが、だからって、自分の子をあっさり消去しようとするは母親は、もはやホラーだ。
「よく警察沙汰にならんかったな」
「包丁刺さる前に、嘘だよ冗談だよ、って止めたから」
「そうか…… なんていうか、軽い言い方で悪いけど、大変やったな」
「うん、ほんと、大変やった…… でも、こんな話、聞いてくれてありがとう」
「いや、とんでもないで。僕でよかったら、いつでも聞くで」
もう誰でもいいから。
こんなときに相応しい返事を、教えてほしい。
通りいっぺんのことしか言えない自分に腹を立てながら、僕は、煮立った鍋にフライパンの中身を投入した。
「弱火でもう少し煮込むから」
この話はもう終わり。
そう言うかわりに、
その沼の底のような瞳にガスの炎が揺らめき、僕は不意にキャンプファイヤーを思い出したのだった。
具材がしっかりと煮え、あくをすくって美味しそうに仕上がったスープに、ルゥを入れてよく混ぜ、またしばらく煮込む。
キッチンはもう、カレーの匂いでいっぱいだ。
そこに、さらに氷芽は市販のスパイスをたっぷりとかける。
豊かな香りが、湯気にのってふわりと広がった。
「これで仕上げ」
「魔法の粉か」
「そう、よく覚えてるね」
「当たり前や」
どれだけ時間が経っても、彼女と話したことは、全て、物語の1頁として僕の中に大事にしまわれているのだ。
―― けれど、その底にずっと横たわっていた静かな狂気のことを、僕はどの頁に書き込めば良いんだろう。
出来上がったカレーを、僕たちは向かいあって食べた。
「美味しいね」
「林間学校のと同じ味やな」
正直なところ、味なんて、ほとんど分からなかった。
気まずさをまぎらわそうと、この夏公開のアニメ映画の話や学校の話をする。
ふと、それが昨日の帰り道にしたのとほぼ同じ内容であることに気付いて、どちらからともなく、口をつぐむ。
そんなことが繰り返されたあと、氷芽が思い付いたように尋ねてきた。
「ね、今描いてる絵って、次の学祭に出すの?」
「そうや。傑作やでぇ!……ちゃんと描けたらな」
「どんなの描いてるの?」
「ヒメちゃん」
口をついて出た名前に、僕自身がビックリする。
「
「えー……」