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第6-1話 中学3年生(1)

 中学3年の夏になった。

 受験勉強、真っ只中まっただなか ―― 僕と氷芽ひめは、よく図書館で会うようになっていた。


 志望校は、僕はプログラミング科のある工業高校、氷芽ひめは私立で大学までエスカレーター式のお嬢様学校だった。

 2人ともそれぞれに合格圏内であるということ以外、何の共通点もない。


 僕たちは図書館で、向かいあって黙々と勉強していた。

 氷芽がきちんとした文字で参考書を解いている前で、僕は図書館から借りた解説本を見ながら、せっせとイラストを描く。

 受験はなんとかなる。しかし、僕がおぼろげに考え始めた将来のために致命的なのは、画力の無さのほうだった。


 そのころ僕が注目していたのは、当時はまだ目新しかったCG技術。

 ―― 中1のとき、氷芽と一緒に見たアニメ映画のスタッフロールに、彼らの名前はあった。

 CGを駆使し、アニメによりリアルな表現をもたらす人々 ―― その小さな名前のひとつが、僕であれば。

 大きなものを作り上げる一員に、もし、なれたら…… いや、なってみたい。

 そのために、工業高校でプログラミングを学び、卒業したら専門学校でCGを学ぶ ―― 

 夢を父に相談すると 『だったら絵が描けたほうがいいだろう』 と言われた。


「技術があっても、絵のセンスがなければ、どうにもならんのじゃないか?」


 ごもっともだ。

 同時に、拍子抜けでもあった。

 もっと反対されると思ってたのに……


「お前に絵を学ばせてやる余裕はないから、独学でガンバレよ」


 のんびりと励ます父に、険しい顔を向けたのは、母だった。


「そんな、夢みたいなこと! ちゃんと大学に行かせて、学歴をつけてやらないと就職できるかもわからないでしょ!?」


「母ちゃん、今やアニメ・ゲーム分野は就職率100%やねんで!」


「そうだぞ。だいたい就職なんて、本人が頑張らないと仕方ない問題じゃないか」


 父は僕に、味方してくれるようだった。


「大学くらい、大人になってからでも行こうと思えば行ける。若いうちは挑戦したいものに挑戦するといい」


 その後も父と母だけで何度も話し合いが行われたらしい。

 結局、僕は、工業高校卒業後、大卒資格もとれる専門学校を目指す予定になったのだった。

 そうなると、高校受験自体は心配ない。近所の工業高校のレベルは、まあ中の下といったところだからだ。ほどほどに勉強しておけば、なんとかなる。

 ―― だが、画力のほうは大問題だったのだ。 


 図書館で僕は、解説書と首っ引きでイラストを描き続ける。

 30分かかっても、気に入る線ひとつ引けない……

 がしがしと消しゴムを使っていると、氷芽がふと、参考書から顔を上げた。


「楓くん、すごい余裕だね」


「いやいや…… そんなことなくてやな、実は人生に切羽詰まっておる」


 ―― せめて、美術部にでも入っておけば良かった。でも中3生は夏でクラブ引退で、もう遅い。


 僕は、氷芽に事情を説明した。

 氷芽は参考書を閉じて脇に置き、僕の顔をしっかり見ながら、話を聞いてくれた。


「そういうことなら、夏休み明けに美術の先生に相談してみれば?」


「そやな」


「一緒に行ってあげようか?」


 彼女の口からはいつも、すんなりと親切な台詞が出る。

 僕はそのたびに小さく感動してるんだけど、今回はことさら、胸にしみた。


 ―― いったん決めた、将来の夢。だけど、迷いもあったし、不安もあった。

 自分の絶望的な画力を実感するたび 『遅すぎたんじゃないか』 という後悔と 『頑張るしかない』 と追いたてられるような気持ちが混ざって、押し潰されそうになっていたんだ。

 だからこそ、氷芽の何気ないひとことが、僕には力強く響いた。


「ありがとな。けど1人で相談するわ」


「そうだよね」


 彼女は、少し安心した顔をする。

 一緒に行ってあげようか? ―― いやいいよ、ありがとう。

 こうあるべき定型の問いに定型の答えでできた、氷芽の世界。

 それは、どこまでも透き通ったガラスの箱みたいだ。


 だけど、そのなかに隠れている、優しい心を僕は、知っているから。

 ―― ガラスの箱に、少しだけ、ヒビを入れてもいいだろうか。

 ほんの少しだけ、僕の気持ちを伝えても、いいだろうか。


「けどさ、その時は、途中まで一緒についてきてくれへん?」


「途中まで? うん、いいよ」


 びっくりした顔をされるのも、それでも了解してくれるのも、予想どおり。

 予想があたるくらいには、僕たちは仲良くなっていたのだ。


「よっしゃ、約束な! ありがとう!」


 僕は小指を出して、指切りを促す。

 調子に乗りすぎかもしれないが、氷芽がこれに乗ってくれるだろうことも、僕はもう知っている。

 氷芽がおずおずと絡ませてくれる華奢な指を、わざとらしく振りながら ――

 僕はふと 『こういうのも今年で終わりだろうな』 と考えた。

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