目次
ブックマーク
応援する
いいね!
コメント
シェア
通報
第5-2話 母親2

  僕たちの住む町の駅に停まる電車は本数が少ないぶん、いつも大体混んでいて、夏は、汗の匂いや人いきれで少し息苦しい。


 そんななかで僕は、氷芽ひめを扉際に立たせてガードした。

 もう、電車で遊びに行くときの習慣になっていることだが、氷芽はまだ、慣れてくれていない。

 いつも、緊張しているのが伝わってくる。


 居たたまれなさを誤魔化すような、クラスの噂や食べ物の話。

 定番の話題が尽きたころ、氷芽ひめはポツポツと母親との喧嘩けんかの原因を語り出した。


「よく一緒に遊びに行ってるお友達って男の子なのね、って聞かれて……」


「ふうん」


 なるべく、なんでもなく見えるように、僕はうなずいた。


「男の子と一緒に遊びに行くのはやめなさい、って言われた。絶対、後でイヤな目にあって泣きを見るから、って」


「そうなんや…… お母さん、心配してはるんやなあ」


 言われてるのは僕のことに間違いないけど、怒る気にはなれなかった。

 僕だって氷芽ひめがほかの男子としょっちゅう遊びに行ってたりしたら、同じことを言いたくなるに違いないんだから。


かえでくんはそんなんじゃないのにね!」


 氷芽のほうは、珍しく怒ってる。


「そう言ったら、男の子なんて皆、下心があるものよバカね、って」


「なるほどなぁ」


かえでくんが私なんかにそんなの、あるわけないのにね!」


「まあ、なぁ……」


 ―― いや、ほんまは、隠してるだけなんやけどな。

 とか、言えるわけがない。

 少しずつ、仲良くなって勝ち得た信頼が、これほど痛いものだとは…… 一体、何の罰ゲームなんだろう?


 だって、僕は。

 本当は、言おうと思っていたんだ。

 もし今日、彼女が楽しそうだったら。今日こそは。


 僕が電車でガードするのを、当たり前だと思ってほしい。

 『可愛い』とかウッカリ漏れる度に、手をつないだりする度に、『しまった』『嫌われへんかな』と思いたくない。

 好きや、っていうだけで、罪悪感を覚えたりしたくない。


 だから、言おうと思った。思っていた。けれども。

 前もって、ここまでキッパリ『タダのお友達でヨロシク!』と宣言されてるのに、告白できるヤツなど…… 勇者かアホかのどっちかだろう。


 僕は深い深い、ためいきをつく。


 それを氷芽ひめは 『ホンマ誤解やでお母さん!』 程度の意味にとったらしい。

 また、続きを話しだした。


「それでも行く、って言ったらね、 『前は優しい良い子だったのに』 だって」


「ええー! それはちゃう違うで!」


 びっくりしすぎて、さっきガッカリしたのをもう、忘れてしまいそうになる。

 ―― 氷芽の母親の論理でいくなら、従わない子どもはみんな、優しくない悪い子…… ありえへんわ。


「ヒメちゃんはずっと優しい良い子やで!」


「それはどうでも良いんだけど…… ちょっと、母がわからなくなっちゃって」


「あー、そっか……」


「私ね、友達と遊んでて楽しいと思ったこと無いんだけど、かえでくんと遊ぶのは楽しいんだよ。だから、これまでで1番、楽しそうにしてるはずなのに…… どうして母が喜んでくれないのかな、って……」


 氷芽ひめには悪いが、その台詞の前半のせいで、落ち込みかけた心がまたフワフワと軽くなってきた僕は、後半をあまり真剣には聞いていなかった。


「せやなぁ」


「普通、溺愛してる子供が楽しそうにしてたら嬉しいと思わない?」


「溺愛とか自分で言うか!?」


「だって、そう思わない?すごく大事にされてるでしょ、私」


「いや知らんがな!」


 それが 『溺愛』 とかいうものだとしたら、つらすぎる。

 ―― 好みでない服ばかりを着せて、子どもを熱心に飾り立てること。

 子どもから、友達を頭ごなしに引き離そうとすること。

 自身の弱さや 『愛』 を使って、子どもをがんじがらめに支配しようとすること。


 そんなのは 『大事にされている』 証じゃないと思った。

 僕が氷芽なら 『クソババア』 くらい、もう言っている。

 ―― 氷芽は優しい子だから、言えないんだな。

 なのに氷芽の母親は、その優しささえ否定する。


「ごめん、知らんがな、はないよな…… つい調子に乗って、ツッコミ入れてしもうたわ」


「大丈夫」


 こんな時でも、氷芽ひめは静かに微笑むのだ。

 怒ることを忘れてるのか。僕はなんとなく、そう思った。


「実は、ちょっと期待してたの。ツッコミ」


「え? まじ?」


「まじです」


「ヒメちゃん、ボケなんか?」


「実は、そうなのです」


 氷芽ひめは大真面目に言って、それから、ふふっ、と小さく笑った。

 僕も笑って、その話はそれきりになった。


 電車が遊園地のある駅について、僕たちはそこで降りた。


 遊園地で僕たちは、お互いに水鉄砲で水をかけあいながら、長いアトラクションの列に並んだ。


 強烈な暑い日差し。

 その中で香り立つ、水鉄砲の水の匂いと、アイスクリームの匂い。

 いつもより弾けていた彼女の笑顔は、夏の陽光よりも眩しかった。



――― 後々、その日を思い出せば。

 遊園地でのことは物語の中の1ページのように遠い出来事になってしまっている。

 だが、電車の中でした会話は今でも小さく、僕の胸の奥を突き刺す。


 その時の僕はまだ、氷芽ひめの疑問にどう答えたら良いか、わからなかった。

 彼女のなかに芽生えた不信が、その心を傷つけているのはわかっていた。

 だけど、僕も同じように感じていたから、何も言ってあげられなかったのだ。


 ―― いまになって、時々。

 僕は、心の奥に棲む小さな女の子にこう語りかけている。


『お母さんは、方法は間違えているかもしれんけど、気持ちは嘘やないんやで。どんなに間違えたくない、思ってても、間違えてまうことってあるんやで』


 この答えだって、やっぱり間違いかもしれないけれど。

 それでも、彼女がいつかは、気づいたのであってほしい。

 ―― 決して、愛されていなかったわけではないのだ、と。

コメント(0)
この作品に、最初のコメントを書いてみませんか?