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第5-1話 母親1

 中学2年の夏休みがやってきた。

 僕たちは、仲間のみんなとも、

2人だけでも、前年とは比べものにならないほど、よく遊んでいた。

 氷芽ひめが待ち合わせに、中学1年の夏に買ったジーパンとTシャツを着てきたのは、そんなある日のこと ――



「どーしたん、そのカッコ。お母さんとケンカしたん?」


「うん」


 驚いて問いかけた僕に、氷芽は短くうなずく ―― ほんのわずかに、歪んだ口元。

 その表情は、氷芽ならばきっと 『めっちゃ泣きたい気分』 ってところだ。


「気にすんな!」


 僕は、反射的に言っていた。


「お母さんとケンカなんて、普通やからな! 僕やって、しょっちゅうやで」


「え? そうなの?」


「そうや。 昨日やってな 『ちゃんと片付けなさい!』 って、帰ったらいきなり説教してくんねんで。だから腹立って 『勝手に部屋に入んなや!』 言うたってんや」


 母とケンカしたのは本当だが、事実は少し違った。

 翔樹とぶき師匠から借りたエロ本がベッドの上に置きっぱなしになっていたのを、洗濯物を置きに来た母親が見つけたのだ ―― 冷静に考えると、僕がいけなかった。

 けれど、そのときは……

 『親と妹には見つからない場所に隠すのが一緒に暮らす礼儀というものです』 と真面目に諭され、恥ずかしくなって、キレてしまったのだ。

 ―― もちろん、そんな実情は氷芽ひめに言えるわけがない。

 当たり障りのないところだけ話すと、上記のようになりました。以上。


 が、氷芽ひめはやはり、ショックを受けたようだった。

「え……」 と、絶句している。


「あれ、僕なんかヘンなこと言ったか?」


 氷芽は首を横に振り、またしばらく黙っていた。

 やがて、意を決したように、僕の目を見つめる。


「あのね、ちょっと、ききたいんだけど」


「ん? なんや?」


「お母さんに、そんなこと言ったら、悲しまれたり逆上されたり、しないの?」


「えー!? ないに決まってるやん!」


 なんて質問なんだろう。

 僕は内心でうめきつつ、極力、なんでもないように笑ってみせる。


「うちの親、そんな繊細ちゃうからなぁ。逆上してるなんてしょっちゅうやし」


「え……しょっちゅう?」


「そやーヒメちゃんみたいな上流家庭とちゃう違うのよん、ウチはー。毎日2回は逆上されとるわぁ」


「恐くない?」


「なんで恐いん? 母親っつーのは機嫌次第で目ぇつりあげてギャーギャー言うイキモノやろ!」


 たぶん、氷芽の母親は違うんだろう、と僕は想像した。

 僕のあたまのなかには、小学校時代の担任が蘇っている。

 とにかくキチンとした人で、なにかというと 『先生は、悲しいです』 と悲痛な表情をしてみせていた…… 他人なら別に (どうでも) いいけど。

 あれを家で、しょっちゅう母親にやられるとしたら、かなりキツいかもしれない。


「あんまりうるさいときは、エサをあげれば、いいんやで!」


「エサ……」


「そ。料理をホメてお代わりしてな 『友達に、母ちゃん若くてイイな、って言われたで!』 って報告。これで、バッチリや」


「…… ふぅん」


 ウケようとしたけど、空回り。氷芽は、あいまいな表情でうなずいただけだった。

 よくは知らないけど、僕と氷芽の家庭は、まったく違うものなんだろう。

 僕のアドバイスなんか、1ミリも役に立っていないかもしれない

 それでも、僕は氷芽に笑ってほしかった。


「……はっ! もしや、料理はお手伝いさんがっ!?」


 大袈裟おおげさってみせると、氷芽の表情は、やっと、少しだけ緩んだ。


「そんなわけないやん。どんだけ金持ちやのウチ」


「おおおおっ!? 氷芽ちゃんが関西弁やと……!?」


 今度は本気でってしまう。

 氷芽は少しだけ、しょんぼりと肩を落とした。


「ごめん、ヘンだった?」


「うーん…… 生粋の関西人やないことは、わかるな」


 内心で手を合わせつつ、正直な感想を言う。

 ―― 『わざとらしい関西弁』 は、よくテレビなどでも聞くが、少し苦手だ。

 普段使っているママチャリに、いきなり発動機が取り付けられたような違和感があって、聞いてるとお尻がムズムズしてしまう。


 氷芽ひめは若干、しょんぼりしたようだった。


「ゴメンね。昔、ちゃう違うで、って言われた時から使ってなかったんだけど」


「いや、あんな、大丈夫やで! 氷芽ちゃんのは、可愛いから!」


 フォローしようとして、つい口がすべってしまう。

 氷芽は 『かわいい』 などと言われると、絶対に身構えるタイプだ…… 僕は緊張したが、氷芽ひめは、きょとん、としただけだった。


「可愛いくはないと思うよ?」


「イヤあの、つまりやな、ホラ、カタコトの可愛さっつうか、やな」


 氷芽がしゃべるんだから、可愛いに決まってる。少なくとも、僕にとっては、そういうことになっている。

 ―― だけど、そんなことを言ったら、氷芽はもう、僕と遊んでくれなくなるかもしれない。


 これ以上、ツッコまれませんように。


 僕の願いを知ってか知らずか、氷芽ひめは、曖昧あいまいな表情で 「ふうん」 とうなずいただけだった。

 そして、それから2度と、ナンチャッテ関西弁を喋ることは無かった。

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