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第4-2話 帰り道2~二学期

「男の子って仲良くなるとイヤらしいこと言ってきたり、しようとしたり、してくるものだと思ったけど、かえでくんは違ったから…… 優しくしてくれるけど、そんなことしないから」


 氷芽ひめは前を向いたまま、言いにくいことを一生懸命言うときのような話し方をする。


かえでくんと、仲良くなれて、良かった」


「そやな。僕も、ヒメちゃんと仲良くなれて良かったで」


 なるべく、さりげなく応じながら、僕の心はぺしゃんこになっていた。

 さっき軽口を言われたときは、羽が生えて飛んでいきそうだったのに。

 イヤらしい…… いやまあ、そう言われれば、そうだけど。

 僕はもう、氷芽のことがけっこう好きになってて…… 手を繋いでみたいなとか、普通に考えてしまうのに。

 そういうのも、氷芽にとっては汚いことなんだろうか。

 もっと好きになって、告白こくるとかしたら……

 氷芽は 『裏切られた』 みたいな気持ちに、なるのかな。


 ―― 考えんとこ。

 いつのまにか、別れ道だ。

 気を取り直して、僕はなるべく明るく氷芽に手を振る。


「ほな、また一緒に遊ぼうな!」


「うん、またね。ありがとう」


 氷芽の声は、いままでで一番、華やいで聞こえた。

 それに沸き立つようなヒグラシの声が重なって、僕の中学1年の夏は、終わった。



 家に帰ると、カレーの匂いが漂ってきた。

 この匂いを美味うまそうとは思えなくなって、もう10日経つ。


「ごめんねー。最近、苦手やのに」


 鍋の前に立っていた母親が、申し訳なさそうな顔で振り返った。


歌和かながどうしても食べたいって言ったから」


違うちゃう! 食べたいのは兄ちゃんのカレーや! また作ってー」


「母ちゃんのカレーやて美味うまいやろ!」


 頬を膨らませる妹を 「また気が向いたらな」 とあしらいつつ、僕は食卓にスプーンを並べる。


 母親は妹の皿によそいながら、話し掛けてきた。


「カレーいややったら、素麺ソーメンにでもしよか。卵とキュウリしかないけど」


「いやカレーでええで」


「 『カレーで』 じゃなくて 『カレーが』 やろ!」


「へいへい」


 僕はジュースを配ろうと、冷蔵庫を開けた。

 我が家の夏の定番は、シソジュース。バランスの良い酸味と甘み、爽やかな赤シソとレモンの香りがする、自家製だ。

 だけど今日は、冷蔵庫に赤紫色のペットボトルはなかった。


「あれ?シソジュースは」


「今日はスイカジュースや。シソジュースはまた明日作るよって」


「はーい、兄ちゃんの分やで」


「珍しい。気ぃ効くやん」


 妹が、僕の前にコップを置いてくれた。

 1口飲むと、スイカのほの甘い味と香りが口の中に広がる。


「スイカも、うまいなー、ありがと」


「感謝するんなら今度カレー作ってな!」


「やから、また気が向いたらな」


 ―― またカレーを作りたくなったりすることが、これから先あるんだろうか。


 僕はそんなことを考えながら、母が大盛りによそってくれたカレーを口に運んだ。


 カレーに混じって、あの日のチカンの精液の匂いが漂うような錯覚。

 僕はなにくわぬ顔で、それも一緒に飲み込んだ。


※※※※※


 二学期が来てからも、僕と氷芽ひめの関係はあまり変わらなかった。

 たまに待ち合わせて、遊びに行く。それ以上でもそれ以下でもない関係は、氷芽を安心させてるみたいだった。

 僕も、そんな関係にいつのまにか慣れて、無駄に悩んだりしなくなってきた。壊れるくらいなら 『いい友達』 でいいじゃないか。


 氷芽ひめの私服は、毎回違うが、大体いつも甘めのデザインだ。

 僕がほめると、氷芽はいつも、全然嬉しくなさそうに、お母さんチョイスだと言う。

 きっと、氷芽ひめのお母さんは、大切な娘をいつも人形のように飾り立てたいんだろう ――

 そう想像するように、僕はなっていた。

 ふんわりした服は氷芽にたしかに似合っている。けど、そのなかにある心を、お母さんは見ていないのかもしれない。


「ヒメちゃんって、いつもスカートばっかりやな」


 こう言ってみたのは、中2になる前の春休みだ。

 僕たちはアニメ映画を見に行く約束をして、駅で待ちあわせしていた。

 この日の氷芽ひめの服装は、7分袖の紺のワンピースに、レース編みの入った白のカーディガン。

 似合っているし、かわいい。

 でも、僕はあえて言ってみる。


「ヒメちゃん本当はスカート好きやないのにな」


 氷芽ひめはビックリしたように僕を見た。

 静かなスマイル以外の彼女の顔を、僕はもう、いくつか知っている。


「なんで知ってるの」


「ジャージの時の方が楽しそうやし…… ジーパンとか、持ってへんの」


「あるよ。去年の夏、かえでくんと買ったもの」


「ああ、あれか」


「うん、でも。母が買ってきたの着ないと」


「お母さん怒るん?」


「ううん。とっても傷ついて、可哀想だから」


「なんやそれ」


 氷芽ひめの言い方がおかしくて吹き出すと、曖昧あいまいなスマイルが返ってきた。


「ヘンだよね」


「そうや、思いっ切りヘンやで!ヒメちゃんの方が保護者みたいやな! ウケるわー」


 ビシビシとシバく真似をしてみる。

 本当は、お母さんなんか気にせず、好きなものを着たらいいと僕は思う。

 でも、それが言っていいことなのかも、どうやって伝えたらいいかも、僕にはわかっていない。


 氷芽ひめの複雑そうな表情に気づかずに笑うフリを、僕はしばらく続けた。


 電車が来て乗り込むと、僕は扉際に氷芽ひめを立たせてガードする。


目線を少し落とすと、紺地に白糸で細かな花の刺繍が入ったスカートからほっそりした脚が出ていた。

 制服とはまた違う感じがして、やっぱりドキドキしてしまう。

 こんな可愛い女の子を僕が守っているんだと思うと、誇らしいような、くすぐったいような気にもなる。

 でも、僕は、氷芽が好きなものを着て僕と会ってくれたほうがいい。


「たまにはヒメちゃんも、好きなん着ていいと思うで」


 電車から降りる直前、僕はやっと、そう言った。

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