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第4-1話 帰り道1

 ふう……

 電車を降りると、自然に息が漏れた。

 氷芽をチカンからガードはできたはずだ。

 でも、氷芽はずっと緊張していたし、僕も落ち着かなかった。

 彼女の髪から漂う、プールの匂いとかすかな汗の匂い…… そんなものを嗅いでいると、僕がチカンをしているような、やましい気持ちになってしまう。

 肩にかけた手を通して伝わってくる氷芽の緊張と、自分の罪悪感。

 その2つが、電車のなかではずっと、僕をさいなんでいた ――


「楓、またな」

「ヒメちゃん、バイバイ」

「おー、またな!」

「バイバイ」


 電車のなかのことは、誰もみてなかったのだろうか。

 特にツッコミもないまま、プールに行った仲間と改札で別れる。

 僕と氷芽は、途中まで同じ方向だ。


「ほな、帰ろか」 「うん」


 並んで歩き出したものの、さっきの緊張感が残っていて、うまく話が見つからなかった。焦る。


「あれから、作ってみた?」


 氷芽が不意に、話しかけてきた。どことなく、ぎこちない問いかけ。

 僕はほっとして、短く答えた。


「うん? なに?」


「カレー。作ってみた?」


「いや、作ろうとしたんやけどなぁ、うまく、いかんかったわ…… どうも、カレーが苦手になってしもて」


 氷芽がチカンに遭ったときから、僕はカレーを作っていない。

 ―― あの電車のなかで、僕たちはカレーの話をしていて…… 僕は、氷芽がチカンに遭っていたのに気づかなかった。

 あれから、カレーは僕にとって、あの汚いチカンと、そのとき感じた氷芽の静かな怒りを連想させるものになってしまったんだ。

 カレーの匂いをかぐとどうしても、チカンに切られていた白いワンピースを思い出す。ついで、キャンプファィヤー焦げ臭い焚き火と、金色の火を映し込んで光っていた氷芽ひめの目を思い出す。

 ―― あの目の光は、抑えられた憎悪と狂気ではなかったか。

 日が経つにつれ、僕のなかではそれが真実のようになってしまっていたのだ。


 氷芽ひめは少し驚いたようだった。


「あのこと、気にしてるの?」


「そらもう、めちゃくちゃ気にしてるわ。ヒメちゃんやって、そうやろ?」


「え? 全然」


 氷芽ひめが小首をかしげた。


「カレーも、普通に食べてるし」


「ヒメちゃん、けっこうメンタル強いな」


「えー」


 声の調子から、氷芽ひめが微笑んでいるのがわかった。


かえでくんが、繊細なんじゃない?」


 なんでもない、ひとこと。

 だけど、初めてだった。

 氷芽がこういうふうに、軽口を叩いてくれるのは。


 氷芽は僕にだけじゃなく、仲間うちでも、いつも黙ってニコニコしている ―― おとなしくていい子、っていえばそうなんだけど。

 僕には、氷芽がなにかを怖がっているみたいに見えていたんだ。


 だから、こうして軽口を叩かれるのは、存外に嬉しい。

 すごく仲良くなれた気がする。

 いまなら、たとえ 『バカ』 とか言われても嬉しいかもしれない。

 僕は調子にのった。


「もっと、僕のこと、言ってみてくれへん?」


「あの、ごめんなさい」


「なんで謝るん? 怒ってへんで。嬉しかったし」


「え?そうなの?」


「うん、嬉しかったで!」


 言った瞬間、我にかえった。

 いったい僕は、何をリクエストしてるんだ?

 ナルシストか? バカップルの脳内お花畑会話か?

 自分の脳ミソはたきたい!


 内心で悶絶していると、ぽつりと氷芽ひめの声が聞こえた。


「あのね」


「え、なになに!?」


 なんて嬉しそうな声を出すんだ自分! いや嬉しいけど!

 くっそ恥ずいわ!


かえでくん、優しいよね」


「そんなん普通やで」


「だって私なんかにも優しいし」


 それは違う!

 なんで 『私なんか』 なんや。

 あと僕はヒメちゃんやから、優しくしてるんやで!

 ―― なんて、言えるわけもない。


 僕の沈黙を続き待ちととったのだろう。

 氷芽ひめは、考え考え言葉をつなぐ。


「あと、面白いよね」


「やった。『おもろい』いただきました!」


「ほら、そういうの面白い」


「そら『カッコイイ』より『おもろい』の方が断然、嬉しいやろ」


氷芽ひめはまた少し考え込み 「そうかも」 とうなずいた。


かえでくん、カッコイイって感じじゃないものね。どっちかっていうと、かわいい」


「えーほんと!? メイドさんとか、できる?」


「うーん…… それは、ヘンかも」


 氷芽ひめは、首をかしげた。


「そうじゃなくてね、男子なのにイヤらしくないっていうか」


「アンタな、男がみんなチカンなんと、ちゃうで!」


「うん。かえでくん見てて、それが分かった」


 素直すぎる氷芽ひめの言葉に、僕は内心で、呻いたのだった。


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