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第2-4話 映画(4)

 僕たちは予告の途中で劇場に滑り込んだ。劇場内にはもう、ポップコーンの匂いが漂っている。

 ここで上映されるのは、この夏人気のアニメ映画だ。


「こういうの好きなん?」


 何でも好きなんでええで、と選択を氷芽ひめに任せたらこれを指定してきたのは、意外といえば意外だった。

 さりとて、じゃあどんなのがイメージなのか、といえば首をひねらざるを得ない。


 ―― ああ、映画自体がイメージじゃないんや。


 不意に、僕は気づいた。

 音も光も無く、大きな興奮も呼ばない…… 静かに絵画や彫刻なんかを見ている方が、彼女にはよほど似合っているのだ。


 ―― もしかして、映画なんかイヤだったんじゃ?

 ぐるぐると悩む僕に、氷芽ひめは表情のない目を向ける。


「こういうのなら誰でも面白いかな、と思ったんだけど…… 違った?」


怯えたように発せられた、確認 ―― そうか、気ぃ遣ってくれたんや。

 嬉しいような、悲しいような。複雑な気分だった。


「好きなんでいいって言ったやん」


「ごめんね。分からなかったから」


 氷芽ひめは、よく謝る子だ。 『ありがとう』 よりも 『ごめんなさい』 の方がナチュラルに出てくる。

 ―― 別に、謝らせたいわけじゃないんだ。

 単に、楽しんでほしいだけなんだ。

 だけど僕は、上手な言い方を知らない。


 荘重な音楽と共に展開される予告を眺める彼女の横顔は、やっぱり平坦なままだった。


「見たいのとか、無いん?」


「うーん…… じゃあ、かえでくんが見たいので」


 不意打ち。ドキッとする。

 ―― なんなんや、その可愛いセリフは!

 ―― 勘違いしてまうやろ!


 あわてて僕はポップコーンを乱暴に口に放り込み、コーラで流す。

独特の甘い匂いが鼻の奥をくすぐった。


 勘違いに乗じて『じゃあ次は僕が見たいのやで!』と遊ぶ約束を取り付けようかな。

 いやでも、と迷っているうちに、音楽が変わって、本編が始まってしまった。



 人気だけあって、そのアニメ映画は面白かった。

 主人公が空を飛ぶシーンでは、映画館の大きなスクリーンは一気に飛行艇の窓に変わった。


 心が、空に解き放たれる。


 どういうわけか、実写よりよほどスピード感や迫力があった。


 アニメってすごいんだな。

素直にそう思った。


 ふと隣を見ると、僕よりも、もっとスクリーンに夢中になっている氷芽ひめがいた。

 彼女はその時、いつもの大人びた静かな表情でなく、普通の女の子の顔をしていた。


 ―― いつか、氷芽ひめが僕に、いつもこんな表情を見せてくれるようになるといいな。

 そうしたら、その時にはちゃんと 『好きや』 と言おう。

 かっこ悪くても照れくさくても、ちょっと恐くても…… 『付き合って下さい』 とお願いしてみよう。

 ダメ元でも、勇気を出そう。そのときには。


 空をめちゃくちゃに飛んだ後のドキドキが残る胸を軽く叩いて、僕はまたポップコーンをつまんだ。

 香ばしい匂いが、口いっぱいに広がった。


「あれ? ヒメちゃん、最後まで見るタイプ?」


 繰り返されるエンディングテーマ。

 スクリーンに流されるスタッフロールを背にザワザワし始めた観客の中で、氷芽ひめは、きちんと座ってスクリーンを観ていた。


「うん」


「ほな僕も」


 座り直して、並んでいる人の名前を眺める。

 色んな名前があるものだが、全部読み切らないうちに次の画面に移る。

 一体、何百人いるんだろう。

 ―― この人たちがみんなで、映画を作ったんだ。

 膨大な時間と努力と、それぞれの才能を、この2時間に詰め込んで。

 ひとつの感動を、作りあげたんだ。


 ―― 氷芽ひめが居ずまいを正してスタッフロールを見る理由が分かった、と思った。


 人の力って、すごいな。無限なんだな。

 氷芽はきっと、最初から知っていたんだ。



 映画の帰り。

 僕と氷芽ひめは言葉少なに、ぽつぽつと会話した。

 それだけなのに、不思議と居心地は悪くなかった。

 夏休みの夕方の電車は往きよりも混んでいて、汗の匂いと疲れた人の匂いで少し息苦しかった。

 僕は彼女を開かない方の扉際に立たせて、片手を軽く彼女の横に付いて立った。


 生まれて初めて女の子をガードすることを意識したくすぐったさは、電車から降りてもまだしばらく続いた。

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