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第2-1話 映画(1)

 その夏は林間学校が終わった後、たまにカレーを作った。

料理はもともと、嫌いじゃない。あのカレーをもう1度食べたくなっては、作るのだ。

 鶏白湯のダシに、トマトジュースと砂糖を入れて、アクをすくって……


 できたものを、両親や妹は「美味しい」と喜んでくれるが、何か足りない気がする。


 なんだろう?

 首をひねりつつ、また氷芽ひめに尋ねようと考える。


 夏休みの終盤に会う約束は、できていた。新学期が始まる前に会える、と思うと嬉しいような照れくさいような気持ちが胸からあふれてくる。


 たまに 『どこ行こうか?』 とメールを送ってみる。送る度、迷惑がられるかもしれない、と怖じ気づくが、いつも、返信は割と早かった。

 その内容は普段の彼女と同じように、一見は親しみやすく丁寧で ――― どこか、硬質ガラスの壁を感じる。


 それでも 『どこでも良いよ』 が次第に 『海なら大勢の方が良くない?皆も誘おうか?』 『遊園地は暑くて疲れると思いますけど、行きたいのだったらいいよ』 に変わり、結局は映画に落ち着いた頃には、約束の日が近付いていた。



 その日、僕たちは駅で待ち合わせをした。

 出掛ける前に父の制汗剤を借りたのを妹に見られて 「兄ちゃんデート?デート?」 としつこく訊かれ逃げるようにして家を出た僕は、落書きの残る壁にぞんざいに貼られたポスターを眺めつつ氷芽ひめを待つ。


 彼女は時間きっかりにやってきた。


「待った?」

「いや、さっき来たところ」


 氷芽ひめをひと目見て 『可愛い』 という言葉を呑み込む。


 彼女は肩に水色のフリルがついた白いワンピースを着ていた。水色のリボンで絞られた腰からふわりと広がるスカートの下に、すらりとしたふくらはぎが伸びている。素足にビニール素材の青いサンダル。


 夏だというのに全然日焼けしていないせいもあって、彼女のいる場所だけ涼やかな風がそよいでいるようだった。


 自分の胸元から漂う制汗剤のミントの香りが、急に恥ずかしくなる。


 眩しい思いでワンピースの肩のフリルを眺めていると、氷芽ひめは気になったようにそれを触った。


「母からどうしても着るように言われて」


「いつもと違うちゃうからびっくりしたわ」

「ヘンだよね」


「いや、似合ってんで」

 ナチュラルに言えたつもりだったが、返事はない。


「すぐに電車来るね」

 その代わりに氷芽ひめは、光り出した駅の案内表示を見てそう言ったのだった。



 映画館のある町まで行く本数の少ない電車はけっこう混んでいて、僕たちは扉の近くに立つことになった。


 車窓を流れる水田では、やや黄ばんできた稲が重くなってきた穂を垂れて、電車が通ると少し揺れる。

そんなのんびりした景色を眺めながら、僕らはカレーの話をしていた。


「林間学校のカレーめちゃ美味かったやろ、あれから家で作ってみてるんや」


「すごいね料理とかするの」


「カレーとかだけやで」


「でもすごい」


「けど林間学校で食ったのが1番美味かったわ」


「野外の効果じゃないの」


違うちゃうねんな、絶対違うちゃうわ」


氷芽ひめにもう1度、作り方を教えてもらう。


「まずは前の晩から昆布を水に浸して」


「え」 

 手順その1から、びっくりだった。


「林間学校でもそんなことしてたの」


「うん、昆布ごとペットボトルに入れて、保冷剤つけてリュックに入れてった」


まさか、そこまでしていたとは。


「どーしょ、マジ惚れてまうやん」


「昆布使ったのは初めてだったけど、美味おいしくなったよね」


 意を決した台詞は、どうやら 『とても美味うまかった』 程度のものにとられたようだ。

 ホッとしたような、寂しいような気分で、僕はカレーの作り方の続きを拝聴した。


「仕上げに、魔法の粉を振り入れて、混ぜる」


「魔法の粉?」


 大人びた印象のある彼女の口から、年相応に聞こえる言葉が出てきたのがすごく可愛くて、聞き返す。


「そう」うなずく氷芽ひめの顔はあくまで真面目だった。

「カレー仕上げ用のスパイス。スーパーで売ってるよ」


「もしかして、林間学校に持っていくのにわざわざ買った、とか」


「うん。残りは家で使えば良いし」


「ヒメちゃんすごいな。マジ惚れてまうやん」


「だって当番だったから」


 再び意を決して言ったのだが、今度もどうやら『とても感動した』程度の意味合いにとられてしまったらしかった。

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